2010年5月25日火曜日

うまい運転とは

あなたは上手な運転とはどんな運転と考えるだろうか?

速く走れる
車庫入れや縦列駐車が鮮やか
車線変更や合流でもたつかない
安全運転

これらはうまい運転と言えるかもしれない。安全運転は当然だし、それ以外のことも概ね望ましいことばかりかもしれない。
私が考えるうまい運転とは、「自分以外が楽になる運転」である。
誰もいない広いところを一人で走っているのであれば、どんな運転をしてもらってもいいが、実際の道路交通においては、自分以外の存在がある。他の自動車であったり、バイクであったり、自転車や歩行者、同乗者もある。自分がちょっと配慮して、他の人が楽になるようにすることがうまい運転だと考える。うまい運転という言葉の定義付けの問題もあるのだが、サーキットではない一般道路において、手や足を動かす速度に関することや、技術的なこと、手際が良いことだけが、うまい運転というわけではない。「うまい運転=速い運転」という話などしようとしているわけではない。
他人に配慮する運転ということには、根本的に正反対の考え方を持つ人もいるのではないかと思う。たぶん私の言っているうまい運転の意味が分からない人もいるのではないだろうか。見ず知らずの他人になぜ親切にしなければならないのかと。あかの他人を押しのけ自分を優位にしようとするのは当然のこと。世間を生きていくというのはそういうことである。他人は邪魔な存在であり、スペシャルな自分にこそ譲るべき。という感じだろうか?

「自分以外が楽になる運転」とは
同乗者が快適な運転。例えば冷静さを保ち、乗っていて安心できる安全な運転。
前方の車に圧力を感じさせない車間距離を保つ。後方の車のためにはシンプルでスムーズな加減速。他の交通にも合図や挙動で、次の動きが予測できるようにする。
バイクにはいちいち無意味な追い越しはせず、車間距離を保つ。
自転車や歩行者が信号のない横断歩道を渡ろうとしているなら停止する。
他にも状況に応じて他人が楽になる運転はいくらでもあるだろう。

進路変更の合図を出せば、入れさせまいと車間距離を詰める。交差点で直進車に減速を強制するような右折。頻繁な車線変更。こうしたことは実益がほとんどなく、他人の優しさの上に成立するもの。わがままである。それに気付いていないだろうドライバーには虚しさや哀れすら感じる。
このような挙動の人がいると、伝播し意志の弱い他の人まで壊れ始める。逆にあなたが人に親切にすれば、親切にされた人はその先で他の人に親切になる。
正常な感覚のドライバーは負の連鎖を断ち切り、正の連鎖に変えていく。それは全体の交通を円滑にし、結局、すべての人が楽に速く目的地に到達することになる。

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