2010年11月5日金曜日

プラスマイナスゼロ 譲られるのが当たり前ではない

信号待ちをする車の列に対して、横の路地から合流しようとしたり、店舗の駐車場から出てきて合流しようとする場合がある。こうした時、車列に隙間がないと当然入ることができない。だから、車列の中には隙間を空けたまま待ってくれる車がいることがある。こうした場合はスムーズに入ることができるが、そうでない場合は間隔が空いたり、入れようとする意思を持つ車が来るのを待つしかない。この時、積極的に隙間を作ろうとしないドライバーがいたとしたらそれは悪であろうか?・・・もちろん、何もわざわざ意地悪をすることはないが、相手が親切をすることを当然のことであると考えることも適切ではない。
人の優しさを当たり前だと考えると無用なストレスを生むことがある。それは思うような行動をしない車に対して腹を立てて、報復をしようとしたりすることにも発展する。

本来、何もしないのが当たり前で、そこがスタート地点、プラスマイナスゼロなのだ。それに加えて親切にされることは、あくまでプラスアルファの出来事である。
他人に親切にしようと励むのは人として立派なことであり、誰もがそうであることが望ましい。だが、一方で自分自信の望みのために他人に世話になることを当然のことであるかのように決めてかかることは独善的だ。

他人に親切にしなくて良いという意味ではない。むしろ、これは他人に対してどう対処すれば良いか示していて、反面教師とするべきである。
それならば、間に入りたい車がいたとして、どうするのが理想であるかは分かることであり、現に大抵の人はそうしているのである。

そのことを踏まえて、先の例のように間に入れないような場合があったとすれば、得てしてそうしなければならない何か理由があるものである。塞いでいる車は仮に前方に空間があっても、死角となる位置に通行人がいて前に進めないというようなこともありえる。

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