2010年11月9日火曜日

渋滞解消のためにメリハリのある前進を

メカニズム的に渋滞が早く解消するためには、渋滞先頭からの脱出を速やかにするとよい。渋滞最後尾に流入してくる量より、排出量を増やす作戦である。
到達する先に渋滞があると分かっているような場合は手前から速度を落としておき、渋滞への参加を遅らせるようにする。渋滞の先頭では前の車が加速していくのに合わせてなるべく早く加速するようにする。できれば二つ前の車の動きを視野に入れておくと行動を早められる。
これは、どこかの研究者の受け売りなので、おそらく正しい理屈だろう。

さて、定期的に前に進んだり停車したりを繰り返すほぼ停止に近いような渋滞に巻き込まれることがある。この時、前に進むのを何回にも分けて行われると、後ろについている車がその無意味な手間に付き合わされるのでいい迷惑であるというのは、このサイトで今までに何回も言っている。
具体的には10メートルの車間があったとして、まず最初に5メートル前に進んでいったん停車し、その2~3秒後に残りの5メートルを詰めるというようなことだ。それなら始めから一発で10メートルを詰めれば簡単なことである。
そうした車が前にいるとき、一度そんな目に遭わされると、2回目からも同じように手間のかかることに付き合わされるかというと、さすがに次からはついていかなくなる。前の車が進んでもしばらく放置しておき、あとからまとめて詰めたくなってくるのだ。
だが、前の車が進んでも後ろの車が付いてこないのでは、先の渋滞のメカニズムから考えると渋滞の解消にはあまり良くないことになりそうだ。いざ渋滞の先頭付近になっても前の車を信用できないので、すぐに加速しないからだ。

前に面倒くさい車がいても、後ろの車がいちいち詰めるという解決もあろうが、本当は前の車ができるだけ単純な前進をすることを求めたい。
さっと前に進み、早すぎず、遅すぎず、無用な加減速をせず一定の速度で前進して、適切な位置にピタッと止める。そんな動きをするようにすれば、後ろの車は前の車を信用できるようになり、ついていくのが楽になる。それがほんの僅かに渋滞解消に貢献できる・・・かどうかは分からないが。

2010年11月8日月曜日

思いつきでハンドルを切る前に一呼吸置いて

車を運転していて、左側にガソリンスタンドの入り口があるのが目に入って、そういえばガソリンがなくなりそうだから給油をしておこうと思い、左にハンドルを切ったとたん車の左側面にガシャーンとバイクが突っ込んでくるというのはありがちな話である。

ウインカーを出して車を道路の左端に寄せ、絶対にバイクが入れないところまで隙間を狭めておいてから、右にふくらむことなく左折してガソリンスタンドに入れば、こうした事故は起こらない。普段からそのようにしていても、ガソリンスタンドに入ることを突然思いついたのではそうできないことがある。できないのであれば、かなり慎重な運転が必要だ。

このケースで決定的にまずいのが突発的な行動ということだ。運転者も予定していない出来事なのだから他の交通は予測できるわけがない。

終始セカセカ、イライラした気持ちで運転しているとこうした危険が出てくる。
急にガソリンスタンドに入ることを思いついても、一呼吸置いて、よく確認してから行動するような余裕が欲しい。余裕というのはひとつには慌てず、日頃からの落ち着いた運転スタイルから生まれる。ハンドルをギュッと握り締めて、顔を近づけて前かがみに運転するのではなく、ハンドルは軽く持ち、気持ちとしてはシートにのけぞるようにするぐらいの気持ちで良い。通常時の自動車の運転というのは瞬発力や咄嗟の判断でするものではない。自動車は知能で運転するものであると理解し、冷静な判断で計画的に運転することである。一般道路の交通における運転がうまいというのは身体能力が高いという意味ではなく、頭が良いということである。計画性も知的活動のひとつだ。

もうひとつは、たとえ何か思いついても動じない強さである。ガソリンスタンドなんてものはひとつふたつ通りすぎても他にいくらでもある。翌日に延期してもいいし、延期しても問題ない余裕を持っておきたい。どうしてもと言うなら、先に進んでから安全なところでUターンしてきても良い。それでも目の前のガソリンスタンドに入りたいと言うなら、それ相応の注意深い運転を要する。その注意のためにもやはりまず始めに咄嗟の出来事に動じない強さが必要である。

2010年11月5日金曜日

プラスマイナスゼロ 譲られるのが当たり前ではない

信号待ちをする車の列に対して、横の路地から合流しようとしたり、店舗の駐車場から出てきて合流しようとする場合がある。こうした時、車列に隙間がないと当然入ることができない。だから、車列の中には隙間を空けたまま待ってくれる車がいることがある。こうした場合はスムーズに入ることができるが、そうでない場合は間隔が空いたり、入れようとする意思を持つ車が来るのを待つしかない。この時、積極的に隙間を作ろうとしないドライバーがいたとしたらそれは悪であろうか?・・・もちろん、何もわざわざ意地悪をすることはないが、相手が親切をすることを当然のことであると考えることも適切ではない。
人の優しさを当たり前だと考えると無用なストレスを生むことがある。それは思うような行動をしない車に対して腹を立てて、報復をしようとしたりすることにも発展する。

本来、何もしないのが当たり前で、そこがスタート地点、プラスマイナスゼロなのだ。それに加えて親切にされることは、あくまでプラスアルファの出来事である。
他人に親切にしようと励むのは人として立派なことであり、誰もがそうであることが望ましい。だが、一方で自分自信の望みのために他人に世話になることを当然のことであるかのように決めてかかることは独善的だ。

他人に親切にしなくて良いという意味ではない。むしろ、これは他人に対してどう対処すれば良いか示していて、反面教師とするべきである。
それならば、間に入りたい車がいたとして、どうするのが理想であるかは分かることであり、現に大抵の人はそうしているのである。

そのことを踏まえて、先の例のように間に入れないような場合があったとすれば、得てしてそうしなければならない何か理由があるものである。塞いでいる車は仮に前方に空間があっても、死角となる位置に通行人がいて前に進めないというようなこともありえる。

2010年10月26日火曜日

交差点を曲がった後ぐずぐず遅い

以前、合流してからすぐに加速しない車のことについて記事を書いたが、それは交差点で曲がる場合にも言える。
交差点で曲がるために低速になるとしても、曲がりきって直進になったなら速やかに加速して、交差点からとっとと離脱するのがよい。すぐに加速しなければ、後ろに続く車が次々と曲がって来られないからだ。信号が青になっている時間も限られているから、可能な限り多くの車が曲がれるように、前の車に続いててきぱきと曲がっていくのがよい。

デパート等にあるエスカレーターでも、上がり切って降りたところで立ち止まって、さてどこに歩こうかなどと考えていては、後ろから上がってくる人達は行き場を失う。エスカレーターから降りたなら何はともあれさっさと前に進んで欲しいのである。

交差点を出てからではなく、交差点で曲がり終えながら加速していくのが理想的だ。ちょうどワインディングでスローインファーストアウト走行するようなイメージかもしれない。曲がりきってからさて加速をどうするか、ではなく、曲がりながら次の加速のことを考えているような運転の進め方だ。

実際は、交差点を曲がった先に横断歩道があることもあるし、前の車が急ブレーキを踏むことや、それ以外のことが起こることも考えておかなければならない。あくまで車間距離をとり、注意深く運転した上で、速やかに曲がっていく。一般の道路交通における運転技術の発揮される場面というのはこういうところこそなのだ。

2010年10月21日木曜日

高級車に乗る低級人

高級車と呼ばれるカテゴリーの車がある。装備が充実していたり、エンジンが高出力であったりして、価格の高い車だ。
過剰な性能の車を所有するというのはひとつのステータスのように考えられるのかもしれない。例えば、ピラミッドや古墳といった権力の象徴を表すようなものと同じで、どこかの社長さんが使う車であったりとか、ファッションではなくブランドを追い求めるような衣類の選択をする人達と同じようなものかもしれない。
車をツールとしてとらえている私にとって、そうした考え方にはズレを感じるが、それは価値観の違いであるということで片付ければ良い。

具体的な車種名を挙げて申し訳ないが、高級な種類の車のひとつにトヨタ製のセルシオというのがあって、どうもこの車は印象が良くない。この車の所有者すべてを一括りにするつもりはないが、このタイプの車は運転が上手でないドライバーを見かけることが稀にある。以前の記事にも書いたが、私が言う運転がうまいというのは、他人より速く走ることでも、手際が良いことでもない。自分以外の人間が楽になる運転方法のことを運転がうまいと言っている。
いや、実際は山道で極端に遅いという単純な運転能力に起因した問題のあるドライバーというのも見たことがあるが、それはこの車種に限らずあることだろう。そういう直接的な運転能力は人間的な欠陥ではないし、ある意味仕方ない面もある。

もっと正直に言おう、運転が上手でないというよりはある種の異常に近い行動をしていることがあるのだ。
頻繁な車線変更をしていたり、手際の悪い車に対し(おそらく威圧することを目的として)数十秒間に渡ってクラクションを鳴らしっぱなしにしたりするよう行動だ。
落ち着きのない不自然な動きをしているので、傍から見ていても分かりやすい。

何度か、こうした車を所有する人間と触れる機会があるが、人としてもやや違うものがあるのではないかと思えることがある。一見、異常者には見えないのだが、思想の根っこの部分で違和感を感じることがある。

どんな高級な車に乗っていようと、運転者が下手であれば、それに合った動きしかできない。
高級な車に乗っていても中に乗っている人間が低級なら、低級な性能しか発揮できないのだ。

2010年10月20日水曜日

ウィンカーを出しておかず、足を引っ張り合うドライバー達

ありがちなのが信号待ちでウインカーを出しておかない車。
赤信号で待っているときにウィンカーをつけたままにしておくと、カッチン、カッチンうるさいということは分かるのだが、他の車がどちらに曲がるか分かることが、運転における有効な情報のひとつになる場合があるので、ウィンカーをつけたままにしておくのが望ましい。
特に最後尾に停車する場合に意味のあることが多いが、それに限らず、信号待ちの最前列や途中で停車している場合でも、他の車にとって意味を持つ情報になることがある。

複数車線に分かれていて進行方向別通行区分があるような交差点では、信号待ちの最後尾につけるときウィンカーをつけるか、後ろに車が来ていない場合は、つけたままにしておくと後ろの車にとってその後の行動を決定する助けになる。
片側二車線の道路で、前を走る車が右折の合図を出さない時、後ろについた車は前の車が直進するものだと信じてついてきているとしたら、交差点直前になって前の車が突然右折の合図を出したとしても、後ろの車はすぐに左に回避できない可能性がある。十分に前もって右折の合図を出しておけば、後ろの車にも対処のしようがあったかもしれないが、交差点直前になってしまっては、その猶予も得られなくなる。後ろの車にとってみれば、前の車がウィンカーを出していれば何でもないことなのに、むやみにスムーズさを潰す行動に対してストレスを感じることもあるだろう。

片側二車線の道路を直進するために運転しているのを想像したとき、頻繁に右左折する車がいてそのたびに直進の交通を減速させ、それがウインカーを出さなかったり、道路端に寄せることをしないで、必要以上に直進車の手間をかけさせているとしたら、文句のひとつもでてしまいそうだ。
通常は向かう目的地があって車を運転しているのであろうから、道を曲がらなければならないことがあるのは仕方ない。だが、その行動にあたって、他の交通を故意に妨害をする必要まではない。

右左折するなら、早めの合図を出し、左折するなら道路の左端に、右折するなら右端に寄せる。右や左の車線に移動するという意味ではない。左または右の車線の中で左端や右端に寄せるという意味である。なんなら路側帯内や道路端の白線を越えるほど端に寄せてもよい。
そのようにして、なるべく大きく空間を開けるようにすれば、直進車の通過にとってありがたいことになるだろう。

2010年10月12日火曜日

手動車が自動車に変わるとき

“自動”車といっても自動車は自動で走ってくれるわけではなく手動で運転するものだ。そういう意味で言うと自動車ではなく“手動”車が正しいのではないか。というようなつまらない突っ込みはともかく、最近のニュースでgoogleが自動で運転する本当の自動車を研究しているらしいというのがあった。プリウスを改造した実験車で、地図とセンサーを組み合わせて交通状況を把握しながらコンピュータ制御によって自動走行するらしい。

自動運転というと、人間が自動車を運転するスタイルをそのままロボットに置き換えたイメージで考える人がいるかもしれない。たとえばカメラで捕らえた映像を解析して、周囲の状況を把握しながら自動運転するようなイメージだ。しかし、そうしたやり方はかなり難しいのではないかと思う。もっと違う発想も必要なように思う。
例えば、道なりに走る方法としては、GPSに精度と信頼性があれば、不可能ではないかもしれない。また地面に磁気を利用した目印を埋め込むような方法も考えられるだろう。速度やルートの制御は周囲を見て行うのではなく、他の交通も含めて指令センターで集中管理されている情報から最適な選択が行われる。目の前に他の車が見えるから減速するのではなく、指令センターで前方に交通があることを把握していて、それらの交通を踏まえた計算結果の元、速度の制御を指令され、自動的に速度が変化するわけである。
すべての車が完全な自動運転になった世界では、交差点ではコンピュータによって計算されたタイミングで車がすれ違うことができるから、もはや信号機は必要なくなる。そればかりか視覚で運転しているのでなければ道路標識や道路標示すら不要だ。
人間はただ目的地を入力して寝ていれば勝手に車がそこまで行ってくれる。夢のような話だ。

実際は自動運転可能ルートを外れた場所では手動運転が必要になるだろうし、人間が運転する自動車が混在していたり、バイクがあったり、歩行者や自転車のこともある。技術的なこと以外にも法的な問題や様々なことがあってハードルは高い。

なぜ、このような自動運転に興味を持つかというと、運転する煩わしさから開放されるからである。
自動車の運転そのものが楽しいという人もいるだろうが、何か目的を持って移動している人には、運転行為自体は必ずしも重要ではない。
もちろん、運転の煩わしさを感じる理由は、運転マナーの悪さが原因だ。
だから、そうしたストレスを感じない世界が魅力的に感じたりする。

2010年10月6日水曜日

カーブで速く、直線で適切な速度の車を発見

通常、標識や標示によって最高速度が制限されている場所が多いが、標識や表示によって制限速度が指定されていないところでは、法定速度の60km/hが最高速度となる。そうした法定速度で走行可能な道路は急カーブの多い山道に多い。もともと高速走行が難しいため、あえて制限する必要がないのだろう。だが、上手に運転すれば、結構60km/h近い速度で走行することが可能なところもある(60km/hすら超えて走行可能な場合もあるが、それは違法なためここでやって良いとは言えない)。

山道は短い直線と急カーブが繰り返しやってくる。直線でアクセルを踏み込み、カーブが来れば強いブレーキを踏むことを繰り返すような運転をすれば、もっとも速く走行できるが、そのような運転方法は直線で稼いだ速度のエネルギーをカーブが来るたびにブレーキで捨てることになるので燃費が良くない。またアクセルとブレーキの強い操作が多くなることで車の負担も大きく、運転操作も疲れる。山道ではカーブと直線がある以上、ある程度のアクセルとブレーキ操作が必要になるのは仕方ないが、なるべく最小限に抑えたい。
カーブと直線での速度差を少なくして運転していて、後ろについてくる車があった時、そうした車の挙動を見ていると、カーブで引き離された後、直線で追いついてくることが多い。つまり、まっすぐな道だけが速い直線番長なのだが、直線で追い付いてきた後、車間距離を詰めるようなことをしたりするドライバーもいる。直線部分はアクセルを踏むだけなので、どんなへたくそでも速度を出せるだろうが、どうせ次に来るカーブで急減速して速度を捨てなければならない。そのような車はカーブで必要以上に減速しているのだから、直線になったところで一生懸命アクセルを踏み込んで追い付いてきているのではないかと思う。

先日、法定速度で走行可能な山道を運転していたとき、前に小型の軽自動車が走行しはじめたことがあった。車種はなんというのか分からないが車の高さが低めで、軽自動車とはいえ比較的、走行性能が良い種類のものかもしれない。
その車はカーブでの減速が少なく、直線で特別な加速をしているわけではないのに、どんどん離されていく。無理について行こうと思うとこちらのスムーズな運転を維持できなくなるため、そんなことはしないが、珍しく軽自動車でも速い車があるものだと思った。というよりは、むしろどのような車でも結局ドライバー次第だということだろう。
山道を終え、見通しの良い制限速度40km/hの直線道路に出たところで、数百メートル前方にその車が見えたのだが、こちらは制限速度のことがあるので、直線だからといって取り締まり対象になるような速度は出さない。こっちはそうした速度のリミットを持って運転していて、その車は今まで速かったことから、これから車間距離がますます広がるかとも思ったが、そうでもなく、車間距離はほぼ変わらない。どうやら、本当に運転のうまいドライバーらしい。制限速度をほぼ守りつつ、限られた範囲で最大限の高速走行をしているわけである。
直線だけは制限速度無視で走り、カーブになると制限速度に余裕があっても過剰に遅くなるようなドライバーとはまったく逆の話で、その車は誰でも速度を出せる直線でも制限速度があれば意図した速度を維持でき、制限速度の甘い山道では、そのことを活用して十分な速度で走る腕をもっているのだ。
しばらく進んだ後、その車は信号のある交差点にさしかかったところで右折していったが、そこでの合図の出し方、赤信号で停止線の手前に止まっている姿、発進のタイミングや右折の仕方を見ていても、たまたまではなく真に運転のうまいドライバーであることを確信した。

2010年9月30日木曜日

合流してからしばらく遅い車

高速道路のICやサービスエリア、ジャンクションから出てきて本線に合流した後、低速走行を続け、しばらくしてから巡航速度に加速する車を見かけることがある。
そうした車に後ろからついていて本線に合流した場合や、本線を走行中に、前方へそうした車が合流してきた場合に、前を遅めの速度で走られるため、やむなく追い越しを強いられるのだが、その後しばらくしてから結局追い越され直すことがある。遅いといっても80km/h程度の速度であり、なんとか追い越しをせず我慢できなくもないが、巻き込まれて減速するよりは横に追い越し車線がある以上、そちらに回避する方を選ぶ。80km/h程度の速度で数分走り続けた後、90km/hや100km/hに徐々に加速して最後には追い越していくのである。それなら合流したときすぐに巡航速度まで加速してもらえれば、お互い追い越さずに済んで余計な手間がかからない話だ。
合流してから巡航速度より遅い速度でしばらく走り続け、その数分後にようやく巡航速度まで加速する。その間にいったい何を待っているのか。
高速道路だけでなく、一般道路でも同様の運転をするドライバーがいる。
目の順応や、エンジンが温まるのを待っているという可能性も考えられるが、それほど高速走行が必要でもない制限速度40km/h程度の一般道路に面したガソリンスタンドから出てくる車ですら、しばらく低速走行をしていたりする。

特に理由がないのであれば、後続の車への影響を考えて、すみやかに巡航速度に加速するのが望ましい。ここでいう巡航速度というのは後続の車が望む速度のことではない。合流してきた車が普通に走る速度のことである。合流してからすぐに普通の速度まで加速すればいいものを、無意味にしばらく普通の速度より遅く走ることはないという意味である。合流先の道路で流れている周囲の速度に合わせろと言っているのではないので勘違いしないでいただきたい。周囲の速度が合流する車にとって速すぎるのであれば、それより遅い速度で走行を続けることは仕方がないことだ。問題は遅い速度でしばらく走行して、少し経ってから速度を上げるのであれば、はじめから最終的な速度まで加速すれば良いという簡単な話である。

理想的な走行パターンでいうと、巡航速度が50km/hだとすれば、アクセル開度をほぼ一定に維持したまま50km/hまで加速し、50km/h直前でアクセルを緩めて50km/hをぴったり維持する。赤信号等で減速するときは、一定の減速度で減速し、停止線の手前の狙った位置にスッと停止する。後続車にとってシンプルで分かりやすく、運転がしやすいはずだ。
だが、加減速中に加減速度を上げたり下げたりすれば、後続の車にとっては脈絡のない加減速に付き合わされたり、そうならないよう加減速を平滑化するために2つ以上前の車の様子も伺いながらコントロールするなど、一手間煩わしさが増えることになる。

2010年9月22日水曜日

想像以上の頭の悪さを想像しておく

立ってトマトを手に持ち、トマトを持った腕を伸ばす。そしてトマトを手から放す。するとトマトは床に落ちる。
当たり前の話である。だが、こうした当たり前のことを、誰でもが分かっていると思い込んでいると、その期待を裏切られることがある。

例えば、自転車が道の左寄りを走行していて、その後ろで原付バイクが左寄りを走行していたとする。そしてさらに後ろであなたが自動車を運転していたとしたら、前を走る原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更してくることは考えるまでもなく当たり前に予測できるだろう。それなら原付バイクが自転車を追い越すために右に出てくるよりもっと大きく右へ避けることで原付バイクと自転車をいっぺんに追い越すこともできる。あまりいいこととは思えないが、それであれば分かっているだけまだましだ。原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更できないような形で原付バイクを追い越そうとしたり、ひどいケースでは、原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更を始めると、まるで原付バイクが右に進路変更する可能性について気づいていなかったかのように驚いて回避しなければならない自動車がいたりする。驚くことに本当に想定していないことがあるのだ。当然、分かりきっていることだと思っていても、気付いていない可能性を想定しておかなければならない。

このようなことはあらゆる状況において起こり得る。
おそらく頭が悪いというよりは、考える習慣がなく、日常的に予測するということが身についていないのだと思われる。その場、その時で行き当たりばったりで行動するような生活をおくっているのであろう。
そうであるから、何ら悪気はないにしても、上記のようなケースで、原付バイクが自転車を追い越そうとしているタイミングに自動車で追い越そうとして、原付バイクが自動車の直前に進路変更するような形になると、まるで原付バイクが危険行為でもしたかのように勘違いすることがある。原付バイクは進路変更するにあたって後方確認をしなければならないというのはそれはそうだが、それでも自動車側であらかじめ進路変更する可能性を想定していれば、いざそうした行動をとられてもなんら驚くことはないはずだ。そして大抵の場合は原付バイクが進路変更する挙動を事前に察知できているだろう。

こうした想像を越えた想像力のないタイプの人は、想像を越えた自己中心的であることが多い。
原付バイクが追い越すことよりも、自らが原付バイクを追い越すことが優先されると考えたりするのである。それは自己利益のためのこじつけの理屈で正当化していることが多い。例えば、自動車と原付バイクの最高速度の違いを持ち出してきて、速度が遅い車両より速度が速い車両が優先されるというような、どこにも存在しない架空の地位制度を創作したりするようなことである。

2010年9月16日木曜日

原付バイクを差別する勘違いドライバー

先日、兵庫県でミニバイクと自動車の事故があり、新聞等で報道された。
バイクがセンターライン寄りを走っていたことに腹をたてた自動車の運転手がいったんバイクを追い抜き、減速して運転席側のドアを開けて、バイクを転倒させ、約1か月のけがを負わせたとされている。
自動車の運転手は故意にぶつけた訳ではないと言っている。

ミニバイクは原動機付自転車のことだと思うが、法定速度は30km/hである。確か道路交通法で左寄りを走るように決められていたように思う。そうでなくても、速度が遅いため左端に寄って走行する方が、自動車に追い越しをさせるためには良いだろう。
ただし、駐車車両等の障害物がある場合や、追い越しをするため、あるいは右折のときに進路変更をする場合があるので、バイクがいつでも左端にぴったり寄って走っていると思い込まないようにしておきたい。

おそらく自動車の立場としてはバイクがセンターライン寄りを走ることで、追い越しがやりくく感じたのだろう。追い越しのためにバイクは左端に寄っておくべきだという固定観念をもっていて、そうでない行動をするバイクに制裁を加えようとしたのだと想像出来る。

以前、私が原付バイクを運転していたときのことだが、後ろにパトカーが現れたので、周囲にいた他の原付バイクが一斉に低速走行になったことがある。それがあまりにも遅すぎたので、それらの遅い原付バイクを追い越しにかかったことがある。追い越すといっても真後ろにパトカーがいるので、速度を一気に上げて抜き去るわけにもいかず、取り締まり対象にならない程度の速度で、ゆっくりと追い越していくことになる。
すると、私の原付バイクの後ろにパトカーがぴったりつけて煽り運転のようなことを始めだし、それでも速度を上げる訳にいかないので、ゆっくりと追い越しを続けるしかなかったことがある。パトカーの運転手からしてみれば、遅い原付バイクをそれより少し速い原付バイクがゆっくりと追い越しているので、道をふさがれて前に出れず、煽り運転をしたのだと思う。
パトカーのこうした行動は、ものごとを理解していない行為であると思うが、しかし、これは先程挙げた事故を起こしたドライバーにも通じる思い込みがあることを表しているように思う。

原動機付自転車の法定速度は30km/hであるから、それより遅い速度、例えば28km/hで走行している何かがあった場合、原動機付自転車は2km/hの差で追い越しをすることになる。速度差が少ないので追い越しを終えるのに時間がかかる。そうした状況で50km/hで走行する車が追いついた場合、当然に30km/hで追い越しをしている原動機付自転車が追い越しを完了するのを後ろでおとなしく待つことになる。二段追い越しをしてはならないし、車間距離も確保しておかなければならないからだ。
原動機付自転車が追い越しを完了したなら、その時はじめて追い越しを実行できる条件が得られる。もちろんそのまま28km/hで走行する何かの後ろを走行し続けることもできるが、30km/hで走行する原動機付自転車も含めさっさと追い越していく方が楽だろう。
しかし、気ぜわしいパトカーのドライバーはじっと構えた運転ができず、前を走る原付自転車に対し煽り運転をしてしまったわけだ。

原動機付自転車は自動車に比較して最高速度が遅い。車両価格も安いし、車体も小さい。免許証も自動車に比較すると簡単に取得できる。
だが、それが追い越しの優先順位や道路交通における地位を決定づけるものだろうか。
自動車を運転する人の中には、原動機付自転車に対し見下げたような意識がある人がいるように思う。
28km/hで走行するなにかを30km/hで走行する原付バイクで追い越せば時間がかかるのは分かりきっている。それを後ろで走る車が見ていたとして、そんなことも分からないのだとしたら、どれだけ想像力がないのかと思える。分かるのであれば、どうすれば良いか分かるはずだ。分かっていれば嫌がらせに煽り運転をすることもできようが、追い越しを完了するのを落ち着いて待つこともできる。

最初に取り上げたドアを開けてミニバイクの運転手にケガをさせるような事故(事件)も、根底にはミニバイクに対する勘違いがあるように思える。下等なバイクは自動車“様”のために左端に寄せて走らなければならないという思い込みがあるのだ。

2010年9月3日金曜日

ETCレーンのバーを破壊

高速道路のETCレーンで、ゲートのバーが折られることがあるらしい。ETCカードの挿入を忘れていたり、有効期限が切れていることに気づかず、正常にバーが上がることを見込んで減速せずに通過しようとするドライバーがいるのだ。
最近はバーが開くタイミングをわざと遅くして、強制的に減速させるように対策されている。

バーが開くのを確認してから通過するのと、減速せずに突っ込むのとで、どれほどの違いがあるというのか。
その僅かな時間を節約するからには、サービスエリアでトイレに行くときは走っていくのだろうか。

ゲートが開くことを見越して、あまり減速せずに通過するということが、手馴れたように見えて、上手に見えると思っているのかもしれない。そして、減速して通過する車は、のろまだと思っているのかもしれない。
機械は故障することがあるし、その機械を操作する人間はもっと間違いをおかしやすい。ゲートが確実に開く保証などどこにもないのだ。バクチを打って突撃している姿は、うわべの格好だけを考えた浅はかな行動にしか見えない。

冷静に考えれば、開いていないゲートに一か八かで突っ込むことと、開いたことを確認して通過することのどちらが賢明であるかは誰でも分かる。だが、現実にはゲートの開くタイミングを遅くして強制されないと、それができない人間がいるのだ。
こうしたことからみても、他の多くの運転マナーの悪いことは、強制されるまで、なくなることがないのだろう。

2010年8月26日木曜日

ばくち運転

走行レーンのない狭い道にある右折や右カーブで、曲がった先が建物等に遮られて見えないところがある。交通量も少なく滅多に対向車が来ないとしても、コーナーのイン側ではなく、アウト側に寄せて曲がらないと、万一、対向車があったときは衝突の危険性がある。かつて一度も対向車が来たことがないところで、何も来ないと分かっていても、ギャンブルをするわけにはいかない。
衝突しなくても、対向車は回避行動を余儀なくされ、余計な面倒をかける。

狭い路地にあるような交差点で、交差するどちらの道路も一時停止が必要なところで、一時停止のできていない車がある。相手が止まってくれることを前提にして運転しているのだ。見込み違いがあったときに衝突の危険性が高まる。

事故は危険なだけでなく、費用や後始末を考えると絶対にしたくない。確率の問題ではなく百発百中でなくてはならない。

残念ながら博打をうってくる車の存在も考えておかなければならない。
コーナーではその分も含めて注意をしておかなければならないし、交差点でも同じだ。

2010年8月25日水曜日

高速道路の渋滞に追突

高速道路の通行料金が上限1000円とか無料とか言われて、見かけ上は安くなっており、それで連休ともなるとあちこちで渋滞が発生する。
渋滞の最後尾につくときは、後ろからの追突を防止するためにハザードランプをつけることが多い。渋滞の最後尾に来たときにいきなり急ブレーキで停止する人もいないだろうから、普通に運転している限り追突することはなさそうにも思える。

2車線の高速道路で、走行車線を前の車に続いて走行していて、前の車が追い越し車線に進路変更したとき、突然、目の前に停車車両が現れる可能性がある。前を走っている車が渋滞の最後尾に来たので、空いている追い越し車線側に進路変更したような場合だ。車間距離を十分にとっていないと、かなり危険なことになる。走行車線側だけでなく、むしろ追い越し車線側の方が、速度が速く、進路を開けてくれるのだと勘違いしそうで、もっと危ない。ましてや煽り運転のような車間距離だったら大惨事だ。
こうした事故を防ぐために、渋滞の最後尾に来てから、いきなり進路変更してはならない。また、前の車が進路変更するときは、その陰に何かあるかもしれない可能性を考えておかなければならない。高速道路で渋滞の最後尾につくときは、常識的に考えてハザードランプやポンピングブレーキなどで合図し、ゆるやかに減速するものだと思い込まないようにしたい。後ろに続く車のことなど一切考えていないドライバーというのもいるのだ。

2010年8月24日火曜日

エコや安全装置に期待したい

追突防止装置とか衝突防止装置と呼ばれる追突事故を防いだり、被害を少なくする仕組みを搭載した自動車がある。何かに追突しそうになると、警告を発したり、自動的に減速するようになっているのだ。
こうした仕組みの普及は歓迎したい。というのは煽り運転を防止する効果もあるのではないかと思うからだ。
車間距離が少ないと、前を走行する車がやむなく急ブレーキをかけなければならなかった場合に、事故を回避できない可能性がある。車間距離が詰まっていては追突防止装置があっても効果は限定される。そうした危険な運転状況になることを防ぐために、車間距離を詰めているときも、警告を発したり、減速するようになれば、煽り運転状態になりにくくなるのではないかと期待できる。煽り運転をするようなドライバーはそうした装置が装着されていても、無効にしたり、警告を無視するかもしれないが、それは正真正銘の悪質ドライバーであるから別として、それ以外のなんとなく煽り運転をするようなドライバーには効果があるかもしれないと思う。

エコとか燃費向上のために信号待ちで自動的にアイドリングストップする車が登場している。信号待ちで停止して一定時間が経過すると自動的にエンジンを停止し、燃料を節約する。発進するときはエンジンを再起動する。これは信号待ち等で用もないのにズルズルと前に進むような行動を抑止できる効果があるのではないかと期待できる。ちょっとずつ止まったり進んだりするような場合、アイドリングストップは邪魔なだけで意味がなく、むしろ不快なだけだ。だから、止まるときは止まる、進むときは進むといった、メリハリのある運転にならざるを得ない。それで、だらだらとした運転が少なくなってくれるとありがたい。

将来的にエンジンがモーターに置き換わると、マフラーの騒音をなくすことができる。他人にとっては迷惑なだけで、格好いいわけでもないのにマフラーを取り替えてうるさい音を出している車があるが、モーターになればそれもなくなる。

こうして考えると近い将来に向けて、車社会での生活も少しは明るい部分がありそうだ。

2010年8月23日月曜日

自動車は体でなく頭で運転するもの

レースをしているわけでもない一般の道路で普通に自動車を運転する場合は体力や反射神経よりも、考える能力が重要である。
ハンドルを素早く操作するのは腕の筋力が強い方が有利であろうし、とっさの時には反射神経も必要であろうが、そんな特殊な状況ではなく、普通に運転している時というのは、先読みや計画性といった考える力の方が大切だ。
筋力や反射神経がどうのこうのという前に、はじめからそうしたものが必要にならないようにするのが先決なのだ。

進行方向別通行区分のある交差点で右左折するなら、なるべく早めに進路変更しておきたいのは普通に考えて分かることであるが、そんな分かりきったことだけではなく、様々な場面において考えるということが大切だ。
歩行者や自転車が飛び出してきてから慌てて避けるのではなく、あらかじめ歩行者や自転車が飛び出してくる可能性を考えておく。
他の交通の動きを予測する。また、その予測がハズレることがあることを予測しておく。
自分の車の動きが後ろに続く車へどう影響するか考える。
渋滞があることが分かっているなら、時間やルートを変えたり、早く出発して対処する。

背中はシートに、頭はヘッドレストに付けて、肩の力を抜き、広く見回すような姿勢でスマートに運転したい。

2010年8月18日水曜日

追い越し車線は共有している

2車線の高速道路では左側が走行車線で右側が追い越し車線である。通常は左側を走行するが、速度の遅い車に追いついた場合は、追い越し車線を使って追い越すことができる。
ひとつしかない追い越し車線を、追い越しを行う車で共有することになるので、追い越し中の車よりもっと速い車が追いつくと、その車は追い越し車線を使うことができなくなり、一時的に減速を強いられて、前の車が追い越しを完了するのを待つことになる。
高速道路の構造上、普通に考えてそうなるし、それから逃れようがない。

以前、リミッターのある大型トラックの記事にも書いたが、追い越し中の車の後ろに、他の車が追いつくと煽り運転のような極端に車間距離を詰めて走行している車をよくみかける。上記のことを踏まえれば、訳の分からない行動である。前で追い越し中の車に対し、速やかに追い越しを完了させるよう働きかけているものと思われるが、そのやり方は追い越し中の車に過度の緊張をもたらし、居心地の悪い思いをさせる。

それにしても、そうした行動をするドライバーがあまりにも多すぎるように思える。追い越し中の車に他の車が追いつくとかなりの確率で煽り運転を始める。これは煽り運転が横行しているという域を超えている。追い越し車線で追い越し中の車に追いついた車は煽り運転をする。ということが正常であるかのようになってしまっている。つまり、その行動が社会的コンセンサスのとれたノーマルなことであると多くのドライバーに認識されているのではないかと疑ってしまうほどだ。

2010年8月16日月曜日

最高速度100km/h以上は不要?

三重県と滋賀県に新名神高速道路という高速道路がある。道路幅や車線の幅が広く、曲線半径や勾配もゆるやかに造られており、設計速度が120km/hともいわれている。実際に走行してみると路肩も広いし、トンネル内も明るくて、高速走行に安心感がある。

設計速度が120km/hといっても高速道路での法定速度は100km/hであるからそれ以上の速度を出すことはできない。そこで法を改正する等して120km/hで走行可能にしてはどうかという話になる。仮に120km/hで走行可能だとすると、取り締まり速度の猶予分を考えて、実質140km/h付近まで速度を出すことができるという現実になる。
だが新名神高速道路を走行していると、あの十分な広さの道路ですら100km/hに満たない速度で走行している車が多い。もちろん、そのこと自体は何も間違っていないのだが、言いたいことは、速度を出せても出そうとしない車が多いということである。
リミッターで90km/hまでしか出せない大型トラックや、出力の小さい車のことではなく、普通の車がそうなのだ。
理由を探せば、高速域になると空気抵抗が大きくなるので燃費が悪化するとか、エンジン音が大きくなるといったこと。事故になったときの被害が大きくなるという心配もあるが、率直に言ってほとんどのドライバーが丁寧に速度を意識した運転をしているかというと疑問に思うところである。本当はたいした理由もなく適当な速度で走行しているのではないかと考えたりする。

新名神高速道路だけでなく東名高速道路等の100km/h区間でも、設計速度はどうか分からないが実際には100km/hを超える速度で十分走行可能だ。だが、やはり100km/h前後かそれ以下で走行している車が多数である。

こうして100km/h以上の高速走行が求められているとは思えないところをみると最高速度の120km/h化は現状ではやはり時期尚早ということなのかもしれない。

2010年8月13日金曜日

制限速度の標識を見ていないとしか思えない

高速道路は最高100km/hで走行することが可能だが、標識で80km/hやそれ以下に制限されていることも多い。標識があっても中が真っ黒で数字が表示されていない場合や区間の終りを示す左向きの矢印とともに数字が表示されている場合は100km/hで走行可能である。いずれにしろ、速度が制限されている区間と、制限されていない100km/hで走行可能な区間があり、道路状況に応じて最高速度が設定されている。
その道路標識に従って最高速度を調節しながら運転するわけであるが、80km/hの区間を走行中に追い越された車を、100km/hの区間に変わったら、今度は追い越さなければならなくなることがよくある。道路標識とは無関係の速度で運転している車がいるということである。
高速道路の場合、100km/hと80km/hの区間が多いため、取り締まりのことを考えれば100km/hより少し遅い速度で走行していれば、まず問題になることがないことから、道路標識に関係なく100km/h未満付近の速度を維持しているというのであれば理解できなくもないが、80km/hの区間になっても100km/hの区間での取り締まり安全圏限界速度で走行している車もあり、そうなるといつ覆面のターゲットになるか分からない。

高速道路だけでなく一般道路でも、制限速度の標識をちゃんと見ていないのではないかと思えるふしがある。
一般道路では50km/hと40km/hの区間が切り替わることが多いが、この場合でも50km/hの区間での速度のまま40km/hの区間を走行する車を見かけることがある。40km/hの区間は道幅が狭い場合や急カーブになっていることが多いので自然に速度が低下することも多いが、それでも直線部分は速度計を見ないで普通に運転するとすぐ取り締まり対象速度になってしまう。だから、そうしたところはネズミ捕りスポットであることが多い。

もともと制限速度は余裕をもって設定されているので、速度オーバーに若干の猶予あるといっても、標識を見ずに好き勝手運転していたら、すぐに20km/h、30km/hのオーバーになって取り締まりにあうリスクが高まる。

2010年8月12日木曜日

追い越し中のトラックを煽り運転

大型トラックには速度抑制装置(スピードリミッター)の装着が義務付けられており、90km/hまで達すると燃料供給が制限され、それ以上の速度が出ないようになっている。高速道路における大型トラックの法定速度は80km/hなので、通常はそのリミッターが作動する速度にも達することはないはずであるが、もちろんそれは建て前で、大型トラックの多くはリミッターが作動する限界スレスレの速度で運転している。
リミッターが作動する速度に個体差があることや、車両重量、エンジン出力の違い、勾配等の道路状況もあって、大型トラックの間でも最高速度に差が生じることがある。少しだけ最高速度の速いトラックが少しだけ最高速度の遅いトラックを追い越そうとすることがあり、わずかな速度差の違いで追い越しをするため追い越しを完了するのに時間がかかる。
その時、100km/hで走行する普通の車が追いついてきた場合、走行車線と追い越し車線を並走する2台の大型トラックに道を塞がれる格好になるので、しばらくの間追い越しをすることができない。そうした前に出るに出れない車が追い越し中のトラックに対して煽り運転でもするかのような車間距離に接近しているのを見かけることがある。これがわけが分からない。万一トラックが急ブレーキをかける事態があったとしても、車両重量等の関係から追突することはないかもしれないが、あえてトラックドライバーが居心地の悪い思いをする嫌がらせのようなことをして、自分自身も窮屈な運転をしなければならない理由があるだろうか。

追い越し中のトラックドライバーはリミッターによりそれ以上どうすることもできないし、煽り運転をしようがしまいが、何も変わらず、誰にも変えられない。それならトラックドライバーは二度と追い越しをしなくなるかといえば、そんなことがあるわけない。いったい何がどうなることを望んでそうした行動をしているのやら、さっぱり分からない。

ゼンマイ仕掛けの自動車のように、バネの力で前進を続け、障害物に当たったらぶつかるところで停止し、障害物がなくなったら走りだすという、一切の思考をしないマシーンのようで、脳を働かせないのにも程がある。

2010年8月11日水曜日

煽り運転を正しいと思っている

人は誰でも自分のしていることが正しいと思っている。そうでなければ自己破綻することになる。
煽り運転をするドライバーもまた、自分のしていることが正しいと信じているのだ。

道路交通において制限速度が守られていない実態がある。良し悪しは別にして現実的に制限速度がまったく守られていない。
だが、警察は明らかな速度違反でなければ取り締まらない。1km/hでもオーバーすれば即取り締まりになるというのなら状況が少しは変わるかもしれないが、下り坂等でうっかり制限速度を超えることがあるかもしれないし、速度計に誤差もあるだろうから、厳密に取り締まるのは厳しすぎる面がある。取り締まり対象速度には猶予があるのだ。この手のグレーゾーンの存在は建て前の好きな日本人らしい。
こうしたことが誤解を生む原因になっている。誰もがその安全マージンを使って速度違反をしてしまい、それが当たり前だと考えるようになるのだ。終いには制限速度が間違っていると言い出したり、速度違反をしない車が間違っているという思想にまでたどり着く。

煽り運転をするドライバーは、99.9%速度違反をしており、それを目的としているから煽り運転をしなければならなくなる。
制限速度50km/hの道路において、多くの車が70km/hで走行しているとしたら、それがそこの交通の流れであると考え、それ以下の速度で走行する車は迷惑行為とみなすようになる。円滑な流れを阻害する邪魔な交通は煽り運転で強制排除することが、自分や他の交通を含めた全体の利益になると考えるわけである。嫌われ役をかって出ているつもりにすら思うのだろう。

周囲の流れに乗ることの重要性を主張する人もいるが、制限速度を超えて走行することを正当化できるものではない。速度違反の流れが出来ていたとしたなら、それを絶ち切って正しい制限内の速度に改善するのが本来、まっとうなことである。「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な言い分で速度違反を望むとしても、他人に対して違反速度をゴリ押しすることや、法を順守する人間を不当扱いするわけにはいかない。
速度違反の流れがあって、それを制限内の速度に修正する行為への解釈は、真っ向から意見が分かれると思う。違反速度で流れているのであれば、正しい速度になるように改めるは当然のことであるともいえるし、一方、せっかく速い速度で流れているものを遅い車がブロックしているようにとらえるかもしれない。

例えば制限速度を守る車が警察車両や、あるいは暴力団員の運転する車であったなら、いつも煽り運転をするドライバーも行動が変わるのではないだろうか。煽り運転は車間距離不保持違反であり、危険行為であることと、なにより前を走行する車のドライバーに強い不快感を与える。そのことを煽り運転するドライバー自身がよく分かっているから、相手によって行動が変わるのである。

制限速度を守って運転するドライバーと、それを悪人や迷惑行為であるとして嫌がらせをするドライバーがいたら、本当に悪人で迷惑なのはどちらだろうか。

2010年8月10日火曜日

プロドライバーには鉄の心が必要

バスやタクシー等の旅客を乗せて運転することを目的とするドライバーはプロフェッショナルである。人の命をあずかっている以上、絶対に失敗が許されない。
プロドライバーには運転技術をはじめ、地理に関する知識やコミュニケーション能力等が必要であろうが、もっとも必要だと思うのはプロ意識ではないかと思う。
プロ意識とは法令順守や安全運転、そして他の交通に惑わされない鉄壁の心である。どんなプレッシャーを受けようが決して腹を立てて感情的にならない固い心を持っていて欲しいと思う。
バスやタクシーを利用するお客さんは、安全に目的地に行ければそれでいいのだ。危険な運転をする車になど乗りたくない。

理想はそうであっても現実は別である。バスやタクシーのドライバーだからといっていつも冷静な運転ができるわけではない。
バスとタクシーでも頭に血が上ったような運転をしているのを見たことがある。それはドライバーにストレスのかかる状況ではあったが、腹を立ててしまってはアマチュアと変わらない。

トラックドライバーも貨物輸送のプロであり、大部分はマナーも良く、ある意味手本になるようなプロの運転姿勢を披露してくれることもある。だが、一歩はずれた時の酷さは旅客輸送の車とは桁違いだ。

2010年8月9日月曜日

サンキュー事故が多い

信号待ちなどで車の並んでいるとき、対向車線から右折横断したい車があった場合、間を空けて止めて前を通れるようにすることがある。このとき止めた車の陰からバイクがすり抜けてきて、右折横断車と衝突するというのはよくあるパターンのサンキュー事故である。渋滞時の交差点で直進車が交差点に侵入できず待っているところを右折する場合にも同じようになることがある。
進路を譲られた右折車が素早く右折しようとして、確認がおろそかになるのが原因だ。
車の間をすり抜けてくるバイクにも問題はあるが、直進車優先であるから、どちらかと言えば右折車の責任が大きい。

事故の典型的な例でありながら、私は今まで何度も目撃している。ある意味、心理の隙を突いたよくできたトラップだ。
右折する車の側面にバイクが衝突したり、直進するバイクの側面に車が突っ込んだりするのだが、バイクはライダーがむき出しだから、見た目に痛々しい。まさに瞬間の出来事で、衝突の後、一瞬の沈黙した空気が流れ、衝突した車の中から運転手が慌てて飛び出してきてライダーの状況を確かめに行く光景が忘れられない。

こうしたことを防ぐために直進車が進路を譲る際に左端に寄せて隙間をなくすことでバイクが車の陰に入れなくすることもできるが、左に寄せて停車する形になり、後ろの車が誤解する可能性があるのであまり良くない。右折車側で直進車の前を横切る際には一時停止に近いほどまで減速して確認するしかないと思う。進路を譲る立場の直進車は、そのように慎重なドライバーに対して良いドライバーだとは思っても「早く行け」などと思うことはないだろうから、落ち着いて運転することが大切だ。
片側が2車線以上ある場合で複数車線の車を止めてしまうことになったり、右折待ちをすることで後ろに渋滞を作ってしまうといったプレッシャーのかかる要素がある場合には、はじめから右折横断を回避する方法も考えたい。

2010年8月3日火曜日

勝ち負けなんて発想はいいかげん飽きた

野球やサッカーといったスポーツには特定の選手やチームを熱く応援をしているファンと呼ばれる方々がいる。特定の選手やチームを応援することでスポーツ観戦は特別おもしろくなる。
しかし、対戦相手は、何か悪いことをしたわけでも、懲らしめないといけないような理由があるわけでもない。どちらも一生懸命スポーツをプレイしているだけだ。応援しているチームが勝ったり負けたからといって生活に影響するような人達も多くないだろう。それで意味がないからといって、冷めた気持ちでスポーツを観戦していたのではつまらないだろうし、身も蓋もない。

道路交通においても、勝った負けたという競争意識を持つ人がいるようだ。交通は移動手段であり、何かを争っているわけでもスポーツをしているわけでもなく、スポーツ観戦のように熱くなる必要はない。交通において大抵の人にとっては何かに勝ったとか負けたということは重要ではないし、おもしろいとも思わない。
だが、意味がないことでも、人間に感情というものがあることを理解できないわけではない。人間には本能的に他者より優位に立ちたいという闘争本能のようなものがあるのかもしれないし、それが満たされたときに快感を感じることもあるだろう。

人間は本能のみで生きている生物ではない。本能は人間の重要な基本的要素だが、社会を構成するようになると本能を超えた知性が必要になる。ある程度、物事を考えられるようになると、こだわり過ぎることや、意地を張りすぎること、勝ち負けという感情が実益を持たないことがあることを学習するようになる。

ハンドルさばきや、高速なコーナリングといった運転能力に係わらず、実力というものは努力の上に習得できるものだ。生まれながらに特殊な能力を持った人間は稀であろうし、そうした人間がいたとしたなら才能と引き換えに何かを失っているものである。
失敗や練習を繰り返して獲得したものでなければ、確かなものとはならない。何のトレーニングも積んでいない素人同士が小競り合いをしていても見苦しいだけで、お笑いにもならない。
実力は修練があって備わり、真に実力がついたとき、確実に勝てる相手になど関心すらなくなる。

ありふれた競争意識のようなものにはいいかげん飽きた。
その場の感情を満たすことが目的の勝ち負けなど不毛なだけで、それを超えた先には空虚しかない。

2010年8月2日月曜日

渋滞で何回にも分けて止まられると疲れる

渋滞の原因は様々だが、先頭付近がボトルネックになることで起こる。渋滞の先頭付近は遅いながらも流れているだろうが、後方になればなるほどほとんど動かなくなる。動かなくなるほどの渋滞にハマってしまったら、あきらめて腹をくくってしまったほうが気が楽だ。

渋滞で辛いのは進むでも、止まるでもなく、運転から開放されないことだ。特に高速道路の渋滞では、微速で前進し続けることも少なくなく、前の車に追突することがないようにずっと見張っていなければならない。
信号等による渋滞であれば、ちょっとずつ進んだり、止まったりを繰り返すことが多く、休むタイミングがあるだけそちらの方がまだ楽かもしれない。
渋滞は加速と低速巡航と減速、停止をひたすら繰り返す。加速ではブレーキを放し、クリープか、アクセルを踏む、速度を維持し、前の車と適切な車間距離を保ちつつ、前の車が停止すれば、それに合わせて狙った位置に止まるようブレーキ等をコントロールする。何十回とたいしてつまらない作業の繰り返しになる。簡単なこととはいえ、何回もやっていれば疲れてもくる。
こうした中、一回でこの処理ができるものを2回にも3回にも分けて詰められたり、パッと行ってパッと止まれば一瞬なのに微速前進で時間をかけて詰められたり、いったんは止まってしばらくは休めるかと思ったら、また数メートルだけ前に進んだりと、わざわざ疲れることをされることがあって、そうした時に少ない前進であれば放っておいて、後からまとめて詰めるようにすることもできるが、後ろの車がそうした考え方でないドライバーの場合、2つ前の車が前進したのを見ていて、後の車が詰めてくることがある。それも放っておけば良いのだが、察しが悪いドライバーならクラクションを鳴らすこともある。
渋滞の全体的な長さを短くすることを目的とするために、必要以上の車間を空けておかない方が良いが、一回で行けるものを何回にも分けるというのはそれとは別の話である。こまめに詰めないという意味ではなく、一回でやったらいいことを何回にも分ける必要はない。

ただし、合流している渋滞の先頭付近まで迫ってきた場合は、そうも言っていられなくなるほど頻繁に発進と停止を繰り返すことになるので、細かな操作も必要になる。

合流で渋滞する場合というのは車線減少するようなところもそうで、減少する側の車線から減少しない側の車線に進路変更が必要とされる。こうしたところではファスナー合流で交互に合流していくのが普通だ。
減少する側の車線というのは比較的速く流れていることが多い。渋滞で並んでいる車を横目に、わざと速い方の車線を走り、合流点ではファスナー合流で入れてくれる親切を受けようなんて考える人がいるかどうか分からないが、道の先で車線減少することを知らない人がいたならば、あらかじめ車線変更しておくこともできないし、途中で渋滞の列に割って入るのも難しくなって仕方なく減少する車線を走り続けているということもありえる。
仕方なくそうなったのか、わざとそうしたのか区別はつきようもないが、合流時にそうした車を入れないよう意地悪しない方が差し障りないし、結局、それでも何台か後ろには車線変更できるだろうから効果は限定的だろう。

2010年7月30日金曜日

前の車のブレーキランプで運転しない

ブレーキを踏めばそれでテールのブレーキランプが点灯し、後ろの車のドライバーに減速することを伝えることができる。
ブレーキペダルには制動のかからない遊びがあるのと、ほとんど制動のかからない弱いブレーキでもブレーキランプが点灯する。実質的にはブレーキをかけていないがブレーキランプがつくのだ。そうした際に後方の車も一緒になってブレーキを踏んでも意味はない。
前の車のブレーキランプのみを見て運転していると、つられてブレーキを踏んでしまいそうだが、本来はブレーキランプではなく主に車間距離を見るべきだ。前の車のブレーキランプが点灯すると、即座にブレーキを踏む車というのは、十分な車間距離を確保できていないことが多い。車間距離を確保していないから危険回避のマージンが少なく、すぐにブレーキを踏まなければならなくなるのである。
逆にいえばフェイントのようなブレーキにひっかからないですむ運転になっているのであれば、安全な車間距離が確保できている可能性が高い。

前の車が少しぐらい減速しても、その後、速度が回復することが分かっている時や、前の車がちょっとしたことでブレーキを踏むような運転の場合なら、車間距離のゆとりか、軽いエンジンブレーキで受け流すようにするのがスマートだ。前の車がブレーキを踏んで要らない減速をしたとしても、そのために手間がかかったり、余計な燃料を使ったりと、いちいち付き合う必要はない。複数の車が列をなして走行しているような場合なら、不要な減速は後ろに伝達させず、途中で吸収しておくのが良いだろう。もちろんそれでも常に車間距離を確保しておかなければならないことに違いはなく、リスクのある車間距離になるほどブレーキを踏まずに我慢してはならない。

2010年7月29日木曜日

車好きと一般人は発想が違う

carviewという車に関する話題を取り扱ったウェブサイトがあって、そこでは車の評論家か、専門家か、ライターのような人達が、車のことについて語っている。
その中で日産のGT-Rという車を購入した方がいて、こんなことを言われていた。
「GT-Rは他のどの車よりも速いので高速道路を走っていても気持ちに余裕がある。」
正確には忘れてしまったが、だいたいこんな感じだったと思う。いざとなったら、もっとも速く走れるので、他の自動車と競争でもするかのように一生懸命走るまでもないというような意味に聞こえたように思う。
高速道路は特別な理由がなければ100km/h以上で走行することはできない(少なくとも公には)。だから、速いといっても最高速度は限られている。高速道路ではほぼ定速なので加速性能もそれほど意味がない。そもそも普通の人にとっては移動することが目的であり、競争意識なんてものはない。
このセリフには自動車の運転についての一般人離れした車好きによる思考ロジックがあるように思う。
間違っていると言いたいのでも、言葉尻を捕らえたいのでもない。人の言ったことに、後出しじゃんけんのようにして、揚げ足を取りたいのでもない。
運転に関して色んな価値観や見方があるということを言いたいのだ。
一般人にとっては高速道路を走行中に他の車と競争しているわけではないし、他の車より速く走ることや、他の車が速いかどうかなど関心がない。一般人の視点では意味がないように思えることを考えている人達もいるということである。

全てではないが、carviewは全般的に車マニアの視点に偏っている気がする。運転マナーや一般道路を走る上での運転方法のようなことが取り上げられることはあまりないし、エコや安全性能の重要性も大きくは取り上げられにくい。carviewのライターはそうした話題にはあまり乗り気でないのではないかと思えることもある。
車の好きな方達はスポーツカーや外国産の大型車等、ハイスペックな車を好むようで、そうした車は現在のトレンドである環境性能とは逆行する面がある。だから、エコとか燃費という言葉はあまり聞きたくないように感じることもある。
もっとも、一般向けの話題はJAFにでもやらせておけばいいだろうし、車マニアを対象としたサイトなのだから車マニア向けの内容になるのは当たり前だ。

車に特別な思い入れのある車好きというか車マニアには、一般人では一見、合理的に理解できない考え方があるということである。
車をドレスアップしたり、パーツを交換するぐらいならいいが、運転方法や運転目的ですら違うことがあるかもしれない。
車好きでない者にとってみれば、なんの価値もないことにこだわっているということもあるだろう。
一般人は、公道でおかしな走り方をすることなど求めていないし、燃料代のかかる走り方などしたくない。

車好きは、車のことを楽しんだらいいと思うし、そのことで少しぐらい他の者に負担がかかることがあっても、せっかく趣味を楽しんでいるのだから、ある程度は容認されてもよいと思う。しかし、何事も行き過ぎないようにしたいのと、勘違いしてしまわないように注意しておきたい。

2010年7月28日水曜日

軽トラックでも速く走れる?

あの白色の軽トラック。農家でも重宝されていて、屋根のある箱型のものと、荷台に屋根のないトラック的な形のタイプがある。
あの車はいつ見ても遅い。なぜか異様に遅い。
昔、運転したことがあるのだが、アクセルというのは普通の車では、踏むというよりかかとを支点にしてつま先で押すような感じなのだが、軽トラックは床の上のペダルをまさに真上から踏むような感じで、これはミシンのペダルかと思ったぐらいだ。
ブレーキも効かなくて、長い下り坂の下で赤信号があって止まらないといけないのだが、ブレーキを踏んでも全然効かない。それで壊れそうなほどエンジン回転をあげるエンジンブレーキを使い、ようやく速度を落として信号待ちの車に突っ込まずにすんだことがある。
それも随分昔の話で、記憶も曖昧なため、もうどんな運転感覚だったかよく思い出せないが、軽トラックは難しいというか、速度を上げて運転しにくいものだったのかもしれない。

ある山道の工事現場を通過した際、前を軽トラックが走り出して、これはしばらくはゆっくりした運転になりそうだと思ったところ。予想に反し、この車がムチャクチャ速い。
私は燃費のことを考えてワインディングでもアクセルとブレーキをガチャガチャ踏み替えながら走るようなことはしないまでも、アウトインアウトやスローインファーストアウトで曲がるのと、山道に慣れていることもあって、結果的にはハイペースなことも多い。しかし、その軽トラックは普通に運転していたのではあっというまに引き離される。
工事現場から出てきた車なので若い兄ちゃんが運転していたのだと思うが、軽トラックであんな速いのは見たことがない。ドライバーによって全然違うものだと思わされた。「弘法筆を選ばず」ということなんだろう。

普段、運転をしていて自分と同じ種類の車を見かけることがある。車種が同じなのだから、自分の車と同じような挙動になるかというと、全然違うことが多い。
私が毛嫌いしている信号待ちで何回にも分けて停止するようなことをしたり、速度も維持できず上がったり下がったりするのを見て、結局、車の性能ではなくドライバー次第だというこを実感させられる。
自動車というのはよく作られていて、良くも悪くも人間の意思どおりに動くようになっているということだ。

2010年7月27日火曜日

スピード、出せないと出さないの違い

特にそれほど障害のない幹線道路等を走行しているときというのは、一般的な能力をもったドライバーであれば、少々違反となる速度で走行しても直ちに危険な状況になるということはない。制限速度が50km/hであっても、なんにもない道であれば例えば80km/hやそれ以上の速度で走行することも可能だろう。体力がいるわけでもないし、アクセルを踏めば誰でも難なく速度を出すことができる。
だが、そうした道路状況であっても、警察の取り締まりの可能性を考えれば、その対象とならないような速度で走行しなければならなくなる。速度を「出せない」のではなく「出さない」のだ。あるいは警察の取り締まり対策として速度を「出せない」とも言える。

警察の立場としては危険な運転をするドライバーを未然に事故から防ぐために取り締まりをしているつもりで、正義感で良かれと思っているのかもしれない。
罰金や減点によるペナルティで安全運転への効果があるかどうかとか、取り締まりの方法がどうかとか、色々疑問もあろうと思うが、少なくとも現場の警察官はそう思ってやっているのではないかと思う。

それにしても、取り締まられる立場としては、ただただ、罰金や減点が嫌なだけで、取り締まりにあって、ありがたいなんて思う人は少ない。
あまりにたくさん取り締まりにあうと、免許停止や免許取り消しといった不便が発生しかねないし、そうでなくても腹立たしさや恨みといった感情が出ることもありそうだ。

こうしたことは、何がどうというより、付き合っていられないようなバカバカしい話なのだ。しょうもないことで警察官の相手をしたり、手間や時間がもったいない。だから、文句を言われない(文句を言わ「せ」ない)こともひとつの方法と考えるようになる。一時停止箇所では完璧に一時停止し、頑なに取り締まり対象にならない速度を維持する。
取り締まりにあって気分を害したり、大きく時間をロスするよりは、急がば回れというわけだ。

広い直線道路で速度を上げない車がいると、煽り運転になる運転手がいるが、能力的に可能か不可能かにかかわらず、明確な意図や目的をもってわざと速度を上げない車に対して何をしても意味がない。
そうした煽り運転をする車にかぎって、なんでもないようなカーブで減速し、まっすぐなところだけ速い、いわゆる直線番長だったりする。
普通のドライバーは制限速度による取り締まりの上限があるのだから、常に余裕を残していることになるのだが、カーブで減速し、直線で加速するというのでは、直線もカーブもまるで精一杯の能力で運転しているかのようだ。
制限速度(取り締まられない速度)の中で走ることになるから、カーブだろうが直線だろうが基本的に速度は変わらないはずである。カーブが急な場合だけ減速せざるをえなくなるが、直線番長は多くの場合、緩やかなカーブでも減速しすぎる。たぶん、速度維持の精度に対する意識の違いや、雑な運転が原因か、カーブの曲がり方が不器用なのではないかと思う。

2010年7月26日月曜日

高速道路の加速車線は何キロで走るか

一般道路での法定速度は60km/h、高速道路は100km/hだ。正確にはもっと細かいルールがあるが、簡単に言うとそんな感じだ。標識や標示によって制限されていれば、そちらが優先する。
ここで疑問に思うのが高速道路でのインターチェンジである。加速車線は一般道路であり、本線は高速道路である。加速車線は何キロで走行すれば良いか。通常、加速車線ではその手前で速度制限が解除される標識があるので、法定速度まで加速できるようになる。つまり60km/hまでは可能だ。一方、高速道路は最低速度が50km/hなので50km/hより遅い速度で走行できない。つまり加速車線で50km/hから60km/hの間まで速度を上げ、その速度を維持したまま本線に合流した後、目標速度まで加速することになる。
インターチェンジで抜ける場合は、逆に本線車道上で50km/hから60km/hの間に速度を調節した上で、減速車線へのラインを超えることになる。
ただ、言わせてもらうと本当はこれはあまり良くない面もあると思う。60km/hで高速道路の本線に合流すると、本線を走行中の車を減速させてしまうし、インターチェンジの手前で減速しても同じことになる。また、50km/h~60km/hという範囲も狭く、メーター読みでは誤差もあるので調整の難易度が高い。

高速道路では事故や荒天時に標識によって50km/hに制限されることがある。高速道路の下限は50km/hであるから、上限も50km/hとされたら、上にも下にも余裕がなく、ぴったり50km/hを維持しなければならない。杓子定規に捉えれば実質的には速度違反をしなければ走行できない。もちろん、このことが裁判で問題になったとしても、速度違反しないことは無理な話なので、だいたいその近辺の速度であれば違反にならないとせざるを得ないのだろうが。

現実には、そんなことで警察に取り締まられることもないだろうから、こんな話はどうでもいいのだが、個人的な意見を言うと、高速道路の本線車道を加速車線や減速車線の一部として使って欲しくないような気がしている。本線車道では一切速度を落とさず、加速車線で目標速度まで加速しておくか、減速車線内で減速するようにするのが良い。もちろん厳密には加速車線や減速車線内で速度違反をしていることになるかもしれない。
50km/h規制のときも、問題ないのであれば50km/hを少々超えても良いのではないかと思う。もっとも大抵の車は50km/h規制なんてはなっから無視しているようであるが。

2010年7月23日金曜日

シニアカーや電動アシスト自転車は遅い

お年寄りが乗るシニアカーはあまり速度が出ないようになっているらしい。電動アシストの自転車もアシスト割合に制限があるし、電動キックボード等も色々規制があるようだ。
車を運転する者からするとこうした規制は当然のように思われないだろうか。免許証や自動車を所有していることの優位性から、そうでない者に優越感を感じるとか、自動車を運転する時に少しでも邪魔になる交通は存在しない方が良いというような感情的な話ではない。免許証を取得するために受ける教習所での安全教育や、責任について考えてのことだ。

ほとんどの運転手は一時停止の標示や標識がある箇所では、一時停止をするか、完全に停止しないまでもかなり注意を払うことだろう(完全に停止しないのは本当はどうかという面もあるが今は置いておくことにする)。万一、一時停止をせずに事故を起こせば、当然の社会的責任を負うことになる。
例えばこれを自転車に置き換えた場合は、一時停止なんか完全に眼中になく、まったく確認なしで飛び出してくることが少なくない。車を運転していると、自分の方が注意しているから事故にはならないですんでいるものの、一時停止していなかったら、自転車とまともに衝突するような場面というのはあるのではないかと思う。

教習所等で調教的にトレーニングを受けていないと確認という動作はできないのだ。確認は首を左右に振ったり、さらには減速しなければならない。そうしたちょっとしたことでも放っておけば人は楽をしてしまう。
そう考えたとき免許や保険の不要なシニアカーや電動自転車に規制があるのは当然だと思えてくるのである。

2010年7月22日木曜日

センターライン寄りを走る車はへたくそドライバーのサイン

右側のバックミラーを見ると、後ろの車がセンターライン寄りを走っていることがある。
右側に寄って走ることで、二つ以上前の車の様子をうかがいながら走るためだと思われる。
こうした車はやたら落ち着きのないドライバーで、煽り運転気味に車間距離を詰めていることが多い。そうかと思えば、赤信号の停車では2台以上前を見ているのでいち早く減速を察知し、早過ぎるタイミングで減速をはじめて、大きく車間距離を空ける。信号待ちの停車時に車間距離を大きくとれば、最後はトロトロ運転で詰めることになるか、車間距離を多めに開けたまま停車したりする。それでまた、信号が青に変わってもいないのに、空けておいた車間をちょっとずつズルズルと前に進んで詰めたりする。そうやって前に進んだ分は、後ろに並ぶ車もみんな同じように無意味にズルズル前に詰めろというのだろうか。
信号待ちのためにいちいち時間をかけて停車されるのも、後ろの車は長時間にわたって面白くもなんともない超低速走行の道連れにされるだけだ。超低速走行とはいえ、前の車がいつブレーキを踏むとも分からないから、ずっと目を離すこともできないので、なかなか運転から開放されない。
超低速の速度域ではクリープ現象とアクセルを踏むか踏まないかのような微妙なコントロールを要求され、いつでもブレーキを踏めるようにブレーキペダル上空で足を待機させているような、特に疲れる運転を強いられる。
サクッと停車すれば簡単なものをわざわざ神経の使うことをする。早く停めれば、ちょっとの間でも休めるのに、本当に七面倒臭い。
こうしたドライバーは他人の手間を考えた運転をしていないし、一つ一つの動きにメリハリがない。わざわざ仕事量を増やし、何でもないことにてこずっている。

なんとかと煙は高いところに上りたがるというが、センターライン寄りを走って、前方視界を多く得ることで、よりたくさんの情報を仕入れることが前提になる運転方法は、そうでない他の交通との間で隔たりが生じるのに決まっている。実際はそれでも、周囲の交通の立場に立った配慮をできるが、センターライン寄りを走る自分中心のドライバーに、そんな気の利いた頭脳プレーができようもない。

センターライン寄り走る車はへたくそである可能性が高く、こうしたへたくそドライバーのサインは、他にもいろいろあるだろう。余計に疲れるのでなるべくなら近寄らないようにしたい。

2010年7月21日水曜日

煽り運転にならないようにする

何台かの車が連なって巡航走行をしているとき、前の車がブレーキをかけるなどして減速した場合、後ろの車との車間距離が縮まり始める。前の車がちょっと減速したからといって、後ろの車もそれに合わせてこまめに減速しなければならないということはないが、安全な車間距離を維持するために減速を余儀なくされることもある。いずれにしろその時の速度において、万一前の車がフルブレーキをかけたとしても、なんとか衝突せずに済む車間距離だけは確保しておく必要がある。
この距離が十分でないとき、前方の車のドライバーは煽り運転に近いものを感じることがあるので注意したい。
後ろの車はその時の速度から車間距離を考えておかなければならないのだが、実際は考えるまでもなく、感覚的に安全か安全でないかが分かるはずである。万一、前の車が減速したことで、そのまま速度を維持し続け、その結果、車間距離が縮まり過ぎるとすれば、運転能力あるいは運転方法に重大な欠陥がある可能性がある。極端に反射神経が悪いか、一般的なドライバーが感じるであろう安全な車間距離の感覚が鈍っているかもしれない。

自動車のヘッドライトはレーザーのように輪郭のはっきりした光線ではなく、おおよそ前方全体を照らしているが、それでも照射範囲の強弱というものはある。そして、その範囲はやや下向きとなっているのが普通だ。強い光の範囲が前方を走る車のサイドミラーに直接あたらない程度の車間距離を確保しておけば、前方の車が煽り運転を感じる可能性が低くなる。もちろん車間距離は速度によって変化するため、常にそうした状況にできるわけではないが、概ね時速50km以上の速度になってくると、そうした車間距離も不自然ではなくなる。
意図せず、前を走る車に迷惑をかけないためにも、こうしたちょっとした着想もある。

2010年7月16日金曜日

相手の立場で考ればトンネルでヘッドライトをつけないのは考えられない

職業柄パソコンの画面を見ることが多いからか、ただの年だからか分からないが、最近、目が悪くなってきている。そうすると車の運転も知らず知らずのうちに支障が出始めるのではないかと、心配になってくる。
先日初めて走る道のトンネル内を走行中、左前の車輪がトンネルの縁石にぶつかり、車が右に弾かれることがあった。ホイールに傷がついた程度で事故にはなっていない。縁石に接触した一番の原因は、トンネル内が暗いため、黒っぽい色の縁石が見えなかったことにある。かなり疲れた状態で運転していたのも良くない。
何もないと思っているところに障害物があるのだから、かなりドキッとさせられる。例えるなら普通に歩いているところで、落とし穴に足を取られるような感覚だ。

ギラついた外光で運転しづらい時にはサングラスをかけて運転することがある。そうした時トンネル内に入れば、暗くなりすぎるのでサングラスを頭の上にずらすようにしている。しかし、短い距離のトンネルや明るいトンネルであれば面倒くさがってサングラスをしたまま運転したくなる人も出てきそうな気がする。そのまま運転していると、サングラスをしていない人には当然見えるであろう障害物が、サングラスをしていた分だけ見えにくくなることもある。視力が低下しているのと変わらない状態である。

以前にも書いたがトンネル内でヘッドライトをつけていない車を見かける。
トンネルを走行中にあらためて見ていて、考えなおしてみると、やはりヘッドライトがついていなければ、少しきっかけがあれば事故になったり、防げる事故を無駄につくることがありそうな気がする。一度、そうしたことを考えながら運転されてみることを勧める。
トンネル内でヘッドライトをつけていても、トンネルを出るより前にヘッドライトを消してしまう車もあるが、特にトンネルの中から出てくる車というのはトンネルの外から見えにくいものだ。車が来ていると分からずに前に飛び出してくる何かがあるかもしれない。こうした時、トンネルの中から外にいる相手が見える立場のドライバーからしたら、非常識に前に飛び出されたように思うが、相手はトンネルの中の車が見えないのだから非常識に思っていない。

視力が低下している人やサングラスをしている人等、他の人からの見え方を考えたとき、たぶんトンネル内ではヘッドライトをしっかりつけておくことが確かではないだろうか。

2010年7月12日月曜日

うまくいったと思わせておけば良い

片側2車線以上の道路の信号待ちで2台並んで停車しているとして、この道路が100m程先で車線減少しているとすると、車線が減少する側の車はその後すぐに車線変更しなければならなくなる。その隣に並んで信号待ちをする車がこの先車線減少することを知っているのなら、当然その車も横に並ぶ車が進路変更してくることは想定しているだろう。車線変更しなければならない方の車が信号が青に変わる前からするすると前進を始め、青に変わると急加速で前に出て進路変更することがある。
その隣に停車していた車は、そうしたすべりこみのような進路変更をする車が望む通り前に入れることもできるし、急加速して進路変更をブロックすることもできる。
こうした時、前に入れてあげる選択をする方が燃費によく、スムーズで安全な交通になる。急加速して前に入った車のドライバーは、トロい奴の前に出てやった。うまくいった。してやった。出し抜いた。と思うかもしれない。もちろん、意図的に入れているわけで、手のひらの上で転がされているだけである。

急いだ方法で進路変更しなければならないというのは、進路変更が苦手なのか、同じ状況の時、自分なら進路変更できないようにするから他人も同じことをすると思っているのか、いずれにしろ何か救われない人間性のようなものを持っているのだろう。

だが、勘違いして喜んでいるドライバーには、そう思わせておけば良い。前に出た車は、無理して前に出たからには、後ろの車に急いだ運転を求められるような気がして、ずっと慌てた運転を続けて苦しまなければならないかもしれないし、少なくとも、自分のした行動を思えば心が晴れることはない。

2010年7月7日水曜日

オーバーコントロール

前を走る車がブレーキランプを頻繁に点灯させていることがある。用のないところでいちいちブレーキを踏む。ブレーキを踏んで減速したら、その後、元の速度に戻すためアクセルを踏む。些細なことでブレーキを踏んで、また再加速のためアクセルを踏む。最初からブレーキを踏まなければアクセルを踏みなおす必要も起こらないのに、わざわざ余計な仕事を作り出しているのだ。
そうして自ら余裕をつぶして、他の事へ向けられる意識を減らし、運転操作や安全性も苦しくしてしまう。

信号待ちで少しずつ前に動く車もそうだ、余裕をもって構えているドライバーというのは普通に走れるから焦る必要がない。運転操作がおぼつかないドライバーは自信がないから、あいまいで落ち着かない動きが現れる。そんな車に限って走りだすと焦っているわりには遅く、周囲の見えていない動きをする。
信号待ちで止まっている時、動かずにじっとしていれば暇を他の事に使えるが、下手に動くから余裕をつぶす。止まっていて信号が青になるのを見てから発進すれば何でもないことを、タイミング悪く赤の時にフライングするから、ギクシャクとブレーキを踏む羽目になり、結局は、もたついた発進になる。
運転に余裕がないから焦り、焦って余計なことをするから余裕がない。
待ち構える姿勢でなく、追いかける気持ちになっているのだ。

ハンドル操作でも、余計に左に切り過ぎたのなら、右に切り戻さなければならなくなる。切り戻す手間がかかるが、本当ははじめに切る量も少なかったはずだ。
速度を維持するだけのことでもアクセルとブレーキを交互にガチャガチャ調整するような力任せな運転はスマートではない。
オーバーコントロールな運転は、ただ独り相撲なことをして無駄に苦労をしているのである。

2010年7月2日金曜日

曲がり角で外側に膨らむ

通常、左折または右折する場合には道路の端に車を寄せてから右左折するが、その時に、曲がる反対側に膨らむ車を見ることがある。
自動車の後輪が前輪より内側をまわることを内輪差というが、それの大きなホイールベースの長い車、バスやトラックが曲がり角を曲がる際には大きく外側に膨らんで曲がらなければならないことがある。しかし、そうした必要のない車も膨らんでいることがある。

曲がるのに外側に膨らんでしまっては、右左折時に道路の端に寄せる意味がない。寄せた後反対側に膨らめば、突然進路変更することに近いことだから、場合によっては危険もある。

膨らんで曲がる原因は、なるべくスピードを殺さずに曲がろうとすることにあるかもしれない。アウトインアウトでコーナリングするようなイメージだ。コーナーに入る前にアウトに膨らませ、コーナーの角に近いところを通り、またアウトに膨らんでコーナーを抜ける。この方法は減速を最小限にすることができる。だが、他の交通や安全性の面はどうか。曲がり角で外側に膨らむことで、たとえば左側に空間ができバイクや自転車が入る余地を作ることにはならないだろうか。後方にいる車やバイクにとって前方の車が外側に膨らむことは運転しやすいのだろうか。
一般道路はサーキットではないので、運転のうまさというのは自分ひとりが速く走ることや、ましてや危険性の高いことではない。
アウトインアウトで走れば、速く曲がれて、外に膨らんだとしても結果的に進路をすばやく開けることができる。だから、後ろの車の障害にならないと考えるかもしれない。そのようになる可能性もあろうが、後ろの車は前の車がすばやく曲がることを予測していないから、ある程度の減速はするだろう。それに危険性のある運転を誰も望まない。仮に腕のあるレースドライバー等が危険性なくアウトインアウトでコーナーを曲がれて、万一危険な場合はそれをいち早く察知し回避できるとしても、後ろの車は前の車のドライバーがそんな巧みなことを知る由もない。それならやっぱり減速するだろう。
もっとも本物のレースドライバーは、サーキットと一般道路の運転が違うことは分かっているから、勘違いしたドライバーのように中途半端な運転ではなく、曲がり角ではしっかり端に寄せ、寄せたまま曲がるという丁寧なコントロールができる。

もう一つの可能性は内輪差を極端に恐れていることが考えられる。特に左折時に左後方の車体を塀に擦ったり、脱輪することを怖がっているかもしれない。
これは運転が下手なのだから、ある意味仕方がない。だが、ちょっとコツを知っていれば確実に曲がることができる。
曲がり角の位置が後輪より後ろになるまで車を前に出してからハンドルを切れば、ぶつかることはない。たとえ車と塀の間隔が1mmしかなく、かつハンドルをいっぱいまできったとしても、車の後輪がコーナーの角より前に出ていれば、絶対にぶつからない。
このことは曲がる先の道路幅が車体の長さ分あれば、外側へ膨らむことなく曲がりきれることも意味している。

曲がり角を曲がるとき外側に膨らむ癖がないか自分自身で試す方法がある。
ハンドルのスポークに指を一本当てて曲がるようにしてみる。スポークの片側からのみ押せる操作方法にするのだ。実際はパワーステアリングでも重いかもしれないので、指一本でなく何本でもいいのだが、ようは一方向にしかハンドルを回せないようにする。これをやって、曲がる直前にハンドルを外側に回したくなるようなら、変な癖がついていると思われる。

2010年7月1日木曜日

車が自分の意思と無関係に動くのであれば、車か人のどちらかが壊れている

信号待ちをしているとき、青に変わってもいないのに、ジリジリと前に動き出す車がある。交差する信号が変わり始めているのなら、例によって焦っているドライバーかもしれないのだが、そうでなくても動いている場合がある。ブレーキペダルを普通に踏んでいる限りは動くはずがないので、意識的に車を動かしているとしか考えられない。もしも自分の意思と無関係に車が動くのだとしたら、車を点検に出すか、ドライバーは病院に行って診てもらった方がいい。おそらくどちらかが壊れているだろう。

2010年6月25日金曜日

煽り運転をする人物像

煽り運転をするドライバーというのはどんな人物か。
見るからにチンピラっぽい容姿のドライバーや、燃費の悪い車に乗っているドライバー、ドレスアップしている車は分かりやすいが、実際はそれにとどまらない。
普通のおじさんやサラリーマン風の兄ちゃん、おばさん、若い女性等、様々だ。
そうした煽り運転をするドライバーだって、勘違いしているだけのことであって普段は普通の人かもしれないのだが、ルームミラーで顔を見ていると、何故か賢そうには見えない。

おじさんだったら、終始セカセカとせっかちに動いていて、落ち着きのない本能で行動しているような人。
サラリーマン風の兄ちゃんなら、少し話すと支離滅裂な思いつきのようなことを言う人。
おばさんなら、第一次産業に従事し、軽自動車か小型車を自ら運転していて、普段、周りから男勝りと言われて調子に乗っている人。
若い女性なら、自分の意見がなく、正しいことの基準が周囲がしているかどうか。詰将棋で2手以上先が考えられない人。
これらは、私自身によるとんでもない偏見だが、たぶん私が考えるある種の人物像。例えば激しく勘違いをしていたり、思考することを放棄しているような人達の代表例なのだろう。

そういう私も出来た人間ではないので、自分の良くないところに気がつく度に修正しているのだが、そうした経験の中でこれに近いものと言えば、タバコをやめた時に、他のタバコを吸っている人達への見え方や、ダイエットで減量した後に、まだ太っている人達への見え方がある。
タバコという害ばかりのものを、コミュニケーションの道具になるだの、気分転換になるだのと、弱い自分に言い訳して吸い続けていることが愚かだと知っているのだ。ダイエットするなら消費カロリー以上に食べなければいいだけのことなのに、快楽に走っている弱い人間だということを知っているのだ。
煽り運転のことも分かっているから、そのような行為をする人間がとろく見えるのだろう。

2010年6月24日木曜日

回避は逆をつけ

車を運転中に原付バイクが前を走っており、そのバイクが右折の合図を出したとする。そのバイクが右折のため減速するので、回避したいとしたら、どのようにするか。
1.減速する原付バイクの右側を通過する。
2.減速する原付バイクの左側を通過する。
3.原付バイクの後ろで待つ。

3を選んだあなたは正解だが、それでは話が進まないのでここでは1よりは2の方が良いということで話を続ける。
右へ行こうとする者の右側に出る、あるいは左へ行こうとする者の左側に出ることは、進路がクロスするため、混乱を招くのが目に見えている。原付バイクが右折の合図を出す時はその右へ並んだり、追い越しをしてはならない。原付が右に寄って左側が開いているのであれば、左側から追い抜く方が、はるかに安全である。
これはなにも右折のときだけでなく、左折のときもそうだし、相手が歩行者であれ、車であれ、動物であっても同じことが言える。

もうひとつ例を挙げたい。目の前を右から左に向かって横断する自転車が現れたとしよう。自転車はまだ自分の車の右側にいるとする。このとき車で自転車を左右どちらかに回避したいとしたら、加速して自転車の前になる左側を抜ける方法と、減速して自転車の後ろになる右側を抜ける方法がある。こういうとき自転車の前を先に横切ろうとスケベ心を出すと、かえってややこしいことになる。

左右だけでなく前後でも似たようなことが言える。
片側2車線以上の道で、2台の車が並走していたとする。隣の車線に進路変更したいが、並走しているためそれができない。
このような状況では減速して隣の車の後ろに入るのが基本であるが、自車に対して隣の車が相対的に減速している場合は、その逆をつくという方法もある。隣の車が加速している場合は普通に減速してその後ろを選べば良いが、隣の車が減速しているならば加速して前を選ぶ方法もある。
いったん減速を始めるとアクセルを踏んで再加速を始めるまでどうしてもタイムラグが生じるので、減速しかかった車の前方に出るのは容易い。
このことは裏を返せば加減速している車の前後に進路変更する場合に気を付けたいことでもある。加速している車の前に入ったり、減速している車の後ろに進路変更することは無理な格好になりやすい。

左に行こうとする者と同じ左に、右に行こうとする者と同じ右に入り込んで交通をギクシャクさせるのは、力んだり、前のめりなドライバーに多い。余裕をもっていないことで、交通の動きを読めず、その瞬間の位置関係だけで判断するからだ。

2010年6月23日水曜日

事故渋滞に人間の低能ぶりを知る

渋滞の原因のひとつとして事故がある。
事故が起こることで道路の一部が使えなくなることで流れが悪くなるが、一番大きいのはその事故を見るために減速することである。
高速道路では事故を見るために関係のない対向車線でも渋滞することがある。

ハマったことがある方は分かると思うが、事故渋滞は距離が長くなって、しかもなかなか動かない。ようやく事故現場を通過すれば、嘘のように普通の流れに戻る。
事故現場に到達するのに何十分もかかり、事故現場を通過するのはほんの一瞬だ。渋滞によって被るデメリットと、事故を見物するメリット?を比べたら、まったく割に合わない。事故の見物による渋滞の被害を被っていれば、いざ自分が事故現場を通過するときには、目もくれずさっさと通過するのかというと、それでも事故現場で停止に近いほどまで減速する車が多い。
見物する車のために渋滞になって、そのシワ寄せを食わされても、自分が事故現場を通過するときは、その後に続く渋滞のことなど考えず、やっぱり同じように見物するのだ。

水槽に上から水道の水をジャバジャバ注ぎ、下からはポタポタとしか水を流さない状態になっているのである。チョロチョロではない。ポタポタだ。事故処理が終了するまで現場は強力なボトルネックになり、延々と渋滞は伸び続ける。

もちろん、事故現場では破片が散乱していたり、処理にあたる人も居るので安全な速度で通過することにはなる。
だが、そのレベルをはるか超える減速のことを言っているのである。一番事故が見える好位置でほぼ停止するかのような速度を数メートルにわたって維持する必要なんてあるわけがない。

他人の不幸を対岸の火事のように見ている姿からは、自己中心的な考え方や人の醜さ、愚かさというものを改めて認識できる。

2010年6月22日火曜日

駐車場のマナー

スーパーやデパートをはじめ、買い物に車で出かけると、店舗の駐車場に車を停める機会がある。
そうした場所でも、ちょっとした注意点がある。

ジャスコとかダイエーとか、大規模な店舗では数百台という規模の駐車場がある。
警備員さんによる誘導があればよいが、そうでない場合には地面の矢印に従う。たとえ遠回りになっても、矢印を逆走するのはやめた方がいい。万一逆走すると判断してそれを実行するなら、自分のしていることに自覚を持ち、それなりの覚悟をしておいてもらいたい。そうそう事故にはならないだろうが、約束が果たされないとき、混乱は簡単に起こる。いらぬことの原因が誰にあるかは明白だ。

混雑している場合には、先に入った車はなるべく駐車場の奥へ向かうようにする。途中で停めるところを探してノロノロ運転していては、後ろの車すべてがそれに付き合わされる。
たとえ混雑していても、奥の方は大抵ガラガラだ。店舗の入口が少し遠くなるかもしれないが、どれほどの違いも無い。同乗者がいるなら歩いている時間は良いコミュニケーションの機会になるし、ひとりだとしても運動になると考えれば良い。少しでも歩行距離を減らそうとノロノロ運転で入口付近の駐車場所を探す車の中から、肥満体のドライバーや同乗者が出てきたら、こんな分かりやすい話はない。

だが、前の車がノロノロ遅いからといって車間距離を詰めてはならない。そうした車は駐車場所を探しているのだから、スペースを見つけたら、バックして駐車しようとする。その時、後ろに車間距離が無かったら、バックできない。その車の後方の車間感覚もどうか分からないから、少し余裕をもった車間距離を開けておきたい。

駐車スペースを見つけたら、なるべくなら一回で入れることを目指したい。別に何回か出し入れしてもいいのだが、クセにならにようにするためだ。
また、駐車スペースには車を押し入れるのではなく、引き込むつもりで運転する。アクセルを踏んでスペースに押し込むのではなく、車がスペースに入るのを待つような感覚だ。動きだしたら、後は慣性で動き続けるかのように速度を維持し、ハンドルで車の進路をコントロールして、スペースに収める。繰り返しエンジンがウォン、ウォンと音を発しながらバックしていたら、他人からは見ていられないような酷い運転になっているかもしれない。

スーパーで見かける家族の中には、店から出る前に父が先に駐車場から店舗の出口まで車を廻して待っていることがある。それで通路を狭く、見通しを悪くし、スムーズな流れを阻害することもある。
体に障害がある場合や、年齢のこともあるから、あまり厳しいことは言えないが、基本的にはマナー違反だ。
奥さんや子供さんが元気なら、せっかくなので駐車場までの行程も会話や何気ない教育の機会として利用すれば良い。子供に身勝手でずぼらなところを見せてもいい教育効果があるとは思えない。

2010年6月21日月曜日

携帯サイトもあります

このサイト「運転マナーが悪い」のモバイル版もあります。
同じ記事をアップしていますので、時間があるときに携帯電話等からいつでも読むことができます。

以下のURLからアクセスしてください。
http://drvman.jpn.ph

2010年6月19日土曜日

左折はバイクを横に入れない

交差点で信号待ちをしているときなど、自動車の左側をバイクがすり抜けていくことがある。厳密にはバイクの道路交通法違反かもしれないが、今回はその件について言いたいのではない。

問題は左折する車の左側にもバイクが入ってくることである。
左折時に巻き込みの危険性があるのはすぐに分かるが、そんなことは滅多に起こらない。それよりも、バイクが直進するとしたら、左折の自動車と動線がクロスするため、どちらかが発進を遅らせる等の注意をしなければならなくなる。おそらくは自動車が譲ることになるだろうから、すぐに発進できない左折の自動車がしばらく左端の車線をブロックすることで、交通の流れを必要以上に悪くする。しかも左に寄せていないので、ほぼ車線全体を塞ぐことになる。

バイクが左側に入ってこられないようにするには、信号待ちでしっかり左端に寄せて停車すればよいだけである。
バイクはちょっとした隙間でも入ることができるので、十分に左に寄せておかなければ意味がない。隙間の幅は50cm以内が理想だろう。あいまいな間隔ではなく、明らかに入れないところまで寄せるようにすることが大切である。
その後は、左端に寄せているのをそのまま維持して左折する。右に膨らんではならない。

バイクを自分の車の前に出してあげようとか、バイクに対してなんらかの配慮をするために左端に寄せないようにした方がいいのではないかと考えるかもしれない。心配いらない、バイクは車の後ろにつくか、大きく開いている車の右側に出てくるだろう。右側に出てくる分には左折においてまったく障害にならない。バイクの立場としてもこの方がずっとありがたい。
バイクにやさしい気持ちは汲み取ったとしても、それ以外の存在も含めた交通全体を考えたとき、どうするのが良いかということである。

左折車が左端に寄せていれば、バイクだけでなく後方の直進する自動車にとっても左折車をかわしやすくなり、信号待ちをしているずっと後ろの車は左折車の存在に気づきやすくもなる。

自動車の運転手に側方感覚がなくて左端に寄せる能力がないとか、内輪差を異様に恐れていて左端に寄せたまま左折する方法を知らないというのであれば仕方ないところもあろうが、分かっていてできないとしたら、交差点での左折をアウトインアウトに近い曲がり方をする等、横着か運転が乱雑なのだ。だが、実は左端に寄せる方が、バイクへの心配がない分、負担が減って安全で楽なはずである。

2010年6月18日金曜日

枯葉マークを嫌がる高齢者

免許取得後1年を経過しない初心運転者は、車に初心運転者標識(初心者マーク・若葉マーク)を付けることが道路交通法により定められている。また70歳以上の運転者は高齢運転者標識(もみじマーク・シルバーマーク・枯葉マーク)を付ける。

もみじマークには何かと難癖がつけられている。特に枯葉マークとも言われ、人生の終焉を連想してしまうのか、評判が良くない。
そこで最近、警察庁が別のデザインのマークを4つ提案し、インターネット上でアンケートを実施している。今の枯葉マークのイメージが良くないので新しいデザインに変えようということだ。

ちょっと横道に逸れるが、国の社会保険制度に後期高齢者医療制度というのもあって、名前に後期とつくから、寿命が残り少ない死にかけのように聞こえて、それが気に入らないというのに近い話だ。こちらも長寿医療制度に名前を変えようとしている。こちらは純粋に名前の話かもしれないが、枯葉マークについて高齢者が本当に言いたいことは「そこまでもうろくしておらん」ではないだろうか。こうしたマークの存在自体が、高齢者を見下げたり、なめられたように感じるのであって、デザインや名前の問題ではないのではないか。

私はまだ死を目前とする状況ではないので、高齢者の気持ちを理解することはできないが、死が迫ってくる現実を直視できないということがあるのではないかと思ったりする。高齢者もなかなか頑固というか、いつまで経っても若いという気持ちなのだろう。
また、自動車による交通社会には独特の世界がある。それはこのサイトで取り上げている内容にも関連することだが、現実世界ならヒンシュクものであろうマナーの悪さが横行し、ちょっとでも人より先に出ようと、ドライバー同士で不毛な牽制をし合う。そうした中で枯葉マークを付けることは「私はヘタクソです」と看板を掲げて運転するようで、見くびられることになるのではと考えるかもしれない。場合によっては、自らが乱暴な運転をする際に、相手に何かを見透かされる気がするのかもしれない。
高齢者の気持ちとしては、運転も人生もベテランだ。保護される立場ではない。差別的取り扱いを受ける理由はない。衰えなどない。カッコ悪い・・・等々、他にも色々あるかもしれない。

一般的には高齢になるとともに肉体は衰退していく。それを自覚できれば良いのであるが、そうでないことも事故につながる原因となる。認知症による高速道路の逆走もそうだろう。認知症には自覚がないことが多いが、それだけにたちが悪い。高齢者といっても99%は元気であろうし、運転も上手だが、自覚がないことがあるからこそ、こうしたマークに効果があると判断されたのだと思う。

名称や格好なんて、どうでもいいことのように思えるが、人生何十年も生きてきた先輩でさえ、感情に支配されるのである。はからずもそのことで精神的には若いことを証明し、肉体とのギャップを見て取れる。

2010年6月17日木曜日

周りの流れに乗ってスピード違反

速度違反を正当化する理由でよく言われるのに、「周囲の流れに乗る」というのがある。
制限速度を守らなければならないだろうが、周囲の流れに乗って運転することも大切であるという主張だ。
では、周囲の流れに乗った結果、速度違反になる場合はどちらを優先すれば良いか?

もちろん、制限速度を超えてはならない。仮に違反速度で交通が流れているとしたら、先頭の車が速度違反をしているだけのことだ。

しかしながら「周囲の流れに乗る」ことで速度違反の取り締まり対策になることがあるかもしれない。
地元のドライバーはどこで取り締まりをしているかよく知っているから、危険な場所では速度を落とすだろう。平然と速度違反をしている車がいたら、どこが危険か分かっているからこそ、やっているのではないかと期待し、そうした車についていくという手を思いつく。

また、連なって走行している場合には、先頭の車が取り締まり対象になりやすいとも言われている。
警察官が「止まれ」の旗を持って立っているところで、一度にたくさんの車を停車させられないだろうし、警察官の人数、用意している机の数といった物理的制約がある。前方の車が止められれば、その影響でずっと後ろの車も減速することになるから、速度を測定している地点では違反車も減速してしまっていることがあるかもしれない。

これらのことから「周囲の流れに乗る」ことが仮に取り締まり対策に有効だとしても、あくまで速度違反を正当化できるわけではない。
「周囲の流れに乗る」のは取り締まりを回避したり、難しくすることを目的とすると主張するのであれば分かるが、「周囲の流れに乗る」ことが速度違反の弁明にはならない。
「みんなで協力して、取り締まりを難しくして、全体の流れが速くなるようにしよう。そうした空気を理解し合おう。」というのであれば、その内容が正しいか間違っているかは置いておいて、言いたいことは理解できる。
厳密に制限速度を守るとしたら、速度違反をしているような流れは断ち切って、正常な流れにするのが筋だ。それが気に食わないからといって、「周囲の流れに乗る」ことを理由として他人に速度違反を求めることはできない。

ご存知のように速度違反が常習化している実態がある。それを認めるし、私自身が制限速度を完全に守れている自信はない(というかここで明確に違法行為をしているとは言えない)。
だから、あまりにも厳格に制限速度を守られると、遅いと感じるのが正直なところだ。だが、それでもそれが本来、正しいのである。そうしたドライバーを周囲の流れに乗っていないといって迷惑がったり、間違いであるかのように言うのは、順序がおかしい。自分が違反速度で走行するための妨げになるとか、他の交通の迷惑になると考えるかもしれない。しかし、制限速度を守るというのが、道理から言えば正しいのである。
周囲の雰囲気を理解しろといっても、取り締まりのリスクを押しつけるわけにもいかないし、「制限速度を守る」という相手の主張は聞き入れず、「空気を読め」という自分の言いたいことだけ理解しろというのでは一方的だ。周囲の車が迷惑しているというのも証言のとりようがなく、仮に一時の勘違いはあっても冷静に考えればまともでないことに気づくであろう。制限速度を守る流れができているとしたら、それがそのときの周囲の流れである。速度違反の流れは正しく、速度違反でない流れは違うというのでは、都合が良すぎる。結局、速度違反のもっともらしい理屈をつけているだけだ。

ところで、「周囲の流れに乗る」ことで本当に取り締まり対策になるだろうか。
現状、そうした考え方が一般的に確立しているとは思えず、確実とは言えない。本当に効果があるなら考える余地もあるが、想像の域で、リスクを排除できない以上、私も運転免許を維持しなければならないし、余計な税金を納めたくない。なにより取り締まりにあうと、不快な思いをする。そうなるとせっかくの気分もぶち壊しだ。

2010年6月14日月曜日

煽り運転の的外れな倫理観

高速道路で走行車線を走行中、速度の遅い車に追いついたとき、追い越し車線を使って追い越しを始める。その追い越し中、後方に別の車が存在したとしたら、後方の車は追い越し中の車との間に当然、車間距離を確保しているだろう。
追い越し中の車が、走行車線の車と並走し、さらに追い越した後、左の走行車線に戻るわけだが、走行車線の車との車間距離を確保する必要があるため、しばらくの間は追い越し車線を走行する。走行車線の車との間に十分な距離を確保できたなら、走行車線に戻る。
ここで、追い越しを行っている車が走行車線の車と並走し、それを越えてすぐのところまで至った段階で、それまで車間距離を開けていた後方の車が追い越し中の車に対して煽り運転を始めることがある。つまり、走行車線の車の前に出たのなら、すぐに走行車線に戻れということであろう。しかし、十分に前方に出ないまま走行車線に戻れば、走行車線を走行中の車との車間距離を確保できないため、それはできようもない。無論、走行車線を走行中の車の直前に入り、一時的とはいえ何の非もない走行車線を走行中の車に、いらぬ危険性と不快感を与えることを引き換えにするのであれば、それも不可能ではない。
そもそも煽り運転に問題があることは言うまでもないが、こうした時、煽り運転をするドライバーは、いったんは追い越しを終えるのを待つという配慮をしているつもりなのかもしれない。ところが、詰めの甘いことに、走行車線で追い越される車への配慮が抜けているのだ。
前方の車が追い越し中であるから、煽り運転を一時的に留保しているという思考ロジック。皮肉なことに、煽り運転をすることで前方の車が不快な思いを持つことの認識を自明している。

煽り運転自体が、損得や価値、意味などない、その場の感情や感覚的なものであり、論理的に考える習慣がない人たちによるものであることは分かっている。だから、煽り運転をするドライバーに考え足りないことが多いのは当然のことと言えば当然ではあろう。

別のケースを挙げる。高速道路に限らず一般道路でもそうだが、先頭がゆっくり走る車だったとするとその後ろに車が連なることがある。先頭の車が右左折したり、進路変更することで、いなくなり、前方が空くことがある。それで、それまで2台目だった車が先頭に変わる。とたんに、その後ろの車が煽り運転を始めることがある。
つまりこういう事だ。先頭に遅い車がいたら2台目の車も遅くなるのは仕方なく、2台目の車に遅い原因があるとは認められない。先頭の車がいなくなったなら、2台目の車はもっと速く走ることができるようになったはずなのに、それでも遅いのであれば、今度は2台目だった車が遅い原因に変わる。前方の車が新たな遅い原因になることが判明したので、その後ろの車は排除するため煽り運転をする。

こうした煽り運転をする車は、自分のしていることが正しいと思ってやっている。場合によっては正義だとすら思っているかもしれない。
例えば、遅い車を排除することで、自分の後ろに続く車のためになると考えたりするのである。煽り運転をする行為こそ迷惑と思っても、それで遅い車を無理に止めてまで、前方に出ることを誰がありがたいと思うか。
また、遅い車に何かを分からせるという意図もあるかもしれない。おそらくそれは違法速度で走行するための主張であったり、違法速度で走行することが当たり前といった思い込みによるものである可能性があるが、それよりも、目論見に反し、何の啓蒙にもならない。感情的な制裁的手段で教育しようとしても、恨みや反発を食うだけである。

2010年6月11日金曜日

速度を維持できないドライバー

その場所の制限速度がいくらであるにせよ、現代の自動車であれば、制限速度+20km/h前後で走行する分には速度を維持したまま巡航できる。(このサイトは違法行為を推奨していないので、念のため書いておくが、実際は制限速度を超えてはならない。)ワインディングの急コーナーや直角に近い急なカーブでもなければ、始めから落とす必要のない程度の速度しかでていない。
単なる直線区間はもちろんだが、ちょっとしたカーブでも速度が上下するようなら何かがおかしいと考えて良い。速度が上下するたびに後ろの車との車間距離が変化し、後ろについている車は運転しにくいことこの上ない。

速度を落とすためにフットブレーキを使えばもちろんだが、エンジンブレーキでも、減速するたびに稼いだ速度を捨てることになる。
アクセル開度30%で50km/hを維持しているとして、ここでアクセル開度を29%に落とせば、ゆるやかに減速を始めることになる。この時、エンジンが車を押しているのではなく、エンジンは車輪に対するウェイトにしかならない。車はエンジンの回転抵抗を引きずって走っているわけである。それでいったん48km/hまで速度が落ちた後、再びアクセル開度31%で速度の回復を図れば、今度は車を押し出すために余計に力を使う。
加速で燃料を使い、作り出した速度を今度は車輪がエンジンを回すエネルギーとして捨てる。速度が波状に変化する運転をしていては、燃料を浪費するだけだ。
後ろについている車にしてみたら、そんなことにつきあわされるのは、たまったもんじゃないだろう。

速度を維持できないのはスピードメーターを見ていないことにも原因があるのではないかと思う。
コンマ何キロという微妙な速度を体感で分かるようになればいいだろうが、余程のことでもなければ無理な話である。数秒に一回はスピードメーターをチェックするようにしたい。年配の方であれば動態視力の低下もあって、スピードメーターを頻繁にチェックすることができないかどうか、私には分からないが、比較的暇な巡航中であれば、ほとんどの人は、余裕をもってチェックすることができるはずである。

スピードメーターがアナログ式なら、針と文字盤に書かれた目盛りを完全に一致させるようにする。針が目的の速度の目盛りを行ったり来たりするようでは運転が大雑把ということだ。
指先に力が入るか入らないか程度の微妙さでアクセルを操作しこまめに針の位置を維持する。
目盛りから針の太さ分もずれてしまったなら、速度を合わせ直すには、アクセルコントロールは大きなストロークを要するだろう。そのとき同乗してればエンジンのトーンがたびたび変化するため、雑な運転であることにすぐ気づく。

昔、アクセル操作を10段階だか、100段階だかで操作するという話を言っている人がいた。
アクセルにノッチは付いていないし、あったら邪魔だ。アクセルは段をつけて操作するものではなく、連続的に操作するものである。仮に100段階を想定したとして、ある速度を維持するのに、85段目だと速度が上がりはじめ、84段目だと速度が下がるとき、速度を維持するのにアクセルを85段目と84段目の間で行ったり来たりさせるつもりだろうか。

一般道路での走行というのは、たかだか速度を上げ下げする必要のない程度のものである。一般道路での巧みな運転というのは乱雑な運転ではなく緻密な運転のことなのだ。

2010年6月10日木曜日

右左折レーンは発生と同時に入る

進行方向別通行区分のある交差点で、左折や右折の専用レーンのある場合がある。
それまでは無かった車線が、交差点の直前で現れるような状況もある。中央分離帯のある道路で右折専用レーンが登場する場合が多いだろう。
そうしたところで、右左折するなら、なるべく右左折レーンが登場したと同時に進路変更したい。

専用レーンが登場し、しばらく進んでから進路変更しても構わないのだが、始めから分かっているのなら専用レーン登場と同時に入れば良いし、右左折する交差点は計画的に運転するようにしたい。万一、途中で進路変更を思いついた場合には、後方からの車に特別に注意が必要で、後ろの直進車に減速を強いる等の迷惑がかかる場合は、そのまま直進してしまう方法も考えたい。

また、直進レーンから右左折レーンに早めに入ることで、直進レーンでの減速をまったくか、ほとんどすることなく進路変更できる。これで右左折に無関係な後ろの直進車を減速に巻き込まずに済み、交通の流れからスムーズに離脱できる。

縞々の斜線がひかれた誘導帯がある場合は、誘導帯は理由なく踏まないようにしたいが、渋滞時等、交通の状況によってはこの部分も右左折のレーンとして利用できる。

2010年6月9日水曜日

ウインカーを出さない

運転マナーの最たる例のひとつだが、ウィンカー(方向指示器)を出さない、あるいは出しても遅い車がある。
理由にならないとはいえ、人と会話をしていたり、何かを考えていたのなら、ひとつふたつ忘れることもありえるかもしれない。だが、多くの場合、始めからウインカーを出すつもりなどないのではないかと思える。

車線変更するときも、車線を変更する前ではなく、車線変更すると同時に出す。まるで、合図を出すと、間を詰められるので、騙し討ちのようにして、素早く入らなければならないかのように。自分がそうだからといって、他人まで同じではない。もしも、分かっていないなら、騙されたと思って進路変更の3秒前に合図を出すようにしてみると良い。実際、間を詰めて入れなくする車というのは少数で、仮に、そうしたことをするドライバーがいたら、容姿等を見てみるとよい。いかにも分かりやすいスタイルだったりする。
左折する時にも、ブレーキで減速してから曲がる直前にウインカーを出す車がある。それでは、後ろの車はわけも分からず無理やり減速させられ、前の車が曲がることに備えることもできない。

ウィンカーはなんのために出すのか。警察にいちゃもんをつけられないように?万一事故になったときのアリバイ?

昔、ある人がウィンカーを真面目に出している車を指さして、小馬鹿にするような事を言っていたことがある。その時は何を言っているのやら意味が分からず、目が点になっていたのだが、ちょっとワルぐらいが粋などという発想なら、今の時代、冴えない。もっともその人は10代後半の子供だったので、そんなものかもしれない。

ウィンカーは他の交通に意思を伝えることに意味がある。進路変更する前やブレーキを踏む前に出してこそ役目を果たす。
ウィンカーは自分のためではなく、他人の運転の負担を減らせることが大きい。他人への心遣いをケチって、ウィンカーを出さずに突然曲がるようなことをすれば、他人には必要のないストレスと面倒をかけ、円滑な交通を阻害することになる。交通を共有するもの同士が邪魔をし合うことに努めても、何も満たされることはない。

2010年6月8日火曜日

制限速度50km/hの道路はブレーキ不要

一般道路の法定速度は60km/hだが、多くの場所で制限速度が設けられている。中でも40km/hと50km/hは多いように思う。
40km/hは道幅が少し狭かったり、急カーブや、交通量が多いところに見かける。50km/hになると、ほぼ障害となるものがない幹線道路等に多い。

50km/hの道路を走行していると、ブレーキ操作を必要としない。カーブが緩やかなため速度の調節が不要で、せいぜいアクセルを戻すエンジンブレーキだけで曲がれてしまう。実際はまずアクセルを戻す必要もない。
このことは、ひとつの基準としてみることができると思っている。
というのは制限速度50km/hの道路でブレーキ操作を必要とするなら、おそらく何かがおかしいと思われるからだ。
ブレーキを踏む原因のひとつとしては、速度が出過ぎていることが考えられる。例えば80km/h以上くらいになると、ちょっと強めのカーブではフットブレーキかエンジンブレーキが必要になるかもしれない。
あるいはカーブで過剰に減速している可能性や、曲がり方に問題があるかもしれない。
車種やそのときの車重等によっても変わるから一概に扱えないが、前を走っている車のブレーキランプが何度も点灯するようなら、あやしいサインと見ることができる。
そのまま前の車について走っていると、無駄に加減速が多かったり、制限速度も無関係の走りになることがある。
直線で過剰に加速し、カーブで過剰に減速するといった、燃料をドブに捨てるようなバカバカしい運転に付き合わされかねない。
アクセルとブレーキのコントロールも増え、余分に疲れる。ブレーキを必要とするほど、速度を上げているなら取締りのリスクもある。

ただし、50km/hの道路でも、まれに直角カーブのようなものもあるので、ブレーキが要らないと決めてかからないように注意したい。
50km/hの道路を走行しているときにフットブレーキとエンジンブレーキを使っていないか、今一度、自らの運転を点検してみると良い。

2010年6月7日月曜日

二輪車を見下す四輪車

どうもタイヤが4つ以上付いた車に乗っている人の中には、タイヤが2つの車、二輪車を軽んじている人がいるのではないかと思えるふしがある。車体のサイズか、排気量か、車体価格か、何が何だかよく分からないが、何かの優越感のようなものかもしれない。そうした気持ちが表面化する場面がある。

二輪車に対する車間距離もそうである。
3台の車が順番に走行していたとして、安全な車間距離が30メートルだとすれば、1台目と2台目の間は30メートル、2台目と3台目の間も30メートルでよい。
ここで、2台目がバイクだったとしたらどうだろうか。もちろん同じだと思うのだが、3台目のドライバーによっては2台目のバイクとの車間距離が短くなることがある。
このような状況を強いられる2台目のバイクはブレーキに注意する必要が生じ、後ろの車の動きの不審さから、無意味な追い越しをしてくることも視野に入れておかなければならない。二輪車としては無駄に神経を使うことになり、さぞかしうっとうしいことだろう。

車間距離だけでなく、横に並べる車もいる。しかもそうした車は右斜め後方につける。車はバイクがよく見える位置につけているつもりでも、バイクにとってはミラーに写らない死角である。
二輪車も進路変更時は目視で確認するし、ほとんどの場合、右後方に車が隠れていることを把握しているだろう。この時、二輪車は後方に加えて、側方の動きも制限され、さらなる神経を使った運転を余儀なくされる。
死角の確認は体や頭をひねって振り返る目視となる。億劫な気持ちではできない動作であり、一時的に前方視界を失うリスクがある。
二輪車の中でも特に原付バイクは教習所で目視の訓練を受けていないかもしれないし、二輪車の運転手のすべての人が、何もいないと思っている方向に対しても確実に目視をできるか分からない。道路の左の障害物を避けるとき、右に進路変更し、横に並ぶ車に接触するような光景もありえるだろう。
横に車がいることを分かっていても、左から不意な飛び出しがあれば、バイクに逃げ場はない。

さらに、後ろに近づくだけでも、横に並ぶだけでもなく、前が詰まっている渋滞に近いようなときにまで、バイクの横から前に出ようとする車もある。
バイクが、渋々車を前に出したとしても、ただ、順序が入れ替わるだけのことである。バイクの後ろにその車が続くか、その車の後ろにバイクが続くかの違いしかない。
必要ないことにバイクが付き合わされるだけで、バイクにとっては迷惑なだけだ。

2010年6月6日日曜日

道路に面した施設から出るとき横に並べる

ガソリンスタンドは道路に面していて、車の出入りがしやすいように大きく開いている。道路に出入する際には地面に書かれた誘導に従って移動するか、ガソリンスタンドの従業員がいれば、誘導に従って出入りするが、最近多いセルフ式では、従業員によるサービスはない。誰かの誘導がないと、とたんに無法状態に変わる。
ガソリンスタンドから道路に出ようとする車がいた場合、その車の後ろに並ぶのではなく、横につけようとする車がいる。左折する車の右で右折待ちをするのであれば、まだ分かるのだが、左折車が2台並ぶ格好になるのだ。
最初から左にいる車は、左寄りに止めることで、右折する車が来たとき自分の右へ停められるように空けているかもしれないのだが、そんなことはお構いなしである。
こうした車は、左にいる車の意図や気持ちを汲み取るとか、察しが悪いとかそういう次元ではない。というのは、案の定、そうした車は左にいる車より前に突き出して止まり、左の車が右から来る車の切れ目を見えなくしてしまうのだ。
左の車は切れ目を確認できなくなるので発進することができなくなり、必然的に右側から出る車の出発を待つことを余儀なくされる。
視界を塞いで先に出る車は、うまく出し抜いたつもりかもしれないが、人の良さにつけこんでいるだけである。

この場合に、右折待ちで右に止める場合も注意が必要である。前に出過ぎれば左に止まって待っている車の右側の視界を塞ぐことになる。左の車の視界を妨げないところに止めたら、次に車を動かすのは流れが途切れて、発進する時だ。あやふやにずるずる前に進めば、そのうち左の車の視界を奪うのは言うまでもない。

2010年6月4日金曜日

日曜日の夕方が危ない

世間では土曜日と日曜日に休みの人が多いと思うが、日曜日の夕方は間もなく休日も終わり、明日からの仕事や学校のことを考え始める時間帯である。車を運転するドライバーは早く家に帰って、夕食を食べ、風呂に入って、早く寝たいと思うだろう。
日曜日の夕方は、どんよりとした気だるい空気が流れる時間帯である。
休日はサンデードライバーといって、普段運転しないドライバーが混ざっている。
さらに、土曜日、日曜日の2日間、交通戦争の中で車に乗ってきて、運転操作が荒くなっているかもしれない。
夕食の買い物で渋滞もあるし、遊んだ疲れもあるだろう。
事故になりやすい環境が揃っている。

万一、事故に巻き込まれれば、その休日は最低の結果で締めくくることとなり、事故処理のことまで考えると気が重い。翌日からは保険会社や自動車修理工場との連絡等、余計な仕事も増える。

実際、私は日曜日の夕方に事故を見ることが多いように思う。
日曜日の夕方は気を引き締めて慎重に運転したい。
横着をせず、丹念に確認をし、車間距離をあけ、信号で止まり、つまらない危険を作らないようにしたい。
普段通りの何でもない休日で終われば一番良いのだ。

2010年6月3日木曜日

ジェットコースター運転

下り坂から上り坂に変わるような場所をサグといい、渋滞の発生原因となる。平地から上り坂に変わる箇所でも同じように渋滞になる。
上り坂で速度が落ちることで、その後に続く車との車間距離が縮まり、後ろの車が車間距離を開けるために減速する。その減速が積もり積もって渋滞になる。
それが、分かりきっているのだから、上り坂の手前になる前に速度を上げておけば良い。
上り坂の手前で80km/hで走行しているのなら上り坂になる前に85km/hまで加速する。上り坂が終われば、80km/hに戻せばよい。
これでサグによる渋滞は起こらない。全員がそうすれば、今度は上り坂が終わって85km/hから80km/hに戻すときに渋滞が発生する。だが、その戻すタイミングも分散させれば良い。
実際は、上りが始まるところで減速する車があるだろうから、あえて加速しておく、これで中和する。一方、上りが終わるところでは、速度が上がる車が多いだろうから、そこで速度を落として中和する。プラス・マイナスのバランスがとれるわけである。

それはともかく、上りや下りでいちいち速度が変化するのがもともとおかしい。上りは重力に逆らうのだから速度が落ちるだろうし、下りなら速度が上がるに決まっている。アクセル操作を変化させていないとしか思えない。平地と同じアクセルの踏みこみ量なら、起伏のたびにいちいち速度が上下するだろう。これはもうジェットコースターだ。

上りで速度が落ちざるを得ない車種もあるだろうから、それはどうしようもないが、走行可能な車まで一緒になって減速することもない。
特に上りで減速した場合、後ろにつく車も減速を余儀なくされる。速度が落ちるドライバーは、後ろの車への影響についてどう考えるだろうか。

これもまた、速度の繊細なコントロールができない運転と、交通全体への俯瞰的視点を欠いた例のひとつである。

2010年6月2日水曜日

煽り運転に進路を譲るのはキ・ガイの相手をしないためだけの理由

以前にも書いたが、前方の車に対して極端に車間距離を詰め、プレッシャーを与えるような運転をする煽り運転というのがある。
煽り運転はありとあらゆる観点から考えて、不当で、意味のない行動であるのだが、現実にはそうしたことをするドライバーを見かけることがある。普通の人は高速に走行させることが可能か、不可能かに係わらず、制限速度の制約や安全運転等から、過剰な速度を出さずに運転しているわけなのだが、そのことにも気がついていない可能性が考えられる。

煽り運転に遭ったときの解決策として、左に寄せて止め、進路を譲るというのがある。
前を走行する車は何も悪いことをしておらず、煽り運転をする車が一方的に良くないのは分かっている。追い越していったところで、その先でまた他の車がいたり、信号待ちになったりする。がんばって煽り運転したところで、短縮できる時間はわずかであろう。煽り運転というのは意味がなく、誰にも意味が分からない。合理的な理由はないし、論理的につじつまが合うように説明がつかない。

つまり、これが、進路を譲る理由である。ようするに相手にしないということである。
相手は理解不能な思考の持ち主なわけだから、常識的判断が通用しない。
これこれ、こうだから、こうなるだろう。などと言う筋道の通った考え方では対処できない。意思の疎通ができるかすら、さだかでない。
ある種の知能障害の可能性を連想し、気の毒かもしれないが、今は関わらず、自分が安全に運転することだけを考えて、先に行かせ、そのうち快癒されることを願うより他ない。

煽り運転を先に行かせるのは、そうした理由だけである。あなたが試しに煽り運転をして、進路を譲られたとしたら、やはりそう思われているだろう。

カーブでセンターラインを越える

カーブしている道路でセンターラインを越えてくる車がある。センターラインを越えても他の車がいなければ影響はないのだが、対向車がいる場合、対向車は回避行動を強要される。
対向車がカーブに到達したときには、センターラインをはみ出した車はすでにカーブを曲がりきっているとしても、対向車はセンターラインをはみ出した車を視認したことで、左へ逃げようとするだろう。走行レーンすら満足に走れない車に対する信頼性や確実な安全確保の観点から、たとえすれ違うタイミングがカーブで重ならないとしても、回避行動をしないわけにはいかない。

カーブでイン側を曲がる車がレーンのイン寄りを走ることを期待して、アウト側を走行する車は少々センターラインを越えても問題ないと思うかもしれない。イン側の車が期待通りの腕前であるという保証はないし、どこのラインを走行するかはイン側の車の自由で、アウト側の都合の良いように決めつけてはならない。

アウトインアウト走行をするなら、自分の走行レーンの中で行うものである。走行レーンの中すら維持できないというのでは、ドライビングテクニック以前の問題である。というより、わざとセンターラインを越えているのだろうから、さらにそれ以前の問題だ。
実際のところ、真に運転のできるドライバーというのはセンターラインを越えないように丁寧な調整を行えるだろうし、一般道路のペースならセンターラインの中を維持していても、あくびが出るだろう。
自動車の運転というのは、速ければ速いほどに、狙えば狙うほどに、微妙なコントロールをせねばならなくなる。センターラインを越えるドライバーは、素人だけあってやはり雑で大雑把なのだ。

自らが楽をするために、他の交通にしわ寄せがいくような運転。
ここでもまた、自分だけがスペシャルな存在であると考え、他人の優しさの上に成立している甘えであろう。

曲がるはるか手前から極端に遅くなる

前の車の後ろで順調に運転していたところ、前の車の速度が遅くなることがある。それで、どこかに止まるのか、曲がるのかと思って見ていても、一向にそうした気配がない。どうもおかしいと思っていると、しばらくしてようやく横の道に曲がっていく。どうやら、横の道に曲がるために、かなり手前から減速していたようだ。

曲がるために減速しなければならないのは分かるが、何キロも手前から、極端に速度を落としておく必要はない。
もちろん、いきなり急ブレーキをかけるのは良くないが、追突を防止するなら、合図を早めに出し、弱めのブレーキで減速すれば良いことである。はるか彼方手前の曲がり角も見えないようなところから減速していたのでは、後方の車すべてが長時間にわたって無意味な低速走行にさらされ、前方の車がなぜ唐突に遅くなって低速走行を強制されなければならないのか理解できようもない。

ただ曲がり角を曲がるだけのために、それほどまでに手前から減速しておかなければならないのだとしたら、車の運転などまったくおぼつかないはずだ。赤信号や一時停止箇所での停止もあるだろうし、危険な状況のときにはそれよりはずっと難しい停車が求められる。本当に曲がり角を目標として減速するだけのことがまともにできないのだとしたら、その運転能力の貧弱さは想像を絶する。

初めての道等で、曲がる場所を探しながら走行しているのではないかということも考えたが、車の種類や曲がる場所から考えて、その可能性は疑わしい。仮にそうだとすれば、後方の車に負担をかけるのではなく、いったん行きすぎてから戻ってくれば良い。自らの都合のために他人の手をわずらわせるのは、順序が違っている。

50km/h前後のある程度速い速度で国道等のなんら障害のない長い区間を巡航しているとして、その途中で曲がり角を曲がるための減速が必要になったり、停車が必要になったなら、ウインカーによる合図やポンピングブレーキで後方の車が察知できるようにし、左へ寄せて、ゆるやかに減速すれば良い。バックミラーで後方の車が気付いていることを確認しておくと確実である。安全は大切だが、後方の車への影響もなるべく少ない方が良い。
むしろ、まったく何もないところから、減速を始めて、止まるでも曲がるでもなく延々と低速走行を維持していると、後方の車はフラストレーションをためて追い越しを始める車まで出てくるかもしれない。

自転車は車道を走る

自転車は車両に含まれるため、原則、車道の左側を通行するのが正しい。標識や標示で自転車の通行が認められている場合には歩道を通行することもできる。

自転車はエンジンが付いておらず、電動モーターが装備されていても速度の出せるものではない。特別に免許を取得する必要もない。そうしたことから車両としてではなく、歩行者寄りにとらえるような意識が生じ、自転車が車道を走っていると邪魔に感じるかもしれない。自転車は車両であるから車道を走るのは当然である。自転車が車道の左側を走行しているときは、他の車両と同等に扱う。
最近の自転車はかなり速いものも見かけるが、それでも自動車との速度差が生じることが多い。追い越し時には接近して煽り運転気味になってならないのは当然であるが、自転車の後方で待機し、対向車が切れたところで、十分な余裕をもって追い越しを行いたい。
また、自転車を追い越すバイクを自動車で追い越してはならない。2重追い越しは、いたずらに危険と混乱を作り出す。バイクの立場で考えると、追い越しと追い越されを同時に実行することを強要される。バイクは追い越されるだけだから、何も考えなくても良いかというと、そうはいかない。後方から追い越す自動車があるとなれば、いやでも警戒せざるを得ない。バイクの運転手は周囲の交通に無頓着でいられるほど下手ではない。むしろ自動車が下手なことをせずとも、バイクが追い越すのを待った後に、あっさりと追い越せばよい。

自転車は左側通行どころか右側だろうがどこだろうがお構いなし。権利を守れといっても義務を果たしていないではないかと言われるかもしれない。自転車側の運転マナーについてはいずれ取り上げるつもりだが、今は自動車側の立場として、とりあえず自転車は運転マナーが極めて悪いものだと決めつけて運転するのが現実的である。自動車のドライバーは、自転車のマナーの悪さ、運転の無茶苦茶さにはすべて目をつむり、自転車に対して全面的に譲る心構えであってちょうど良い。

2010年6月1日火曜日

右折は交差点の中心の内側を回る

「伊予の早曲がり」といわれる交差点での右折方法がある。愛媛県で多いのでこうした名前がついたらしい。
交差点で直進車より早く右折してしまおうと、急発進してショートカットするような右折の方法だ。

右折するときは、もちろん直進車が優先し、交差点の中心の内側を回るのが正しい。
右折専用の車線がある場合はその車線に入り、ない場合にも右端に寄せ、交差点の中心の手前まで前進する。直進車が途切れたなら、右にハンドルを切って右折する。交差点と言っても4方向に分かれるものだけでなく、T字型でも同じである。

交差点の中心まで行かず、青信号に変わる前に停止位置から斜めに発進し、直進車の前を横切って右折するようなやり方は、直進車と右折車の典型的な衝突事故が考えられるが、それ以外にも右折した先の横断歩道での事故や、右折した先の見通しが悪い場合には、そこにいる車両と衝突する危険性がある。純粋に慌てているというだけでも事故のリスクを高める。
こうした車が信号待ちで対向の右折レーンにいる場合、信号が変わる前から前進してくることがある。気づいた直進車は、そうした哀れなドライバーのために、加速を遅らせて進路を与えるだろう。そのお礼に交差する道路から信号の変わり目を猛スピードで飛び出してくる車があれば、見たくもない派手な交通事故ショーを見せられるかもしれない。

センターラインのひかれた道路で、対向車線を横断して右折する場合でも、曲がる先の道路の延長線上のところまで行ってセンターライン寄りに止める。対向車がないこととともに、曲がる先に障害がないことを確認して右折する。ここで曲がる先の道路の延長線上まで行かず、(多くの場合、迫り来る直進車に先だって横切ることをもくろんで)手前から曲がる先目がけて斜め横断すると、曲がった先の道路状況が分からないことがある。こうした交差点では、曲がった先から出てくる車の方で一時停止になっていて、普通のドライバーは一時停止するだろうから、結果的には難を免れられる望みがある。一時停止した車は斜め右折で無理に入ってくる車に対しても慈悲を与え、進路を開けてくれるだろう。ただ、自転車や原付バイクは左寄りを走るので死角から出てくることがある上、車幅が狭いので発見が遅れる。一時停止するかどうかもあやしいので、事故回避は極端に難しくなる。斜め右折で突撃する前には、神に祈ることも忘れてはならないということである。

酷いのになると、正常な右折待ちをする車の後ろから右折する車まである。この場合、直進車が途切れているだろうから、前の車も同じように右折する可能性がある。そうした無茶をする車が後ろにいることを前の車は予測していないだろうし、信号機や対向の直進車の切れ目、曲がる先を確認するのに忙しくて後方の車の心配などしていない。同じ右折先に2台の車が加速しながら突っ込む状況が想像できる。運良く前の右折車が危険を察知できた場合、衝突回避のため、後方から強引に右折する車にやむなく進路を譲り与えることもありえる。

危険な右折をして、図々しくも他人の情けの元で非常識を押し通すのは、さぞかし気分がよかろう。

速度を出さないのは取締り対策以外に理由がない

いつも疑問に思うのは、多くのドライバーは何を基準に走行速度を決めているのかということである。
例えば周囲の交通に合わせていると、取締り圏内の速度になることがある。先頭車両だけが捕まるというものでもないだろうから、ついていくわけにはいかない。
直線で何もない道路であれば、どんなに運転が下手でもいくらでも速度を出せる。見ているとそうしたところでは取締り対象になりえる速度で走行する車が絶えない。警察の立場ならかっこうの待ち伏せポイントになるだろう。そうした速度で走行することはリスクと背中合わせである。

実際のところ、今時の自動車の性能から考えると、少々速度オーバーしてもただちに危険な状態になることはない。幹線道路等の制限速度50km/hのところでは、100km/hを超える速度で走ろうとも十分安全と思えるようなところもある。健康な若い人であれば、多少速度オーバーしてもほぼ問題がないことが多いとまで言い切ってしまおう。
普通に運転していれば、速度違反をしてしまうのだ。

しかし、速度を出すわけにはいかない、実質的に速度を出してもなんの問題がないとしても速度を出すわけにはいかないのだ。それは唯一にして最大の理由。単に取締り対策ということだけだ。これ以外に速度を出さない理由はない。
本当は制限速度というのは安全のためのものであるのだが、ドライバーの率直な気持ちとしては、かなり余裕を持たせてあるように感じる。取締りがなかったら、現在の制限速度を大幅に上回る速度で走行することだろう。

速度違反を正当化するつもりはない。だが非現実的な綺麗事だけ並べるつもりもない。

取締り対象にならない速度で走行している車に対し、煽り運転をしているドライバーがいる。明確な理由や基準を持って運転している車に、どんなに煽り運転をしても速度が上がることはない。ならばペースリーダーを任せて後ろからついていくのがいい。もちろん、自らが速度違反するために、前方の車に何かを求める道理はない。

登坂車線での攻防

山道の上り坂で登坂車線と呼ばれる走行レーンのあるところがある。トラック等の登坂力が弱く、速度の出ない車両が登坂車線に逃げることで、交通の流れを良くするためのものである。
登坂車線のあるところになると急に加速する車がある。それまで遅い車によって速度が制限されていたのを、通常速度まで加速するというのは分かるのだが、登坂車線のあるところだけ急に速くなる車がある。登坂車線が出てくるまでは遅く、登坂車線が現われると急に速くなって、登坂車線が終わるとまた遅くなるのである。
登坂車線のあるところは広くなるので、速度が出しやすくなるということを思いつくが、実情はそれとは少し違うこともありそうに思う。
登坂車線が出てくると、それまでずっと速度を封じられていた車が前方に出ようと加速する。また、遅い車が登坂車線に逃げることでスペースができ、速度を出しやすくなる。そうした要因で登坂車線のあるところは流れが速くなりがちになる。だから、そうしたところでは極端に加速するものだという思い違いを起こす人が出るかもしれない。ひょっとすると、前に行かせまいと妨害するために加速する車もあるかもしれない。そして、そういうものだと勘違いする人もいるかもしれない。

何にせよ登坂車線が現れたからといって逃げるように急に加速する必要はない。また、後ろから速度の速い車が来れば、登坂車線に避けることで進路を譲るのが望ましい。

その一方で登坂車線が終わる前に全力で前方に出ようとする車も見苦しい。
登坂車線のあるところでネズミ捕りをしているのを見たことがあるが、そうしたところで狂ったように加速していく車も見かけるので、大口のお客さんも捕れ、繁盛することだろう。

過失割合が10:0でも事故になれば面倒

自動車を運転する者は強制保険の他、ほとんどの人が任意保険に加入している。
事故を起こせば過失割合といって事故の責任の程度によって、解決に要する費用の負担割合が決められる。しかし、保険に加入していれば、過失割合に係わらず保険会社が支払ってくれる。
過失割合が小さくて、費用が少なく済むのであれば、あえて保険を使わないという選択肢もある。保険等級が下がって次回からの保険料が上がるのを防ぐためだ。
さらに過失割合が10:0であって、自分の過失がない場合には、費用の負担はない。

費用の負担はないが、精神的な負担はある。ケガでもしたら、いくら医療費を受け取ったとしても割に合わない。
けが人がいなくても事故に巻き込まれれば、警察に連絡し、保険会社に連絡し、自走できない場合は、修理工場まで運搬を依頼し、その後も車を修理する間は、使えないか、代車を使うことになる。車の修理が終われば引取りに行く。そうした手間に対しての費用は支払われない。
いくら過失割合0だと言っても何の得もない。ただただ損なだけなのだ。
相手が全面的に悪くても、保険ですべて弁済するだけだから、相手のダメージも限定的だ。それに相手に感情的な仕置きを求めても、自らに何の実益もない。

自分が悪いか悪くないかに係わらず、事故が起こればマイナスばかりなのである。

信号待ちで停車しているとき、後ろから追突されたなら、過失は追突した車にあるかもしれない。それでも、事故に巻き込まれたなら、面倒がかかるばかりである。
後ろから追突される状況で停止している車が回避できるとは限らないが、あまり強いブレーキでの停車にならないようにするとか、ブラインドコーナーの先で信号待ちする場合に後ろの車のことを考えておくとか、トンネルの中やトンネルを出た直後で停車する場合はテールランプが点灯した状態にしておくとか、始めから追突されないように注意しておきたい。

2010年5月31日月曜日

携帯電話で通話しながら運転

前を走っている車を後ろから見ていて、動きが遅いし、合図は出さない。どこかおかしいと思っていると携帯電話で話しながら運転している。
危険なのはもちろん、そうした車はしっかり走ってくれないので他の交通が迷惑する。運転中に携帯電話を使うのであれば、最低でもヘッドセットやハンズフリー装置を用意するべきである。
そうした準備を怠るのであれば、事前に携帯電話をドライブモードにしておくか、万一運転中に着信した場合は、無視をして、いったん出ないことである。安全なところに停車して掛け直せば良い。

現実にはヘッドセットやハンズフリー装置を用意していないが、運転をして移動しなければならないし、いつ電話がかかってくるか分からない。そして運転中すぐには安全な場所に止まれないという状況があるかもしれない。もちろん正論は、電話を使うのであれば始めから運転してはならないし、運転中であれば電話にでることはできない。あるいは緊急時ということもあるかもしれない。少なくとも人情としては理解できるそれなりの事情が欲しい。違反であることを承知で、危険性も認識した上で、運転中に電話に出ざるをえないとしよう。もちろん仮の話であるが、それであれば、それ相応の覚悟と、車の挙動が迷惑行為になる可能性があることの認識をもって行うことになる。

何キロオーバーまでなら捕まらないか

法定速度または標識等による制限速度を超えて、車を走行させてはならない。厳密には1km/hでも超えてはならない。
ほとんどの車が速度違反で走行しているのが現実であるが、少しの速度オーバーであればまず捕まることはない。
速度違反をするつもりがなくても、起伏で思わず速度が出ることもあるだろうし、運転手の能力によってはきっちりと速度の維持ができないこともありえる。そうした不可抗力に近いものまで取り締まることにはあまり意味がない。少しぐらいの速度オーバーは大目にみているのだ。それをいいことに多くのドライバーが速度違反しているという現状がありそうである。
速度超過は一番下が「15km/h未満」の違反、その上が「15km/h以上20km/h未満」、さらに何段階かあって一番上が「50km/h以上」といった区分で点数と罰金が決められている。警察の取締り件数のデータを見ていると「15km/h未満」は年間2桁程度しか取り締まられていない、その上の区分からは何十万件といった数字に変わるため、事実上「15km/h未満」は取り締まられていないものと思われる。速度自動取締機(オービス)の場合はさらに猶予がありそうだ。
速度計には誤差があるものなので、実際より速く表示されることが多い。ドライバーが速度計を見て考えるよりは速度違反の判定は甘くなっているものとも考えられる。
このサイトで違法行為を推奨するわけにはいかないので書いておくが、捕まりにくいからといって速度違反をしていいというわけではない。

いずれにしろ15km/hオーバー以内で走行している限りは、なかなか捕まりにくいだろう。制限速度50km/hの道路では65/km/hまで、40km/hの道路では55km/hまでである。
ただ、それすらオーバーして走行している車をみかけることがある。もうそうなるとあとは運次第である。車によく乗るなら年1回ぐらいのペースで罰金を納めることになるだろう。

休日にどこか遊びに出かけようとしているところで、おまわりさんに切符を切られた日には、出鼻をくじかれ、せっかくの気分も台無しになってしまう。もう出かける気もなくなりそうだ。

車線変更は横に並ぶ車の後ろを狙う

片側2車線以上の道や、進行方向別通行区分による車線がある道路で、車線の変更をしたいと思ったとき、隣に車が並走していることがある。その場合、隣の車の前に出るのではなく後ろに車線変更するとスムーズになる。
特に左折するために左端に車線変更する場合、隣の車の前に入ると、左折のため減速した際、隣の車も減速を余儀なくされる。目の前に割り込んできて、無理やりブレーキを踏まされたように受け取られることがある。
隣の車の後ろに入るのであれば、その時の隣の車はもう関係ないのだが、その後ろに車がいたとしても、後ろの車にとっては意識的に入れてあげているつもりだろうから、左折のため減速し、その車も減速させられても、それほど気分を害することはない。
走行の邪魔をされても、無理やりやらされるのと、自分からやらせるのとでは、まったく印象が変わるということである。

そのためにも車線を変更するときには、合図を出してしばらく待つ方が良い。道路交通法では3秒手前から合図を出すことになっているが、それで十分である。3秒も出せば、隣の車線の後ろを走る車は、車線変更してくることに気がつく。
入ってこられるように車間距離を維持したり広げたりする車と、入ってこられないように車間距離を詰めてくる車があるだろう。詰めてくる結果、入れないようであれば、もうひとつ後ろを狙うのが良い。万一ここで少々強引気味に入ってもそれほど問題はない。入れるということは後ろの車は本気で詰めていないので、入ってこられる準備をしていたはずである。それでも、そうした車はできればパスしておきたい。

こんな甘い方法では、車線変更できないと言う方がおられるかもしれない。その方に伺いたい、運転中に隣の車線の前方に車線変更したい車がいて、合図を出していたらどうするだろうか?前に詰めて入ってこられなくするだろうか?それとも隙間を開けて入ってこられるようにしておくだろうか?

2輪車、特に原付バイクは、速度が遅く、車幅が狭く、左に寄って走っているため、そのバイクを強引に追い越して左折しやすい面がある。車が左折のためにバイクの前方に出て進路をブロックすれば、バイクはやはり怒りの感情を持つだろう。だから、原付バイクのように遅い車の時でも後ろにつくのが無難である。それでもなお前に出るというのであれば、進路の妨害とならないよう余裕を考えて運転したい。

2010年5月30日日曜日

一時停止はいちいち止まる

止まれの標識や標示のある場所、踏み切りや歩道を横切る時など道路交通法では一時停止することが決められている。
この一時停止をきっちりとやっている車は稀な気がする。場所にもよるが、99%の車が一時停止していないのではないかと思えるような場所もある。
停止線の手前で完全に停止し、止まったまま一呼吸おき、左右に首を振れば、誰が見ても文句のつけようがない一時停止になるだろう。私はそうした完璧な一時停止を常にしているかというと、絶対とまで言う自信はない。しかし、馬鹿みたいに一時停止しているほうだと思う。

一時停止箇所であっても、見通しがよいところなどは一時停止をしなくても問題なかろうと思えるところもあるのだが、一時停止の指示があるところは、それなりの理由がある場合も多い。本当に明らかに問題ないであろう状況で一時停止をさぼる車がいたとしたら、それを少しは理解できないわけではない。だが、そうしたケースは少ない。一時停止の標示は見通しの悪い交差点や、横断歩道の直前、優先道路と交差するところにある。
停止線のずっと手前では問題なさそうに見えても、いざ停止線の直前まで行ったときにどうなっているか分からないことが多い。一時停止をしない屁理屈を考えるのではなく、一時停止をしないとどういった危険性があるかを考えたとき、色々な可能性があることに気がつく。

一時停止をするときは停止線の手前に止まるようにしたい。
特に一方通行の狭い道が交錯するような都市部では、停止線が交差点の直前にひかれていたりする。建物の陰から飛び出してくる自転車があるかもしれない。

交差点からかなり下がった位置に停止線がひかれている場合がある。内輪差の大きな車、たとえばバスやトラックが曲がってきた場合にスペースが必要になることがあるからだ。その場合でも何が曲がってくるか分からないので一時停止をしたい。特に見通しが悪い交差点だったら、曲がりたい車が交差点の角の先で待っているかもしれない。できればこちらの一時停止のところで交通を止めて、こちらより先に交差点に差し掛かっていて行くに行けないその車を曲がらせてあげよう。

交差点で交差する両方の道路が一時停止になっていることがある。そこを直進で通過しようとしたとき、交差する道路で一時停止している車があったとしても、その車はこちらが通り過ぎるのを待っているわけではない。譲ってくれていて申し訳ないと思い、すぐに通過しなければと一時停止せず交差点を通過してはならない。その車は単に一時停止箇所だから一時停止しているだけである。先に交差点に差し掛かったのは向こうの車であるから、順序としては相手に先に行ってもらうのが自然である。こちらも一時停止して、相手を行かせればよい。

ついでと言ってはなんだが、一時停止をきっちりすることは取締り対策にもなる。いつも停止線の手前で、車をカチッと止めるようにすれば、ケチをつけられることもないだろう。

2010年5月29日土曜日

追い越し時に前の車に接近

追い越すとき前の車に接近してから追い越す車がある。あまり距離が離れていては追い越しできないわけだが、かなり接近してから追い越しをしているのも見かける。

車に対して追い越しすることは頻繁ではないが、速度差のある原付バイクに対しては比較的多く追い越しの機会がある。原付バイクに対してもいったん数メートルのところまで車間距離を詰めた後、追い越しをする車がある。

前方の車と自分の車に速度差があって、前方の車の先に十分な空きがあるのであれば、追い越しをするという選択も考え始める。それで追い越しを決意したなら、対向車の途切れるチャンスを伺う。その時、前方の車に接近しすぎてはならない。前方の車にプレッシャーがかかるからだ。後ろの車が追い越すために前方の車は後方の車が接近していることに対して注意を払う必要ができてしまう。
追い越す車はしなくてもいいことをわざわざするからには追い越される車に対しては十分な配慮をしたい。ここで、追い越される車が遅いから悪い。その車を追い越すのになぜ気遣いしなければならないのだ。と考えられるようなら、これ以上、この文章を読む価値はないかもしれない。

接近しすぎない距離を保ちつつ、追い越しにかけるのに十分な距離ができたなら、合図を出し加速を始める。約3秒経った後に右に進路を変更する。追い越される車と追い越す車に速度差がある方が、短い時間での追い越しとなるので、追い越される車にとっても負担が少ないが、常識的な範囲の速度に抑えることも必要である。2台並走している瞬間は、なるべく車の間を開けておく方がよい。追い越しを完了し、十分に前方に出たなら左の合図を出し、3秒後元の車線に戻る。
追い越される車は追い越す車を意識的に追い越させている。速度を上げず、安定した走行をし、ずっとミラーで監視しているはずだ。追い越される車の前後左右に十分なスペースを開けることで、追い越される車の気苦労は最小限になる。

追い越される車に接近してしまうのは、力み過ぎているからだと思われる。体が硬直し、気持ちが前のめりになっているのだ。それをずっと続けていたら肩がこるだろう。見ていると、余裕がなくて、つたない運転が伝わってくる。

追い越さなければならないほどの速度差があり、追い越される車の前方に十分な空きができていて、対向車のない距離があるところであれば、追い越しをするのはワケがない。目の前に突然現れた猫でも避けるかのように、グイッグイッ、ハンドルを動かすこともないし、アクセルやブレーキをガチャガチャ操作する必要もない。

原付バイクは法定速度が30km/hで、排気量も小さいため、速度差が大きい。だから追い越す機会が多くなる。追い越しても信号待ちですり抜けて前に出るため、結局意味がないことがある。余計なリスクになるため、なるべく追い越したくないところだが、先の信号がどうなるかなど分かりようがないし、後ろの車のこともあるので、前方に十分なスペースが生まれたならサクッと追い越しておくのがよいかもしれない。前の車に接近するようにして、一生懸命追い越しているのなら別だが、先程から、言っているように十分な余裕をもって追い越しをすれば、サイズの小さく、速度差の大きい原付バイクの追い越しにかける労力など、知れている。

2010年5月28日金曜日

スローインファーストアウト走行

前回ちょっと触れたスローインファーストアウト走行について。
基本的にはカーブに入るときは、速度を落として、カーブを抜けながら加速するのが良いとされている。
スローでイン、ファーストでアウトというのはそういうことである。

ファーストインファーストアウトの方が速いのではないかと考えられる人がいるかもしれない。なるばく速くカーブに入り、カーブの中でもなるべく速く走り、なるべく速くカーブから抜ける。すべてにおいて速く走るので一番速そうに思えるのだが、ファーストで入ってしまうと狙ったラインを走れなくなってしまう。カーブの中で自由に進路をコントロールする余力がないばかりか、曲がりきれなくなって危険なことにもなる。
そこで余裕を残せるようにスピードを落とし気味でカーブに入り、もっともおいしいラインを通って、カーブの中心まで来たら、アクセルを踏み足しながらカーブを抜ける。慣れてくると、ドリフトさせているかのような気持ちで車を操れるようになってくる。

加えて次のカーブを見ながらカーブを曲がるようにすると良い。今、曲がっているカーブをどう抜けて、次のカーブにはどのラインから入れば良いかを事前に知ることができる。
先を見る走り方は始めは意識していないとできないが、分かってくると圧倒的に楽になる。

スローインファーストアウト走行は速いだけでなく、速度を維持できるので燃費がよく、安全である。
ワインディングを走る機会が多い方は、是非こうした走り方をお勧めしたい。

下りはアクセル操作の不要なことがある

今回はまったく重要なことではなく、ちょっとしたお遊び。

下り坂は勝手に車が転がり落ちるのでアクセル操作が不要なことがある。落ちることで加速できるのでアクセルを踏んで加速する必要がない。
山道の下り坂ではカーブと直線が繰り返しやってくる。その直線部分でアクセルを踏んで加速する必要のないときがある。1台で走っているのであれば好きにすればいいが、後ろに車があるときはそうもいかないと思われるかもしれない。ところが、カーブをスムーズに曲がり、できるだけ速度を落とさなければ、直線でアクセルを踏む必要がない。後ろの車が追いつかないからだ。どうせ前の車にすぐ追いつくなら特に有効だろう。
アクセルを踏まなければ、車内が静かで燃費も良くなる。操作量が少ないのだから楽にもなる。

残念ながらカーブを曲がるのがあまり上手でないドライバーや、曲がりにくい車というのがある。そうした車がけっこういるので、普通の乗用車を運転しているのであれば、ちょっとコツを知っていれば、そうした遅い車より速くカーブを曲がることができる。コツと言ってもだたのアウトインアウトやスローインファーストアウトのことだが、当然誰でもやっていそうに思っても、現実はそうでもない。
そうした車が前後にいるときは、遅いといってイライラしたり、ましてや煽り運転するのではなく、スムーズで高燃費な運転を悠々と楽しんでいれば良い。
特にヘアピンカーブでは、前の車と極端に車間距離が縮まることがあるので、なるべく前の車に威圧感を与えない車間距離を心がけておきたい。

2010年5月27日木曜日

メリハリある運転

信号待ちをしていて、青に変わってもいないのにちょっとずつ前に進んだり、そうかと思えば青になってもすぐに発進しなかったり。
交差点で右折するために直進車が途切れるのを待っている時にも、行きそうになったり、やっぱり行けなかったり。
片側2車線の道路では、どちらの車線を走るのか迷って、2つの車線をまたいで走ったり。
交差点で左折した後の横断歩道手前で、歩行者が完全にいなくなるのを待たずに、ギクシャク動きだしたり。
赤信号で停止する時や、渋滞で前に詰めるのにも、2回にも3回にも分けて停止したり。
こうした、曖昧で、メリハリのない運転というのがよくある。
落ち着きがなくて、計画性もなく、周囲の交通の存在を意識していない。
前の車が2度にも3度にも分けて停止すれば、その後ろにいる車もそれに付きあわされる。一回で止まれば簡単なものを七面倒臭い。さすがに何度もフェイントをかけられると、次から止まり方の工夫もするようにはなるが、特に長距離運転しているときなんかは、ただでも疲れるのに、そうした車が前にいるとわずらわしい。

間違えることは誰にでもある。運転操作が上手でないのも仕方がない。
だが、原因が、ダラダラとした漫然運転や、焦った運転であれば、心持ちの問題である。身体能力や運転技術ではない、単に人間としての鈍臭さを感じる。

信号が変わりかけると加速する

信号機、赤は止まれ、青は進んでも良い。そして、黄色は止まれ。ただし止まれない時は進んでも良い。ドライバーなら誰でも知っていることだろう。
信号が変わりかけるタイミングになると加速して黄色のときに交差点に進入する車がある。黄色のときどころか赤色のときですら、進入する車もある。特に混雑時の右折レーンは信号が明らかに赤でも右折しているのをみかける。

信号機は交差点内のすべての信号が赤になるタイミングというのがある。場所にもよるが、約2秒間のところが多い。
この全赤のときは交差点に入ってはならない。すでに交差点内にいる場合には仕方ないが、速やかに交差点を通過しなければならない。安全マージンをとっているわけである。赤信号になってから交差点内に進入すれば、この余裕を食いつぶすことになる。
同じようなことが発進する車両にも言える。前方の信号が青に変わっていないのに、交差する道路の信号が赤になるのを見計らって見切り発進する車がいる。赤信号に変わって突っ込んでくる車と、見切り発進する車の間に衝突の危険性が出てくるのだが、車の場合は比較的注意していることが多い。やっかいなのは歩行者や自転車で、マナーの悪い確率が高く、しかも安全確認することなく横断歩道上に飛び出してくることがある。事故があったとき、横断歩道が青信号に変わっていれば自動車側に当然の非難が浴びせられるだろう。たとえ歩行者側が赤信号でも、横断歩道上での事故であれば自動車側の過失は免れようがないし、歩行者は青だったと言い張るに決まっている。

事故というのは両方が不公正なことや横着をしたときに起こる。片方ではなく両方が不注意なときに事故が起こるのだ。片方が危険なことをしても、もう一方がそれを避ければ事故は起こらない。
信号無視をすれば、その片方側の条件を満足させることになる。大抵は相手が回避してくれているが、何かの原因でそうならなかったとき事故は起こる。信号無視をする車が身勝手であるのと同時に、それ以外の人が同じように身勝手でないという確証はない。
もちろん普通の人は黄や赤信号で普通に停止するから、その確率は多くないだろうが、いつまでもラッキーなことばかり続かなかろう。
結局、他人の情けの上に成り立っている甘えなのだ。

直進車が赤信号で停止しないと、右折待ちの車が右折できないということも起こる。右折待ちの車は交差点内に進入している場合は全赤のうちか、青色の右矢印の信号がある交差点ではその信号にしたがって右折しなければならない。その右折可能時間を直進車が奪ってしまっては、右折できるものもできなくなってしまう。行列のできた右折待ちの車が捌けないことも起こるが、直進車のせいでこうなったとばかりに、右折車にまで信号無視が伝染する。こうしたガツガツした雰囲気は周囲の交通にまで波及し、負の連鎖を生み出す。
このとき信号無視するドライバーは、信号の変わり目の最後に自分だけ行かせてくれと思っているかもしれない。人というものは自分のことがもっとも大切であり、世の中で唯一のスペシャルな存在と考える。そうした理屈が交差点にいる他の人に理解されようもない。

ただし、信号で止まるときに、強めのブレーキにならないようにしなければならないし、万一そうなる場合は、周囲には十分注意したい。信号無視することを期待して後ろの車が加速しながら突っ込んでくるかもしれないからだ。
ブレーキの甘い車、特に原付等はブレーキが油圧式でないものがある。アクセルとブレーキを同じ手で操作するようになっているし、2輪という特性上、ブレーキをかけた際に車体の安定性を失うので強くブレーキをかけるのが怖いといったことがある。

2010年5月26日水曜日

トンネルでヘッドライトをつけるか?

トンネル内でヘッドライトを点灯する最大の効果は前を明るくすることではない。もちろん、歩行者や自転車等がいた場合に発見できるということもあるだろう。だが、一番の目的は自分の車を他の人に見せるということである。
前方や後方の車、対向車、トンネルの外にいるかもしれない人にも自分の車がそこにいることが分かるようにするのが重要である。
トンネル内は暗いとしても、通常の視力を持った人であればヘッドライトのついていない車の存在に気づかないことはあまりないかもしれない。だが、トンネル内を走行していてヘッドライトがついている車とついていない車の視認性、前方の車のテールランプがついている場合とついていない場合の視認性は明らかに違う。

自分の車のライトがついていようがついていまいが、せいぜいスピードメーターが見やすいかどうかぐらいで、自分にとってはあまり関係がない。結局トンネル内でヘッドライトをつけるのは他人への配慮である。ひいては自分の安全を守ることになるのだが、直接的にはやっぱり他人の運転を手助けする行為にすぎない。そうした他人に対してのドライバーの姿勢が本質的なところだと思う。

高齢化も進んでいることだし、ここは念のためトンネルではヘッドライトをつけておくのが良いだろう。
トンネルを入る前につけて、出た後に消せば確実である。

断続的にトンネルを出たり入ったりする場合は、ヘッドライトをつけっぱなしで走ればよいが、知らない道であれば、どこでトンネルが終わるのかが分からない。そうした時はトンネルを出たその先にトンネルが見えないようなら消せばいいのだが、ところがその先でまたトンネルが出現することがある。それでも何も考えずヘッドライトをつければよい。知らない道でトンネルの出現箇所が分からないのは当たり前のことであり、丁寧にひとつひとつのトンネルで安全を確保しながら走行することが大切である。

そういえば、最近の高級な車は自動的にライトがついたり消えたりするようで、それなら関係ない話かもしれない。

煽り運転の心理

前方の車に極端に車間距離を詰めて走行している車を見かけることがある。こうした時は煽り運転をしている可能性がある。
後方の車が前方の車に対して、何らかのアプローチをしているのである。

停止して進路を譲ることを求めているのか。
もっと速度をあげることを求めているのか。

前を走行している車は後ろの車との車間距離に余裕がないことが分かっているので迂闊に強いブレーキを踏むわけにはいかない。前の車は要求に応えて速度を上げなければならないのではないかと考えるかもしれない。煽り運転は前を走る車にプレッシャーを与えることとなる。

極端に低速で走行している車は、大抵、他の車に進路を譲るし、制限速度前後で走行している車はそれで問題ないわけである。実際のところ制限速度以上の速度で走行することが常習化していることは認めるし、私自身もムニャムニャ…ということはある。だが、速度違反を他人に押し付けるものではない。

制限速度に従って、あるいは既に制限速度を超えるほどの速さで走行しているにも係わらず、後方からそれ以上の速度で走行することを求めたり、危険な車間距離で運転の障害になるようなことをするのは不合理な話である。違法行為をするのであれば、道を変更して勝手にどこか誰もいないところで好きなようにするか、いっそのこと追い越していけば良いことである。追い越しにはリスクも伴なおうが、違法行為に他人の協力が得られる訳もなく、自分で犯行するよりない。ましてや普通に走行している車に負担をかけるというのでは筋が通らない。
道路交通法の「他の車両に追いつかれた車両の義務」などを持ち出してきても、この法律で違法行為が正当化されるはずもなく、せめて制限速度や車間距離に関する法律を守っているのでもなければ説得力もない。警察車両はゆっくり走っていることが多いが、その場合でもこの法律にもとづいて同じことをするだろうか。

では、煽り運転は頭のおかしい一部の人達がしているのかというと、そうでもないようで、実は普通の人がしていたりする。
もとは、せっかちなドライバーがやり始めたのではないかと思う。そうすると、それを真似する人が出てきて、終いには、それが普通の運転方法であると思い始める。自分がされるので、そうするものなのだと錯覚し、自分も他の車に追いついたら煽り運転するようになっていくのかもしれない。次第に広がり、誤解したドライバーの間で風習化していく。

制限速度で走行する車があったとすると、そこを先頭に長い列になることがある。制限速度を超えて走行している車が大半だから追いついてしまうわけである。このとき制限速度で走行する車は迷惑をかけることをしているのだろうか。邪魔な存在なのか。まあ、状況を考えて、制限速度で走行する車が進路を譲ってもよいとは思う。だが、それは強要するものではない。こうした時、譲る車は譲るし、譲らない車は譲らない。制限速度で走行するという当たり前の正しいことをしているのだから(万一、正しくないとしても、正しいと思ってしているのだから)、それを煽り運転したからといって何も変えられない。煽り運転すれば前の車への抗議になって、これから先、前の車のドライバーは気持ちを入れ替えて行動が変わるなどということはない。

自分が他人から(進路を譲るという)優しさを求める前に自分自身を振り返ってみてはどうか。

煽り運転について、まだ書ききれていないことがあるので、これから先も書いていくつもりである。

捨てる人もいれば、拾う人もいる

道路には合流点のあるところがある。直進する道路に左から斜めに道路が合流してくるようなところ。高速道路のインターチェンジで加速車線から本線に合流するところもそれである。二つの流れがが一つに束ねられるので、そこがネックになって渋滞することもある。そうした流れが悪いときに横から合流するのが苦手というか不安な方はいないだろうか?
道路が前方で車線減少するところでも同じことが起こる。片側2車線以上の道路で車線変更する場合も隣の車の間に入らなければならない。
不安な心理になる理由として、自分が人にしていることを、自分もされると思っているということはないだろうか。つまり、入ってこれないように意地悪をされるかもしれないという恐れはないだろうか。

こうした状況では後ろの車に入れる意思がなければ入ることができない。もしも入れないように車間を詰めるようなら、それは入れないということである。無理やりねじ込む方法もあろうが、無理はしない方がいい。

それでずっと入れないなんてことはない。合図を出し、入る意思を示せば良い。そうすれば最低でも数台後ろまでには必ず入れてくれる人がいる。
世の中のドライバーはすべて異常に焦った人ばかりではない。大多数は健全な市民である。
少しは他人を信じてみる。
逆の立場になったとき、どうしたら良いかも分かる。

リラックス運転

多くの人は教習所でハンドルやペダルの操作方法を学んだと思う。私の場合、ハンドルは10時10分~9時15分の位置を両手で持つように指導された。それは正しいのだろうが、常にその姿勢かというと片手ハンドルになったりしているのが現実である。
片手ハンドルはどうか分からないが、リラックスして運転することは良いことだと思う。それは集中しないということでも雑な運転をするということでもない。肩に力が入った運転をするのではなく、余裕をもつということである。どちらかというとメンタルなことの方が大きい。
シートに背中を押し付けたような姿勢。実際にそうしろということではないが、極端に言うと前かがみよりは仰け反った姿勢の方が良い。視線を集中させず、周囲を俯瞰的に見る。慌てず、なごやかな気持ちで客観的に状況を判断する。

今の車はほとんどパワーステアリングになっていてハンドルが軽い。安全に注意するとして、ほぼ直線の道路であればハンドルを人差し指と親指でつまむようにして運転してみると良い。片手でやってもよい。片手の親指と人差し指だけでハンドルをつまんで操作する。一般道路での運転はハンドルをギュッと握りしめて、力ずくでするものではない。逆らわず、スムーズに、最小限で操作することが、楽で効率がよく安全な運転となる。

昔、テレビゲームに熱中している人がいて、画面の中のキャラクターを操作するのに、手に持ったコントローラーのボタンを押すだけでなく、コントローラーそのものまで動かしていたのを見たことがある。レースゲームでは強く加速しようとアクセルの機能が割り当てられたボタンを強く押す人もいた。そのボタンは強さを感知するものではないので、強く押そうが、弱く押そうが何も変わらないのに。
航空機はフライバイワイヤといって、油圧サーボを介して操作するようになっており、操縦装置が操縦翼面に物理的に連結されているわけではない。自動車でもドライブバイワイヤという、アクセルが電子制御になっているものもある。ABSや横滑り防止装置も当たり前になりつつあり、操作系統は機械的なカラクリ仕掛けから電子制御へと変わってきている。
もはや自動車は反射神経や筋力といった肉体的要素で運転するものではない。カーナビによる効率の良いルート選択、燃費運転、外部カメラ等による誘導等、速い運転や効率の良い運転に対するアプローチの発想がまったく異なる。安全運転に関しても危険な状態になる前に、予測や自己抑制等ではなっから危険にならないように運転することが重要なのである。危険になってからどう回避するのが上手いとか下手とか、そもそも危険な状態になることがすでに下手なのである。
一般道路での運転は知能でするものであり、汗だくになってするものではない。リラックスして余裕を持った運転を心がけたい。

右折待ちはまっすぐ停める

交差点では直進車が右折車に優先する。右折する車は直進車が途切れるのを待って、右折することになる。
この右折待ちをする際に対向の右折車のことを考えているだろうか?
自分が右折するのと同じように向こう側から来る右折車がある場合、あるいはこれから来るかもしれない場合。
右折レーンのある交差点であっても自車が右折レーンの中で左に寄っていたとしたら、対向の右折車にとって直進車が自車の陰になって見えにくくなると予想できる。右に寄っていても車が斜めになっていれば同じこと。対向の右折車のためには右折レーンに並ぶ車はなるべく右に寄って車をまっすぐに停めておくのが望ましい。
滅多な事はないと思うが、後ろから追突されることがあったとしたら、斜めに停めている車は対向車線に飛び出すなんてこともあるかもしれない。

斜めに停めるのは右折するための準備と考えるかもしれない。ハンドルをある程度右に切っておき、車両を少しでも右に向けておけば、対向の直進車が途切れたところを素早く右折できるのではないかということであろう。
根本的に対向の直進車の小さな隙間を狙って右折してはならない。運転は慌ててするものではない、落ち着いて確実に行えばよいのである。急いで右折したその先に歩行者が横断歩道を渡っているかもしれない。そうしなければならないような危なっかしい運転であれば、なおのこと確実に右折した方がよい。実際のところ、ちょっと車が斜めになっていてどれほどの効果があるだろうか。
右折車同士が互いに直進車を隠しあっていては、右折できるときにも行けない。見えなければ対向レーンにはみ出し気味のところまで進んで、それで対向の直進車までも速度を落とさなければならないハメになる。

ちょっと大きめの交差点になると右折車両を誘導する白線が引かれているところがある。その白線は曲線を描いて、それに従えば車両を斜めに停めることになる場合がある。勘違いしないでいただきたい、対向の直進車の視界の妨げにならないのであれば車両が斜めになっても問題はないだろう。もっともこの場合、後ろから追突されれば対向車線に飛び出すかもしれないが…

交差点であれ、どこであれ、右折するときは右折の合図を出し、右に寄せ、道路に平行に停めて、直進車が確実に途切れ、歩行者が横断していないところで、落ち着いて右折する。ついでに言うと、右折待ちから右折開始まで微動だにしない迷いのない運転であれば完璧である。

2010年5月25日火曜日

うまい運転とは

あなたは上手な運転とはどんな運転と考えるだろうか?

速く走れる
車庫入れや縦列駐車が鮮やか
車線変更や合流でもたつかない
安全運転

これらはうまい運転と言えるかもしれない。安全運転は当然だし、それ以外のことも概ね望ましいことばかりかもしれない。
私が考えるうまい運転とは、「自分以外が楽になる運転」である。
誰もいない広いところを一人で走っているのであれば、どんな運転をしてもらってもいいが、実際の道路交通においては、自分以外の存在がある。他の自動車であったり、バイクであったり、自転車や歩行者、同乗者もある。自分がちょっと配慮して、他の人が楽になるようにすることがうまい運転だと考える。うまい運転という言葉の定義付けの問題もあるのだが、サーキットではない一般道路において、手や足を動かす速度に関することや、技術的なこと、手際が良いことだけが、うまい運転というわけではない。「うまい運転=速い運転」という話などしようとしているわけではない。
他人に配慮する運転ということには、根本的に正反対の考え方を持つ人もいるのではないかと思う。たぶん私の言っているうまい運転の意味が分からない人もいるのではないだろうか。見ず知らずの他人になぜ親切にしなければならないのかと。あかの他人を押しのけ自分を優位にしようとするのは当然のこと。世間を生きていくというのはそういうことである。他人は邪魔な存在であり、スペシャルな自分にこそ譲るべき。という感じだろうか?

「自分以外が楽になる運転」とは
同乗者が快適な運転。例えば冷静さを保ち、乗っていて安心できる安全な運転。
前方の車に圧力を感じさせない車間距離を保つ。後方の車のためにはシンプルでスムーズな加減速。他の交通にも合図や挙動で、次の動きが予測できるようにする。
バイクにはいちいち無意味な追い越しはせず、車間距離を保つ。
自転車や歩行者が信号のない横断歩道を渡ろうとしているなら停止する。
他にも状況に応じて他人が楽になる運転はいくらでもあるだろう。

進路変更の合図を出せば、入れさせまいと車間距離を詰める。交差点で直進車に減速を強制するような右折。頻繁な車線変更。こうしたことは実益がほとんどなく、他人の優しさの上に成立するもの。わがままである。それに気付いていないだろうドライバーには虚しさや哀れすら感じる。
このような挙動の人がいると、伝播し意志の弱い他の人まで壊れ始める。逆にあなたが人に親切にすれば、親切にされた人はその先で他の人に親切になる。
正常な感覚のドライバーは負の連鎖を断ち切り、正の連鎖に変えていく。それは全体の交通を円滑にし、結局、すべての人が楽に速く目的地に到達することになる。

飲酒運転しないためには強い意志がいる

飲酒運転による事故の多さから最近は飲酒運転の罰則が強化されている。しかし、それでも飲酒運転をする人はいる。公務員や警察官まで飲酒運転で事故を起こすことがある。
車やバイクで通勤しているサラリーマンは、歓迎会や忘年会等、何かの飲み会があったとき、通勤方法を電車やバス、タクシー等に変更することになる。酒を飲むことが事前に分かっているのなら通勤手段について考えておかなければならない。車を使うつもりなら始めから酒は飲めない。通勤をバスや電車に変更することになると、いつもより早く家を出なければならなかったり、交通費も余計にかかったりする。
急遽、酒を飲まなければならなくなったら、車を置いて帰るか、代行運転を頼む等することになる。車を会社に置いて帰ったのなら、翌日は車以外で通勤することになるし、それが休日前だったら、車を回収するためだけに出勤しなければならないかもしれない。

車だったらドアツードアだし、バス停や駅のフォームで待つこともない。雨に濡れず、エアコンも効かせて、音楽を聴いたりテレビを見たり。座席も確保されているし、満員電車もない。
もともと車を使うような人はそうした便利さがあるからこそ、車を使っている。
上記の事を理由にいくらでも自分に言い訳することができる。あらゆる不便が生じることを受け入れて、車による通勤から他の交通手段に切りかえるということは、強い意志を必要とするだろう。自分に甘い人や厳格でない性格の人には難しいのが目に見えている。

サラリーマンなら飲む日もあるだろうよ!
ビール一杯飲んだぐらいで、いちいち電車で帰ってられないって!
みんなやってること。忘年会シーズンなら飲酒運転だらけ
警察が怖くて酒が飲めるか!

血気盛んなのは結構だが、それで飲酒運転が許されるのか?もうそんな時代ではない。

2010年5月24日月曜日

信号待ちで停止線を越える車

自動車を運転していて、信号機のある交差点を通過することは数え切れないぐらいある。赤信号で待つこともまた、いつものことである。
赤信号で停車していて、完全に停止せず、微速で前にジリジリ動いている車や、数秒おきに数十センチ程度ずつ前に動いている車をみかけることがよくある。
交差する横断歩道が赤に変わると、それ以降、横断歩道は利用されないものと判断しているのか、横断歩道上にまで前進する車もある。
いったい何をそんなに焦っているのか?たかが数メートル前に行ったところで、それでどれほどの違いがあるというのか?
実際のところ赤信号から青信号に変わったのを見て普通に発進した方が、タイミングが合って、速やかなスタートになることも少なくない。時差式信号ではフライング発進してすぐに停車する間抜けな車を見かけることまである。
車が動けば事故のリスクが生まれる。横断歩道上に歩行者なり自転車が通行しようとすると接触の危険性がでてくる。歩行者や自転車に交通マナーの期待できない人も多いから、赤信号の横断歩道を走り抜けようとしたり、自車の斜め後方から飛び出してくるようなことがあるかもしれない。

また、始めからからわざわざ停止線を越えて停止する車も多い。後続車に追突されるおそれがある場合や渋滞時に交差点の先が詰まっていて結果的に停止線を越えしまった場合等、仕方なく停止線を越えることもあろうかと思う。しかし普通に停止線の手前に停止できるときにまで意図的に停止線を越えることも多いように思う。
停止線を越えて停車するのは厳密にいうと道路交通法違反なのかもしれないが、それよりも無駄にリスクを作り出すことに繋がる。
片側2車線以上の道路で車両が停止線に並列して停車しているとき、あるいは1車線の場合でも横にバイクが停車していて、車両が2台以上ならんで信号待ちしているようなとき、1台の車が前に出ると、他の車には死角ができることになる。つまり、前進した車が横断しようとする歩行者や自転車を隠してしまうことがある。仮に前方の信号が青になったとき死角の車が発進して歩行者や自転車が信号を無視して横断していれば接触するかもしれない。歩行者の交通違反や発進した車の前方不注意ではあるが、そもそもリスクのある状況を作り出したのは前に飛び出している車である。いったい何のためにそんな嫌がらせをする必要があろうか。

こうしたへんてこりんなドライバーというのは目立つのでみんながやっていることのような気がするかもしれない。実際はそうでない普通のドライバーの方が多い。他の車がそうだからといって、自分まで変なことをすることもない。
いくら慌てて前進したからといって信号が変わるわけでもないし、落ち着いて青になるのを待っていればよい。
短気は短気だから時間が足りない。リラックスして運転したい。