2012年8月8日水曜日

ちゃんと車を止められないリアル下手

信号待ちをする時、歩く速さ程度まで減速して、ブレーキを離し、残った距離はゆっくりと詰めるような操作をする車が前にいると、そのひと手間かかる停車に付き合わされるため、面倒に感じることがある。急なブレーキでカックンと停車することはむしろ追突のリスクがあるが、必要以上に時間をかける微速前進は、おもしろくもないし、たいくつだ。渋滞でもないのにノロノロとした前進にじっと我慢してついていき、いつ停車するか分からない前車から目を離すことができない。
なぜ信号待ちで停車するだけのことに、このように手間取るかというと、クセということもあるかもしれないが、最近は実際に下手なのではないかと思っている。狙った位置に停車する運転能力がないという意味だ。
考えてみて欲しい。時速40キロで走行していて、50メートル手前からブレーキをかけて狙った位置に普通にスッと停車するには、ブレーキの踏力を適切に操作しなければならない。さすがに踏力を一定に維持してぴったり狙った位置に停車させることは難しいだろうが、車速と残りの距離から感覚的に停車位置を予測しつつ、踏力を微妙に調節しながらおおよそ安定した減速率で停車させることは可能だ。
そんなこと当たり前だろと言われる方が大半であると思うが、それができない人が実在する可能性があるという話だ。
だから、実際の停車位置よりずっと前で止まりかける程に減速してから、残りの距離を微速でつめなければならないということが起こる。
その行為が、正しいか間違っているかという問題ではない。それ以前に、ちゃんと車を止められない。車を普通に停車させる能力を有していないということである。
信号待ちのノロノロ停車の原因はそれだけではないだろうが、そのような可能性もあるように思う。

じれったい動きをする車というのは、多くの場合、停車能力に起因していることがあるのではないだろうか。
右左折時の速度や、曲がった後の直線で、すぐに加速しないこと等にも、影響しているように思う。

なにもやたら速く行こうとばかりに、せっかちな運転をすることはない。信号待ちで手間のかかる停車を強いられる程度のことであれば、2回目以降の停車では対策できることもある。だが、現実に運転能力がないことが原因であることを認識しておくというのは、ものの見方も違ってくる。下手なことがわかっていれば、その車のそれ以外の行動にも注意を払うことができるようになる。

車を止められるということは、速く走れるとも、言い換えられる。
速く車を動かすには、アクセルを使うのであるから、一見止めることは関係ないことであるが、実際に速く走れるためには、ブレーキのコントロール能力が必要という、矛盾しているようなことである。
速く走るだけであれば、アクセルを踏むだけなので、力は必要ない。子供でも車を高速走行させられる。しかし、実際の道路で速く走るためには、いざという時に止められる裏付けがないとできない。少なくとも止められるという自信がなければ、速度を出せない。
無謀な速度の出し過ぎをすることや、無理をすることではなく、純粋に走れる速度というのは、ある程度、車の停車能力に比例することが予測できる。

2011年12月3日土曜日

自転車の運転マナーも悪い

特に指定がない場合や、子供、高齢者等の特別な場合を除いては、自転車は車道を走行することになっている。それでも幅2メートル以上の歩道では自転車の通行を認めていたが、先日、それも3メートル以上の歩道へと変更された。
また、悪質な自転車運転手にはイエローカードや、場合によっては交通切符を発行する等、取り締まりを強化しつつある。

自動車やバイクを運転する立場としては、自転車については、マナーだけでなく、実際に危険を感じることも少なくない。
交通量の多い道路に面した駐車場から出る場合に、右から来る車列の切れ目を待っているときなど、隙間ができたと思って発進すると、左から右側通行の自転車が来ているようなことがある。交通ルールのつじつまが合わなくなることによる危険性であり、そのような場合でも自転車はまさに危険が差し迫るまで回避しようとしない(回避しようとしない→減速しない→その理由は後述)。
歩道のある道路では、歩道上に障害物があったり、歩行者がいると、歩道を走行していた自転車が車道に飛び出してくることがある。その際、一切の後方確認をしないことも珍しくない。自転車にはミラーがないのはもちろんだが、どのみち目視のために振り返らなければならない。この振り返るという動作は、体を捻る動作であり、体力を使う。こうした運動となる動作は意識的に行おうとしなければできない。免許証が不要な自転車の場合、そのための訓練を受けていない。

体を捻ることができないということも関係しているが、自転車は極めて省力的な動きをする。
加速するのに体力を使うので、減速したがらない。一度止まってしまうと、再発進に大きな体力を使うことになる一時停止は絶望的にできない。ブレーキをかければ停止するが、再発進の労力を考えて心理的に停止しようとしない。つまり実質的にできないことと同意だ。
見通しの悪い小さな路地の交差点でも、まったく止まることなく飛び出してくるのが標準である。

ピスト自転車と呼ばれるブレーキのついていない自転車が最近流行っていた。外観を重視するファッションとしてブレーキをつけなかったり、外したりした自転車だ。そのような自転車では、格段に減速が難しい。減速が難しいというのはブレーキがないからというのは当然であるが、減速するのに体力を使うことが大きな元凶となる。減速するには、ペダルを逆方向に抑えつける力を加えることが必要になる。通常のブレーキならば手の握力とテコの原理もあって楽に止められるものが、回転しようとする車輪を妨害するような、言ってみれば人力エンジンブレーキみたいなことをしなければならない。減速するのに余計に体力を使うとなれば、減速することが潜在的に億劫になり、なるべく減速をやり過ごそうという心理が働くことは想像がつく。その結果、自らの走行の継続性を優先し、安全に対する配慮や、譲るという姿勢が消極的になる。

人は放っておくと楽をする生き物。必要に迫られるまではやろうとしない。それをどうにかするには調教するしかない。免許証を持つ自動車の運転者なんかの場合、例えば、バックするときに運転席窓を開けて後ろを見たり、助手席のシートに手をかけて後ろを振り返る動作をする。左折するときの巻き込みを防止のため左後方を目視する動作や、見通しの悪い交差点ではハンドルより前に顔を突き出して交差点の向こうをのぞこうとする動作をする。こうしたことは教習所で調教を受けているからできることだ。検定で確認をしなかったら、免許は取得できない。
そこで、自転車も免許制にしてはどうかという意見もありそうだが、猛反対がでるのは目に見えている。現実的とはいえない。

幅3メートル以上の歩道の走行を認めないことについて、街中で自転車の運転手にインタビューしているテレビのニュースを見た。言っていることがトンチンカンなことが多い。
「いきなり言われても困る」とか「歩道と白線の間の幅が狭い」とか。
もともと自転車は車道を走行するもの。それを今まで2メートル以上なら目をつむっていただけのことである。それに自転車が歩道を走行するときに、幅が2メートルか3メートルかなんて意識していないのが現実だ。もともと意識していないものを困りようがない。それから自転車は無理に路側帯を走行する必要はない。なんか自転車に対して偏見か先入観のようなものを持っている人がいるのではないだろうか。自転車を含む軽車両や二輪車、それから3輪や4輪以上の車両はすべて車両であり、車道を走行すればよい。
もし、自転車の立場に立って、何か因縁をつけるコメントを考えてみるなら
「今まで通りではあるが、自転車の走行できる範囲が少し狭くなるようで、不便になることも出てきそうだ」とかだろうか。
この2メートルから3メートル以上へ変更になることについては、基本的に自転車にとって不利な方向性であるから、ありがたいなんていう回答があるはずがなく、自転車を乗る人としては当然に文句を言うわけだが、それにしたって論理に筋が通っておらず、物事を理解しているとは思えない。
街中でのインタビューだったりしたので、よく考えた返答ではないだろうから、そこに突っ込みすぎるのはフェアではない。しかし、こうした自転車を特別視したような勘違いは多いように思う。

そして、このような勘違いが自動車側にもある。自動車の運転手が自転車を車両の仲間とみなさないことだ。確かに自転車はほとんどの状況で自動車より低速で、免許証の取得を必要としない。交通ルールも守られていないことが当たり前のようになっている。しかし、それらを理由として自転車を車道の邪魔者のようにとらえ、邪険にするのは相応とはいえない。
自転車のマナー、特に危険性の高いことについては、行政等から十分に指導してもらえることを望むし、自転車の運転手にも理解されることを願う。その一方で、自動車側も、自転車の立場を理解していかなければならない。

2010年11月9日火曜日

渋滞解消のためにメリハリのある前進を

メカニズム的に渋滞が早く解消するためには、渋滞先頭からの脱出を速やかにするとよい。渋滞最後尾に流入してくる量より、排出量を増やす作戦である。
到達する先に渋滞があると分かっているような場合は手前から速度を落としておき、渋滞への参加を遅らせるようにする。渋滞の先頭では前の車が加速していくのに合わせてなるべく早く加速するようにする。できれば二つ前の車の動きを視野に入れておくと行動を早められる。
これは、どこかの研究者の受け売りなので、おそらく正しい理屈だろう。

さて、定期的に前に進んだり停車したりを繰り返すほぼ停止に近いような渋滞に巻き込まれることがある。この時、前に進むのを何回にも分けて行われると、後ろについている車がその無意味な手間に付き合わされるのでいい迷惑であるというのは、このサイトで今までに何回も言っている。
具体的には10メートルの車間があったとして、まず最初に5メートル前に進んでいったん停車し、その2~3秒後に残りの5メートルを詰めるというようなことだ。それなら始めから一発で10メートルを詰めれば簡単なことである。
そうした車が前にいるとき、一度そんな目に遭わされると、2回目からも同じように手間のかかることに付き合わされるかというと、さすがに次からはついていかなくなる。前の車が進んでもしばらく放置しておき、あとからまとめて詰めたくなってくるのだ。
だが、前の車が進んでも後ろの車が付いてこないのでは、先の渋滞のメカニズムから考えると渋滞の解消にはあまり良くないことになりそうだ。いざ渋滞の先頭付近になっても前の車を信用できないので、すぐに加速しないからだ。

前に面倒くさい車がいても、後ろの車がいちいち詰めるという解決もあろうが、本当は前の車ができるだけ単純な前進をすることを求めたい。
さっと前に進み、早すぎず、遅すぎず、無用な加減速をせず一定の速度で前進して、適切な位置にピタッと止める。そんな動きをするようにすれば、後ろの車は前の車を信用できるようになり、ついていくのが楽になる。それがほんの僅かに渋滞解消に貢献できる・・・かどうかは分からないが。

2010年11月8日月曜日

思いつきでハンドルを切る前に一呼吸置いて

車を運転していて、左側にガソリンスタンドの入り口があるのが目に入って、そういえばガソリンがなくなりそうだから給油をしておこうと思い、左にハンドルを切ったとたん車の左側面にガシャーンとバイクが突っ込んでくるというのはありがちな話である。

ウインカーを出して車を道路の左端に寄せ、絶対にバイクが入れないところまで隙間を狭めておいてから、右にふくらむことなく左折してガソリンスタンドに入れば、こうした事故は起こらない。普段からそのようにしていても、ガソリンスタンドに入ることを突然思いついたのではそうできないことがある。できないのであれば、かなり慎重な運転が必要だ。

このケースで決定的にまずいのが突発的な行動ということだ。運転者も予定していない出来事なのだから他の交通は予測できるわけがない。

終始セカセカ、イライラした気持ちで運転しているとこうした危険が出てくる。
急にガソリンスタンドに入ることを思いついても、一呼吸置いて、よく確認してから行動するような余裕が欲しい。余裕というのはひとつには慌てず、日頃からの落ち着いた運転スタイルから生まれる。ハンドルをギュッと握り締めて、顔を近づけて前かがみに運転するのではなく、ハンドルは軽く持ち、気持ちとしてはシートにのけぞるようにするぐらいの気持ちで良い。通常時の自動車の運転というのは瞬発力や咄嗟の判断でするものではない。自動車は知能で運転するものであると理解し、冷静な判断で計画的に運転することである。一般道路の交通における運転がうまいというのは身体能力が高いという意味ではなく、頭が良いということである。計画性も知的活動のひとつだ。

もうひとつは、たとえ何か思いついても動じない強さである。ガソリンスタンドなんてものはひとつふたつ通りすぎても他にいくらでもある。翌日に延期してもいいし、延期しても問題ない余裕を持っておきたい。どうしてもと言うなら、先に進んでから安全なところでUターンしてきても良い。それでも目の前のガソリンスタンドに入りたいと言うなら、それ相応の注意深い運転を要する。その注意のためにもやはりまず始めに咄嗟の出来事に動じない強さが必要である。

2010年11月5日金曜日

プラスマイナスゼロ 譲られるのが当たり前ではない

信号待ちをする車の列に対して、横の路地から合流しようとしたり、店舗の駐車場から出てきて合流しようとする場合がある。こうした時、車列に隙間がないと当然入ることができない。だから、車列の中には隙間を空けたまま待ってくれる車がいることがある。こうした場合はスムーズに入ることができるが、そうでない場合は間隔が空いたり、入れようとする意思を持つ車が来るのを待つしかない。この時、積極的に隙間を作ろうとしないドライバーがいたとしたらそれは悪であろうか?・・・もちろん、何もわざわざ意地悪をすることはないが、相手が親切をすることを当然のことであると考えることも適切ではない。
人の優しさを当たり前だと考えると無用なストレスを生むことがある。それは思うような行動をしない車に対して腹を立てて、報復をしようとしたりすることにも発展する。

本来、何もしないのが当たり前で、そこがスタート地点、プラスマイナスゼロなのだ。それに加えて親切にされることは、あくまでプラスアルファの出来事である。
他人に親切にしようと励むのは人として立派なことであり、誰もがそうであることが望ましい。だが、一方で自分自信の望みのために他人に世話になることを当然のことであるかのように決めてかかることは独善的だ。

他人に親切にしなくて良いという意味ではない。むしろ、これは他人に対してどう対処すれば良いか示していて、反面教師とするべきである。
それならば、間に入りたい車がいたとして、どうするのが理想であるかは分かることであり、現に大抵の人はそうしているのである。

そのことを踏まえて、先の例のように間に入れないような場合があったとすれば、得てしてそうしなければならない何か理由があるものである。塞いでいる車は仮に前方に空間があっても、死角となる位置に通行人がいて前に進めないというようなこともありえる。

2010年10月26日火曜日

交差点を曲がった後ぐずぐず遅い

以前、合流してからすぐに加速しない車のことについて記事を書いたが、それは交差点で曲がる場合にも言える。
交差点で曲がるために低速になるとしても、曲がりきって直進になったなら速やかに加速して、交差点からとっとと離脱するのがよい。すぐに加速しなければ、後ろに続く車が次々と曲がって来られないからだ。信号が青になっている時間も限られているから、可能な限り多くの車が曲がれるように、前の車に続いててきぱきと曲がっていくのがよい。

デパート等にあるエスカレーターでも、上がり切って降りたところで立ち止まって、さてどこに歩こうかなどと考えていては、後ろから上がってくる人達は行き場を失う。エスカレーターから降りたなら何はともあれさっさと前に進んで欲しいのである。

交差点を出てからではなく、交差点で曲がり終えながら加速していくのが理想的だ。ちょうどワインディングでスローインファーストアウト走行するようなイメージかもしれない。曲がりきってからさて加速をどうするか、ではなく、曲がりながら次の加速のことを考えているような運転の進め方だ。

実際は、交差点を曲がった先に横断歩道があることもあるし、前の車が急ブレーキを踏むことや、それ以外のことが起こることも考えておかなければならない。あくまで車間距離をとり、注意深く運転した上で、速やかに曲がっていく。一般の道路交通における運転技術の発揮される場面というのはこういうところこそなのだ。

2010年10月21日木曜日

高級車に乗る低級人

高級車と呼ばれるカテゴリーの車がある。装備が充実していたり、エンジンが高出力であったりして、価格の高い車だ。
過剰な性能の車を所有するというのはひとつのステータスのように考えられるのかもしれない。例えば、ピラミッドや古墳といった権力の象徴を表すようなものと同じで、どこかの社長さんが使う車であったりとか、ファッションではなくブランドを追い求めるような衣類の選択をする人達と同じようなものかもしれない。
車をツールとしてとらえている私にとって、そうした考え方にはズレを感じるが、それは価値観の違いであるということで片付ければ良い。

具体的な車種名を挙げて申し訳ないが、高級な種類の車のひとつにトヨタ製のセルシオというのがあって、どうもこの車は印象が良くない。この車の所有者すべてを一括りにするつもりはないが、このタイプの車は運転が上手でないドライバーを見かけることが稀にある。以前の記事にも書いたが、私が言う運転がうまいというのは、他人より速く走ることでも、手際が良いことでもない。自分以外の人間が楽になる運転方法のことを運転がうまいと言っている。
いや、実際は山道で極端に遅いという単純な運転能力に起因した問題のあるドライバーというのも見たことがあるが、それはこの車種に限らずあることだろう。そういう直接的な運転能力は人間的な欠陥ではないし、ある意味仕方ない面もある。

もっと正直に言おう、運転が上手でないというよりはある種の異常に近い行動をしていることがあるのだ。
頻繁な車線変更をしていたり、手際の悪い車に対し(おそらく威圧することを目的として)数十秒間に渡ってクラクションを鳴らしっぱなしにしたりするよう行動だ。
落ち着きのない不自然な動きをしているので、傍から見ていても分かりやすい。

何度か、こうした車を所有する人間と触れる機会があるが、人としてもやや違うものがあるのではないかと思えることがある。一見、異常者には見えないのだが、思想の根っこの部分で違和感を感じることがある。

どんな高級な車に乗っていようと、運転者が下手であれば、それに合った動きしかできない。
高級な車に乗っていても中に乗っている人間が低級なら、低級な性能しか発揮できないのだ。

2010年10月20日水曜日

ウィンカーを出しておかず、足を引っ張り合うドライバー達

ありがちなのが信号待ちでウインカーを出しておかない車。
赤信号で待っているときにウィンカーをつけたままにしておくと、カッチン、カッチンうるさいということは分かるのだが、他の車がどちらに曲がるか分かることが、運転における有効な情報のひとつになる場合があるので、ウィンカーをつけたままにしておくのが望ましい。
特に最後尾に停車する場合に意味のあることが多いが、それに限らず、信号待ちの最前列や途中で停車している場合でも、他の車にとって意味を持つ情報になることがある。

複数車線に分かれていて進行方向別通行区分があるような交差点では、信号待ちの最後尾につけるときウィンカーをつけるか、後ろに車が来ていない場合は、つけたままにしておくと後ろの車にとってその後の行動を決定する助けになる。
片側二車線の道路で、前を走る車が右折の合図を出さない時、後ろについた車は前の車が直進するものだと信じてついてきているとしたら、交差点直前になって前の車が突然右折の合図を出したとしても、後ろの車はすぐに左に回避できない可能性がある。十分に前もって右折の合図を出しておけば、後ろの車にも対処のしようがあったかもしれないが、交差点直前になってしまっては、その猶予も得られなくなる。後ろの車にとってみれば、前の車がウィンカーを出していれば何でもないことなのに、むやみにスムーズさを潰す行動に対してストレスを感じることもあるだろう。

片側二車線の道路を直進するために運転しているのを想像したとき、頻繁に右左折する車がいてそのたびに直進の交通を減速させ、それがウインカーを出さなかったり、道路端に寄せることをしないで、必要以上に直進車の手間をかけさせているとしたら、文句のひとつもでてしまいそうだ。
通常は向かう目的地があって車を運転しているのであろうから、道を曲がらなければならないことがあるのは仕方ない。だが、その行動にあたって、他の交通を故意に妨害をする必要まではない。

右左折するなら、早めの合図を出し、左折するなら道路の左端に、右折するなら右端に寄せる。右や左の車線に移動するという意味ではない。左または右の車線の中で左端や右端に寄せるという意味である。なんなら路側帯内や道路端の白線を越えるほど端に寄せてもよい。
そのようにして、なるべく大きく空間を開けるようにすれば、直進車の通過にとってありがたいことになるだろう。

2010年10月12日火曜日

手動車が自動車に変わるとき

“自動”車といっても自動車は自動で走ってくれるわけではなく手動で運転するものだ。そういう意味で言うと自動車ではなく“手動”車が正しいのではないか。というようなつまらない突っ込みはともかく、最近のニュースでgoogleが自動で運転する本当の自動車を研究しているらしいというのがあった。プリウスを改造した実験車で、地図とセンサーを組み合わせて交通状況を把握しながらコンピュータ制御によって自動走行するらしい。

自動運転というと、人間が自動車を運転するスタイルをそのままロボットに置き換えたイメージで考える人がいるかもしれない。たとえばカメラで捕らえた映像を解析して、周囲の状況を把握しながら自動運転するようなイメージだ。しかし、そうしたやり方はかなり難しいのではないかと思う。もっと違う発想も必要なように思う。
例えば、道なりに走る方法としては、GPSに精度と信頼性があれば、不可能ではないかもしれない。また地面に磁気を利用した目印を埋め込むような方法も考えられるだろう。速度やルートの制御は周囲を見て行うのではなく、他の交通も含めて指令センターで集中管理されている情報から最適な選択が行われる。目の前に他の車が見えるから減速するのではなく、指令センターで前方に交通があることを把握していて、それらの交通を踏まえた計算結果の元、速度の制御を指令され、自動的に速度が変化するわけである。
すべての車が完全な自動運転になった世界では、交差点ではコンピュータによって計算されたタイミングで車がすれ違うことができるから、もはや信号機は必要なくなる。そればかりか視覚で運転しているのでなければ道路標識や道路標示すら不要だ。
人間はただ目的地を入力して寝ていれば勝手に車がそこまで行ってくれる。夢のような話だ。

実際は自動運転可能ルートを外れた場所では手動運転が必要になるだろうし、人間が運転する自動車が混在していたり、バイクがあったり、歩行者や自転車のこともある。技術的なこと以外にも法的な問題や様々なことがあってハードルは高い。

なぜ、このような自動運転に興味を持つかというと、運転する煩わしさから開放されるからである。
自動車の運転そのものが楽しいという人もいるだろうが、何か目的を持って移動している人には、運転行為自体は必ずしも重要ではない。
もちろん、運転の煩わしさを感じる理由は、運転マナーの悪さが原因だ。
だから、そうしたストレスを感じない世界が魅力的に感じたりする。

2010年10月6日水曜日

カーブで速く、直線で適切な速度の車を発見

通常、標識や標示によって最高速度が制限されている場所が多いが、標識や表示によって制限速度が指定されていないところでは、法定速度の60km/hが最高速度となる。そうした法定速度で走行可能な道路は急カーブの多い山道に多い。もともと高速走行が難しいため、あえて制限する必要がないのだろう。だが、上手に運転すれば、結構60km/h近い速度で走行することが可能なところもある(60km/hすら超えて走行可能な場合もあるが、それは違法なためここでやって良いとは言えない)。

山道は短い直線と急カーブが繰り返しやってくる。直線でアクセルを踏み込み、カーブが来れば強いブレーキを踏むことを繰り返すような運転をすれば、もっとも速く走行できるが、そのような運転方法は直線で稼いだ速度のエネルギーをカーブが来るたびにブレーキで捨てることになるので燃費が良くない。またアクセルとブレーキの強い操作が多くなることで車の負担も大きく、運転操作も疲れる。山道ではカーブと直線がある以上、ある程度のアクセルとブレーキ操作が必要になるのは仕方ないが、なるべく最小限に抑えたい。
カーブと直線での速度差を少なくして運転していて、後ろについてくる車があった時、そうした車の挙動を見ていると、カーブで引き離された後、直線で追いついてくることが多い。つまり、まっすぐな道だけが速い直線番長なのだが、直線で追い付いてきた後、車間距離を詰めるようなことをしたりするドライバーもいる。直線部分はアクセルを踏むだけなので、どんなへたくそでも速度を出せるだろうが、どうせ次に来るカーブで急減速して速度を捨てなければならない。そのような車はカーブで必要以上に減速しているのだから、直線になったところで一生懸命アクセルを踏み込んで追い付いてきているのではないかと思う。

先日、法定速度で走行可能な山道を運転していたとき、前に小型の軽自動車が走行しはじめたことがあった。車種はなんというのか分からないが車の高さが低めで、軽自動車とはいえ比較的、走行性能が良い種類のものかもしれない。
その車はカーブでの減速が少なく、直線で特別な加速をしているわけではないのに、どんどん離されていく。無理について行こうと思うとこちらのスムーズな運転を維持できなくなるため、そんなことはしないが、珍しく軽自動車でも速い車があるものだと思った。というよりは、むしろどのような車でも結局ドライバー次第だということだろう。
山道を終え、見通しの良い制限速度40km/hの直線道路に出たところで、数百メートル前方にその車が見えたのだが、こちらは制限速度のことがあるので、直線だからといって取り締まり対象になるような速度は出さない。こっちはそうした速度のリミットを持って運転していて、その車は今まで速かったことから、これから車間距離がますます広がるかとも思ったが、そうでもなく、車間距離はほぼ変わらない。どうやら、本当に運転のうまいドライバーらしい。制限速度をほぼ守りつつ、限られた範囲で最大限の高速走行をしているわけである。
直線だけは制限速度無視で走り、カーブになると制限速度に余裕があっても過剰に遅くなるようなドライバーとはまったく逆の話で、その車は誰でも速度を出せる直線でも制限速度があれば意図した速度を維持でき、制限速度の甘い山道では、そのことを活用して十分な速度で走る腕をもっているのだ。
しばらく進んだ後、その車は信号のある交差点にさしかかったところで右折していったが、そこでの合図の出し方、赤信号で停止線の手前に止まっている姿、発進のタイミングや右折の仕方を見ていても、たまたまではなく真に運転のうまいドライバーであることを確信した。

2010年9月30日木曜日

合流してからしばらく遅い車

高速道路のICやサービスエリア、ジャンクションから出てきて本線に合流した後、低速走行を続け、しばらくしてから巡航速度に加速する車を見かけることがある。
そうした車に後ろからついていて本線に合流した場合や、本線を走行中に、前方へそうした車が合流してきた場合に、前を遅めの速度で走られるため、やむなく追い越しを強いられるのだが、その後しばらくしてから結局追い越され直すことがある。遅いといっても80km/h程度の速度であり、なんとか追い越しをせず我慢できなくもないが、巻き込まれて減速するよりは横に追い越し車線がある以上、そちらに回避する方を選ぶ。80km/h程度の速度で数分走り続けた後、90km/hや100km/hに徐々に加速して最後には追い越していくのである。それなら合流したときすぐに巡航速度まで加速してもらえれば、お互い追い越さずに済んで余計な手間がかからない話だ。
合流してから巡航速度より遅い速度でしばらく走り続け、その数分後にようやく巡航速度まで加速する。その間にいったい何を待っているのか。
高速道路だけでなく、一般道路でも同様の運転をするドライバーがいる。
目の順応や、エンジンが温まるのを待っているという可能性も考えられるが、それほど高速走行が必要でもない制限速度40km/h程度の一般道路に面したガソリンスタンドから出てくる車ですら、しばらく低速走行をしていたりする。

特に理由がないのであれば、後続の車への影響を考えて、すみやかに巡航速度に加速するのが望ましい。ここでいう巡航速度というのは後続の車が望む速度のことではない。合流してきた車が普通に走る速度のことである。合流してからすぐに普通の速度まで加速すればいいものを、無意味にしばらく普通の速度より遅く走ることはないという意味である。合流先の道路で流れている周囲の速度に合わせろと言っているのではないので勘違いしないでいただきたい。周囲の速度が合流する車にとって速すぎるのであれば、それより遅い速度で走行を続けることは仕方がないことだ。問題は遅い速度でしばらく走行して、少し経ってから速度を上げるのであれば、はじめから最終的な速度まで加速すれば良いという簡単な話である。

理想的な走行パターンでいうと、巡航速度が50km/hだとすれば、アクセル開度をほぼ一定に維持したまま50km/hまで加速し、50km/h直前でアクセルを緩めて50km/hをぴったり維持する。赤信号等で減速するときは、一定の減速度で減速し、停止線の手前の狙った位置にスッと停止する。後続車にとってシンプルで分かりやすく、運転がしやすいはずだ。
だが、加減速中に加減速度を上げたり下げたりすれば、後続の車にとっては脈絡のない加減速に付き合わされたり、そうならないよう加減速を平滑化するために2つ以上前の車の様子も伺いながらコントロールするなど、一手間煩わしさが増えることになる。

2010年9月22日水曜日

想像以上の頭の悪さを想像しておく

立ってトマトを手に持ち、トマトを持った腕を伸ばす。そしてトマトを手から放す。するとトマトは床に落ちる。
当たり前の話である。だが、こうした当たり前のことを、誰でもが分かっていると思い込んでいると、その期待を裏切られることがある。

例えば、自転車が道の左寄りを走行していて、その後ろで原付バイクが左寄りを走行していたとする。そしてさらに後ろであなたが自動車を運転していたとしたら、前を走る原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更してくることは考えるまでもなく当たり前に予測できるだろう。それなら原付バイクが自転車を追い越すために右に出てくるよりもっと大きく右へ避けることで原付バイクと自転車をいっぺんに追い越すこともできる。あまりいいこととは思えないが、それであれば分かっているだけまだましだ。原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更できないような形で原付バイクを追い越そうとしたり、ひどいケースでは、原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更を始めると、まるで原付バイクが右に進路変更する可能性について気づいていなかったかのように驚いて回避しなければならない自動車がいたりする。驚くことに本当に想定していないことがあるのだ。当然、分かりきっていることだと思っていても、気付いていない可能性を想定しておかなければならない。

このようなことはあらゆる状況において起こり得る。
おそらく頭が悪いというよりは、考える習慣がなく、日常的に予測するということが身についていないのだと思われる。その場、その時で行き当たりばったりで行動するような生活をおくっているのであろう。
そうであるから、何ら悪気はないにしても、上記のようなケースで、原付バイクが自転車を追い越そうとしているタイミングに自動車で追い越そうとして、原付バイクが自動車の直前に進路変更するような形になると、まるで原付バイクが危険行為でもしたかのように勘違いすることがある。原付バイクは進路変更するにあたって後方確認をしなければならないというのはそれはそうだが、それでも自動車側であらかじめ進路変更する可能性を想定していれば、いざそうした行動をとられてもなんら驚くことはないはずだ。そして大抵の場合は原付バイクが進路変更する挙動を事前に察知できているだろう。

こうした想像を越えた想像力のないタイプの人は、想像を越えた自己中心的であることが多い。
原付バイクが追い越すことよりも、自らが原付バイクを追い越すことが優先されると考えたりするのである。それは自己利益のためのこじつけの理屈で正当化していることが多い。例えば、自動車と原付バイクの最高速度の違いを持ち出してきて、速度が遅い車両より速度が速い車両が優先されるというような、どこにも存在しない架空の地位制度を創作したりするようなことである。

2010年9月16日木曜日

原付バイクを差別する勘違いドライバー

先日、兵庫県でミニバイクと自動車の事故があり、新聞等で報道された。
バイクがセンターライン寄りを走っていたことに腹をたてた自動車の運転手がいったんバイクを追い抜き、減速して運転席側のドアを開けて、バイクを転倒させ、約1か月のけがを負わせたとされている。
自動車の運転手は故意にぶつけた訳ではないと言っている。

ミニバイクは原動機付自転車のことだと思うが、法定速度は30km/hである。確か道路交通法で左寄りを走るように決められていたように思う。そうでなくても、速度が遅いため左端に寄って走行する方が、自動車に追い越しをさせるためには良いだろう。
ただし、駐車車両等の障害物がある場合や、追い越しをするため、あるいは右折のときに進路変更をする場合があるので、バイクがいつでも左端にぴったり寄って走っていると思い込まないようにしておきたい。

おそらく自動車の立場としてはバイクがセンターライン寄りを走ることで、追い越しがやりくく感じたのだろう。追い越しのためにバイクは左端に寄っておくべきだという固定観念をもっていて、そうでない行動をするバイクに制裁を加えようとしたのだと想像出来る。

以前、私が原付バイクを運転していたときのことだが、後ろにパトカーが現れたので、周囲にいた他の原付バイクが一斉に低速走行になったことがある。それがあまりにも遅すぎたので、それらの遅い原付バイクを追い越しにかかったことがある。追い越すといっても真後ろにパトカーがいるので、速度を一気に上げて抜き去るわけにもいかず、取り締まり対象にならない程度の速度で、ゆっくりと追い越していくことになる。
すると、私の原付バイクの後ろにパトカーがぴったりつけて煽り運転のようなことを始めだし、それでも速度を上げる訳にいかないので、ゆっくりと追い越しを続けるしかなかったことがある。パトカーの運転手からしてみれば、遅い原付バイクをそれより少し速い原付バイクがゆっくりと追い越しているので、道をふさがれて前に出れず、煽り運転をしたのだと思う。
パトカーのこうした行動は、ものごとを理解していない行為であると思うが、しかし、これは先程挙げた事故を起こしたドライバーにも通じる思い込みがあることを表しているように思う。

原動機付自転車の法定速度は30km/hであるから、それより遅い速度、例えば28km/hで走行している何かがあった場合、原動機付自転車は2km/hの差で追い越しをすることになる。速度差が少ないので追い越しを終えるのに時間がかかる。そうした状況で50km/hで走行する車が追いついた場合、当然に30km/hで追い越しをしている原動機付自転車が追い越しを完了するのを後ろでおとなしく待つことになる。二段追い越しをしてはならないし、車間距離も確保しておかなければならないからだ。
原動機付自転車が追い越しを完了したなら、その時はじめて追い越しを実行できる条件が得られる。もちろんそのまま28km/hで走行する何かの後ろを走行し続けることもできるが、30km/hで走行する原動機付自転車も含めさっさと追い越していく方が楽だろう。
しかし、気ぜわしいパトカーのドライバーはじっと構えた運転ができず、前を走る原付自転車に対し煽り運転をしてしまったわけだ。

原動機付自転車は自動車に比較して最高速度が遅い。車両価格も安いし、車体も小さい。免許証も自動車に比較すると簡単に取得できる。
だが、それが追い越しの優先順位や道路交通における地位を決定づけるものだろうか。
自動車を運転する人の中には、原動機付自転車に対し見下げたような意識がある人がいるように思う。
28km/hで走行するなにかを30km/hで走行する原付バイクで追い越せば時間がかかるのは分かりきっている。それを後ろで走る車が見ていたとして、そんなことも分からないのだとしたら、どれだけ想像力がないのかと思える。分かるのであれば、どうすれば良いか分かるはずだ。分かっていれば嫌がらせに煽り運転をすることもできようが、追い越しを完了するのを落ち着いて待つこともできる。

最初に取り上げたドアを開けてミニバイクの運転手にケガをさせるような事故(事件)も、根底にはミニバイクに対する勘違いがあるように思える。下等なバイクは自動車“様”のために左端に寄せて走らなければならないという思い込みがあるのだ。

2010年9月3日金曜日

ETCレーンのバーを破壊

高速道路のETCレーンで、ゲートのバーが折られることがあるらしい。ETCカードの挿入を忘れていたり、有効期限が切れていることに気づかず、正常にバーが上がることを見込んで減速せずに通過しようとするドライバーがいるのだ。
最近はバーが開くタイミングをわざと遅くして、強制的に減速させるように対策されている。

バーが開くのを確認してから通過するのと、減速せずに突っ込むのとで、どれほどの違いがあるというのか。
その僅かな時間を節約するからには、サービスエリアでトイレに行くときは走っていくのだろうか。

ゲートが開くことを見越して、あまり減速せずに通過するということが、手馴れたように見えて、上手に見えると思っているのかもしれない。そして、減速して通過する車は、のろまだと思っているのかもしれない。
機械は故障することがあるし、その機械を操作する人間はもっと間違いをおかしやすい。ゲートが確実に開く保証などどこにもないのだ。バクチを打って突撃している姿は、うわべの格好だけを考えた浅はかな行動にしか見えない。

冷静に考えれば、開いていないゲートに一か八かで突っ込むことと、開いたことを確認して通過することのどちらが賢明であるかは誰でも分かる。だが、現実にはゲートの開くタイミングを遅くして強制されないと、それができない人間がいるのだ。
こうしたことからみても、他の多くの運転マナーの悪いことは、強制されるまで、なくなることがないのだろう。

2010年8月26日木曜日

ばくち運転

走行レーンのない狭い道にある右折や右カーブで、曲がった先が建物等に遮られて見えないところがある。交通量も少なく滅多に対向車が来ないとしても、コーナーのイン側ではなく、アウト側に寄せて曲がらないと、万一、対向車があったときは衝突の危険性がある。かつて一度も対向車が来たことがないところで、何も来ないと分かっていても、ギャンブルをするわけにはいかない。
衝突しなくても、対向車は回避行動を余儀なくされ、余計な面倒をかける。

狭い路地にあるような交差点で、交差するどちらの道路も一時停止が必要なところで、一時停止のできていない車がある。相手が止まってくれることを前提にして運転しているのだ。見込み違いがあったときに衝突の危険性が高まる。

事故は危険なだけでなく、費用や後始末を考えると絶対にしたくない。確率の問題ではなく百発百中でなくてはならない。

残念ながら博打をうってくる車の存在も考えておかなければならない。
コーナーではその分も含めて注意をしておかなければならないし、交差点でも同じだ。

2010年8月25日水曜日

高速道路の渋滞に追突

高速道路の通行料金が上限1000円とか無料とか言われて、見かけ上は安くなっており、それで連休ともなるとあちこちで渋滞が発生する。
渋滞の最後尾につくときは、後ろからの追突を防止するためにハザードランプをつけることが多い。渋滞の最後尾に来たときにいきなり急ブレーキで停止する人もいないだろうから、普通に運転している限り追突することはなさそうにも思える。

2車線の高速道路で、走行車線を前の車に続いて走行していて、前の車が追い越し車線に進路変更したとき、突然、目の前に停車車両が現れる可能性がある。前を走っている車が渋滞の最後尾に来たので、空いている追い越し車線側に進路変更したような場合だ。車間距離を十分にとっていないと、かなり危険なことになる。走行車線側だけでなく、むしろ追い越し車線側の方が、速度が速く、進路を開けてくれるのだと勘違いしそうで、もっと危ない。ましてや煽り運転のような車間距離だったら大惨事だ。
こうした事故を防ぐために、渋滞の最後尾に来てから、いきなり進路変更してはならない。また、前の車が進路変更するときは、その陰に何かあるかもしれない可能性を考えておかなければならない。高速道路で渋滞の最後尾につくときは、常識的に考えてハザードランプやポンピングブレーキなどで合図し、ゆるやかに減速するものだと思い込まないようにしたい。後ろに続く車のことなど一切考えていないドライバーというのもいるのだ。

2010年8月24日火曜日

エコや安全装置に期待したい

追突防止装置とか衝突防止装置と呼ばれる追突事故を防いだり、被害を少なくする仕組みを搭載した自動車がある。何かに追突しそうになると、警告を発したり、自動的に減速するようになっているのだ。
こうした仕組みの普及は歓迎したい。というのは煽り運転を防止する効果もあるのではないかと思うからだ。
車間距離が少ないと、前を走行する車がやむなく急ブレーキをかけなければならなかった場合に、事故を回避できない可能性がある。車間距離が詰まっていては追突防止装置があっても効果は限定される。そうした危険な運転状況になることを防ぐために、車間距離を詰めているときも、警告を発したり、減速するようになれば、煽り運転状態になりにくくなるのではないかと期待できる。煽り運転をするようなドライバーはそうした装置が装着されていても、無効にしたり、警告を無視するかもしれないが、それは正真正銘の悪質ドライバーであるから別として、それ以外のなんとなく煽り運転をするようなドライバーには効果があるかもしれないと思う。

エコとか燃費向上のために信号待ちで自動的にアイドリングストップする車が登場している。信号待ちで停止して一定時間が経過すると自動的にエンジンを停止し、燃料を節約する。発進するときはエンジンを再起動する。これは信号待ち等で用もないのにズルズルと前に進むような行動を抑止できる効果があるのではないかと期待できる。ちょっとずつ止まったり進んだりするような場合、アイドリングストップは邪魔なだけで意味がなく、むしろ不快なだけだ。だから、止まるときは止まる、進むときは進むといった、メリハリのある運転にならざるを得ない。それで、だらだらとした運転が少なくなってくれるとありがたい。

将来的にエンジンがモーターに置き換わると、マフラーの騒音をなくすことができる。他人にとっては迷惑なだけで、格好いいわけでもないのにマフラーを取り替えてうるさい音を出している車があるが、モーターになればそれもなくなる。

こうして考えると近い将来に向けて、車社会での生活も少しは明るい部分がありそうだ。

2010年8月23日月曜日

自動車は体でなく頭で運転するもの

レースをしているわけでもない一般の道路で普通に自動車を運転する場合は体力や反射神経よりも、考える能力が重要である。
ハンドルを素早く操作するのは腕の筋力が強い方が有利であろうし、とっさの時には反射神経も必要であろうが、そんな特殊な状況ではなく、普通に運転している時というのは、先読みや計画性といった考える力の方が大切だ。
筋力や反射神経がどうのこうのという前に、はじめからそうしたものが必要にならないようにするのが先決なのだ。

進行方向別通行区分のある交差点で右左折するなら、なるべく早めに進路変更しておきたいのは普通に考えて分かることであるが、そんな分かりきったことだけではなく、様々な場面において考えるということが大切だ。
歩行者や自転車が飛び出してきてから慌てて避けるのではなく、あらかじめ歩行者や自転車が飛び出してくる可能性を考えておく。
他の交通の動きを予測する。また、その予測がハズレることがあることを予測しておく。
自分の車の動きが後ろに続く車へどう影響するか考える。
渋滞があることが分かっているなら、時間やルートを変えたり、早く出発して対処する。

背中はシートに、頭はヘッドレストに付けて、肩の力を抜き、広く見回すような姿勢でスマートに運転したい。

2010年8月18日水曜日

追い越し車線は共有している

2車線の高速道路では左側が走行車線で右側が追い越し車線である。通常は左側を走行するが、速度の遅い車に追いついた場合は、追い越し車線を使って追い越すことができる。
ひとつしかない追い越し車線を、追い越しを行う車で共有することになるので、追い越し中の車よりもっと速い車が追いつくと、その車は追い越し車線を使うことができなくなり、一時的に減速を強いられて、前の車が追い越しを完了するのを待つことになる。
高速道路の構造上、普通に考えてそうなるし、それから逃れようがない。

以前、リミッターのある大型トラックの記事にも書いたが、追い越し中の車の後ろに、他の車が追いつくと煽り運転のような極端に車間距離を詰めて走行している車をよくみかける。上記のことを踏まえれば、訳の分からない行動である。前で追い越し中の車に対し、速やかに追い越しを完了させるよう働きかけているものと思われるが、そのやり方は追い越し中の車に過度の緊張をもたらし、居心地の悪い思いをさせる。

それにしても、そうした行動をするドライバーがあまりにも多すぎるように思える。追い越し中の車に他の車が追いつくとかなりの確率で煽り運転を始める。これは煽り運転が横行しているという域を超えている。追い越し車線で追い越し中の車に追いついた車は煽り運転をする。ということが正常であるかのようになってしまっている。つまり、その行動が社会的コンセンサスのとれたノーマルなことであると多くのドライバーに認識されているのではないかと疑ってしまうほどだ。

2010年8月16日月曜日

最高速度100km/h以上は不要?

三重県と滋賀県に新名神高速道路という高速道路がある。道路幅や車線の幅が広く、曲線半径や勾配もゆるやかに造られており、設計速度が120km/hともいわれている。実際に走行してみると路肩も広いし、トンネル内も明るくて、高速走行に安心感がある。

設計速度が120km/hといっても高速道路での法定速度は100km/hであるからそれ以上の速度を出すことはできない。そこで法を改正する等して120km/hで走行可能にしてはどうかという話になる。仮に120km/hで走行可能だとすると、取り締まり速度の猶予分を考えて、実質140km/h付近まで速度を出すことができるという現実になる。
だが新名神高速道路を走行していると、あの十分な広さの道路ですら100km/hに満たない速度で走行している車が多い。もちろん、そのこと自体は何も間違っていないのだが、言いたいことは、速度を出せても出そうとしない車が多いということである。
リミッターで90km/hまでしか出せない大型トラックや、出力の小さい車のことではなく、普通の車がそうなのだ。
理由を探せば、高速域になると空気抵抗が大きくなるので燃費が悪化するとか、エンジン音が大きくなるといったこと。事故になったときの被害が大きくなるという心配もあるが、率直に言ってほとんどのドライバーが丁寧に速度を意識した運転をしているかというと疑問に思うところである。本当はたいした理由もなく適当な速度で走行しているのではないかと考えたりする。

新名神高速道路だけでなく東名高速道路等の100km/h区間でも、設計速度はどうか分からないが実際には100km/hを超える速度で十分走行可能だ。だが、やはり100km/h前後かそれ以下で走行している車が多数である。

こうして100km/h以上の高速走行が求められているとは思えないところをみると最高速度の120km/h化は現状ではやはり時期尚早ということなのかもしれない。