2010年5月31日月曜日

携帯電話で通話しながら運転

前を走っている車を後ろから見ていて、動きが遅いし、合図は出さない。どこかおかしいと思っていると携帯電話で話しながら運転している。
危険なのはもちろん、そうした車はしっかり走ってくれないので他の交通が迷惑する。運転中に携帯電話を使うのであれば、最低でもヘッドセットやハンズフリー装置を用意するべきである。
そうした準備を怠るのであれば、事前に携帯電話をドライブモードにしておくか、万一運転中に着信した場合は、無視をして、いったん出ないことである。安全なところに停車して掛け直せば良い。

現実にはヘッドセットやハンズフリー装置を用意していないが、運転をして移動しなければならないし、いつ電話がかかってくるか分からない。そして運転中すぐには安全な場所に止まれないという状況があるかもしれない。もちろん正論は、電話を使うのであれば始めから運転してはならないし、運転中であれば電話にでることはできない。あるいは緊急時ということもあるかもしれない。少なくとも人情としては理解できるそれなりの事情が欲しい。違反であることを承知で、危険性も認識した上で、運転中に電話に出ざるをえないとしよう。もちろん仮の話であるが、それであれば、それ相応の覚悟と、車の挙動が迷惑行為になる可能性があることの認識をもって行うことになる。

何キロオーバーまでなら捕まらないか

法定速度または標識等による制限速度を超えて、車を走行させてはならない。厳密には1km/hでも超えてはならない。
ほとんどの車が速度違反で走行しているのが現実であるが、少しの速度オーバーであればまず捕まることはない。
速度違反をするつもりがなくても、起伏で思わず速度が出ることもあるだろうし、運転手の能力によってはきっちりと速度の維持ができないこともありえる。そうした不可抗力に近いものまで取り締まることにはあまり意味がない。少しぐらいの速度オーバーは大目にみているのだ。それをいいことに多くのドライバーが速度違反しているという現状がありそうである。
速度超過は一番下が「15km/h未満」の違反、その上が「15km/h以上20km/h未満」、さらに何段階かあって一番上が「50km/h以上」といった区分で点数と罰金が決められている。警察の取締り件数のデータを見ていると「15km/h未満」は年間2桁程度しか取り締まられていない、その上の区分からは何十万件といった数字に変わるため、事実上「15km/h未満」は取り締まられていないものと思われる。速度自動取締機(オービス)の場合はさらに猶予がありそうだ。
速度計には誤差があるものなので、実際より速く表示されることが多い。ドライバーが速度計を見て考えるよりは速度違反の判定は甘くなっているものとも考えられる。
このサイトで違法行為を推奨するわけにはいかないので書いておくが、捕まりにくいからといって速度違反をしていいというわけではない。

いずれにしろ15km/hオーバー以内で走行している限りは、なかなか捕まりにくいだろう。制限速度50km/hの道路では65/km/hまで、40km/hの道路では55km/hまでである。
ただ、それすらオーバーして走行している車をみかけることがある。もうそうなるとあとは運次第である。車によく乗るなら年1回ぐらいのペースで罰金を納めることになるだろう。

休日にどこか遊びに出かけようとしているところで、おまわりさんに切符を切られた日には、出鼻をくじかれ、せっかくの気分も台無しになってしまう。もう出かける気もなくなりそうだ。

車線変更は横に並ぶ車の後ろを狙う

片側2車線以上の道や、進行方向別通行区分による車線がある道路で、車線の変更をしたいと思ったとき、隣に車が並走していることがある。その場合、隣の車の前に出るのではなく後ろに車線変更するとスムーズになる。
特に左折するために左端に車線変更する場合、隣の車の前に入ると、左折のため減速した際、隣の車も減速を余儀なくされる。目の前に割り込んできて、無理やりブレーキを踏まされたように受け取られることがある。
隣の車の後ろに入るのであれば、その時の隣の車はもう関係ないのだが、その後ろに車がいたとしても、後ろの車にとっては意識的に入れてあげているつもりだろうから、左折のため減速し、その車も減速させられても、それほど気分を害することはない。
走行の邪魔をされても、無理やりやらされるのと、自分からやらせるのとでは、まったく印象が変わるということである。

そのためにも車線を変更するときには、合図を出してしばらく待つ方が良い。道路交通法では3秒手前から合図を出すことになっているが、それで十分である。3秒も出せば、隣の車線の後ろを走る車は、車線変更してくることに気がつく。
入ってこられるように車間距離を維持したり広げたりする車と、入ってこられないように車間距離を詰めてくる車があるだろう。詰めてくる結果、入れないようであれば、もうひとつ後ろを狙うのが良い。万一ここで少々強引気味に入ってもそれほど問題はない。入れるということは後ろの車は本気で詰めていないので、入ってこられる準備をしていたはずである。それでも、そうした車はできればパスしておきたい。

こんな甘い方法では、車線変更できないと言う方がおられるかもしれない。その方に伺いたい、運転中に隣の車線の前方に車線変更したい車がいて、合図を出していたらどうするだろうか?前に詰めて入ってこられなくするだろうか?それとも隙間を開けて入ってこられるようにしておくだろうか?

2輪車、特に原付バイクは、速度が遅く、車幅が狭く、左に寄って走っているため、そのバイクを強引に追い越して左折しやすい面がある。車が左折のためにバイクの前方に出て進路をブロックすれば、バイクはやはり怒りの感情を持つだろう。だから、原付バイクのように遅い車の時でも後ろにつくのが無難である。それでもなお前に出るというのであれば、進路の妨害とならないよう余裕を考えて運転したい。

2010年5月30日日曜日

一時停止はいちいち止まる

止まれの標識や標示のある場所、踏み切りや歩道を横切る時など道路交通法では一時停止することが決められている。
この一時停止をきっちりとやっている車は稀な気がする。場所にもよるが、99%の車が一時停止していないのではないかと思えるような場所もある。
停止線の手前で完全に停止し、止まったまま一呼吸おき、左右に首を振れば、誰が見ても文句のつけようがない一時停止になるだろう。私はそうした完璧な一時停止を常にしているかというと、絶対とまで言う自信はない。しかし、馬鹿みたいに一時停止しているほうだと思う。

一時停止箇所であっても、見通しがよいところなどは一時停止をしなくても問題なかろうと思えるところもあるのだが、一時停止の指示があるところは、それなりの理由がある場合も多い。本当に明らかに問題ないであろう状況で一時停止をさぼる車がいたとしたら、それを少しは理解できないわけではない。だが、そうしたケースは少ない。一時停止の標示は見通しの悪い交差点や、横断歩道の直前、優先道路と交差するところにある。
停止線のずっと手前では問題なさそうに見えても、いざ停止線の直前まで行ったときにどうなっているか分からないことが多い。一時停止をしない屁理屈を考えるのではなく、一時停止をしないとどういった危険性があるかを考えたとき、色々な可能性があることに気がつく。

一時停止をするときは停止線の手前に止まるようにしたい。
特に一方通行の狭い道が交錯するような都市部では、停止線が交差点の直前にひかれていたりする。建物の陰から飛び出してくる自転車があるかもしれない。

交差点からかなり下がった位置に停止線がひかれている場合がある。内輪差の大きな車、たとえばバスやトラックが曲がってきた場合にスペースが必要になることがあるからだ。その場合でも何が曲がってくるか分からないので一時停止をしたい。特に見通しが悪い交差点だったら、曲がりたい車が交差点の角の先で待っているかもしれない。できればこちらの一時停止のところで交通を止めて、こちらより先に交差点に差し掛かっていて行くに行けないその車を曲がらせてあげよう。

交差点で交差する両方の道路が一時停止になっていることがある。そこを直進で通過しようとしたとき、交差する道路で一時停止している車があったとしても、その車はこちらが通り過ぎるのを待っているわけではない。譲ってくれていて申し訳ないと思い、すぐに通過しなければと一時停止せず交差点を通過してはならない。その車は単に一時停止箇所だから一時停止しているだけである。先に交差点に差し掛かったのは向こうの車であるから、順序としては相手に先に行ってもらうのが自然である。こちらも一時停止して、相手を行かせればよい。

ついでと言ってはなんだが、一時停止をきっちりすることは取締り対策にもなる。いつも停止線の手前で、車をカチッと止めるようにすれば、ケチをつけられることもないだろう。

2010年5月29日土曜日

追い越し時に前の車に接近

追い越すとき前の車に接近してから追い越す車がある。あまり距離が離れていては追い越しできないわけだが、かなり接近してから追い越しをしているのも見かける。

車に対して追い越しすることは頻繁ではないが、速度差のある原付バイクに対しては比較的多く追い越しの機会がある。原付バイクに対してもいったん数メートルのところまで車間距離を詰めた後、追い越しをする車がある。

前方の車と自分の車に速度差があって、前方の車の先に十分な空きがあるのであれば、追い越しをするという選択も考え始める。それで追い越しを決意したなら、対向車の途切れるチャンスを伺う。その時、前方の車に接近しすぎてはならない。前方の車にプレッシャーがかかるからだ。後ろの車が追い越すために前方の車は後方の車が接近していることに対して注意を払う必要ができてしまう。
追い越す車はしなくてもいいことをわざわざするからには追い越される車に対しては十分な配慮をしたい。ここで、追い越される車が遅いから悪い。その車を追い越すのになぜ気遣いしなければならないのだ。と考えられるようなら、これ以上、この文章を読む価値はないかもしれない。

接近しすぎない距離を保ちつつ、追い越しにかけるのに十分な距離ができたなら、合図を出し加速を始める。約3秒経った後に右に進路を変更する。追い越される車と追い越す車に速度差がある方が、短い時間での追い越しとなるので、追い越される車にとっても負担が少ないが、常識的な範囲の速度に抑えることも必要である。2台並走している瞬間は、なるべく車の間を開けておく方がよい。追い越しを完了し、十分に前方に出たなら左の合図を出し、3秒後元の車線に戻る。
追い越される車は追い越す車を意識的に追い越させている。速度を上げず、安定した走行をし、ずっとミラーで監視しているはずだ。追い越される車の前後左右に十分なスペースを開けることで、追い越される車の気苦労は最小限になる。

追い越される車に接近してしまうのは、力み過ぎているからだと思われる。体が硬直し、気持ちが前のめりになっているのだ。それをずっと続けていたら肩がこるだろう。見ていると、余裕がなくて、つたない運転が伝わってくる。

追い越さなければならないほどの速度差があり、追い越される車の前方に十分な空きができていて、対向車のない距離があるところであれば、追い越しをするのはワケがない。目の前に突然現れた猫でも避けるかのように、グイッグイッ、ハンドルを動かすこともないし、アクセルやブレーキをガチャガチャ操作する必要もない。

原付バイクは法定速度が30km/hで、排気量も小さいため、速度差が大きい。だから追い越す機会が多くなる。追い越しても信号待ちですり抜けて前に出るため、結局意味がないことがある。余計なリスクになるため、なるべく追い越したくないところだが、先の信号がどうなるかなど分かりようがないし、後ろの車のこともあるので、前方に十分なスペースが生まれたならサクッと追い越しておくのがよいかもしれない。前の車に接近するようにして、一生懸命追い越しているのなら別だが、先程から、言っているように十分な余裕をもって追い越しをすれば、サイズの小さく、速度差の大きい原付バイクの追い越しにかける労力など、知れている。

2010年5月28日金曜日

スローインファーストアウト走行

前回ちょっと触れたスローインファーストアウト走行について。
基本的にはカーブに入るときは、速度を落として、カーブを抜けながら加速するのが良いとされている。
スローでイン、ファーストでアウトというのはそういうことである。

ファーストインファーストアウトの方が速いのではないかと考えられる人がいるかもしれない。なるばく速くカーブに入り、カーブの中でもなるべく速く走り、なるべく速くカーブから抜ける。すべてにおいて速く走るので一番速そうに思えるのだが、ファーストで入ってしまうと狙ったラインを走れなくなってしまう。カーブの中で自由に進路をコントロールする余力がないばかりか、曲がりきれなくなって危険なことにもなる。
そこで余裕を残せるようにスピードを落とし気味でカーブに入り、もっともおいしいラインを通って、カーブの中心まで来たら、アクセルを踏み足しながらカーブを抜ける。慣れてくると、ドリフトさせているかのような気持ちで車を操れるようになってくる。

加えて次のカーブを見ながらカーブを曲がるようにすると良い。今、曲がっているカーブをどう抜けて、次のカーブにはどのラインから入れば良いかを事前に知ることができる。
先を見る走り方は始めは意識していないとできないが、分かってくると圧倒的に楽になる。

スローインファーストアウト走行は速いだけでなく、速度を維持できるので燃費がよく、安全である。
ワインディングを走る機会が多い方は、是非こうした走り方をお勧めしたい。

下りはアクセル操作の不要なことがある

今回はまったく重要なことではなく、ちょっとしたお遊び。

下り坂は勝手に車が転がり落ちるのでアクセル操作が不要なことがある。落ちることで加速できるのでアクセルを踏んで加速する必要がない。
山道の下り坂ではカーブと直線が繰り返しやってくる。その直線部分でアクセルを踏んで加速する必要のないときがある。1台で走っているのであれば好きにすればいいが、後ろに車があるときはそうもいかないと思われるかもしれない。ところが、カーブをスムーズに曲がり、できるだけ速度を落とさなければ、直線でアクセルを踏む必要がない。後ろの車が追いつかないからだ。どうせ前の車にすぐ追いつくなら特に有効だろう。
アクセルを踏まなければ、車内が静かで燃費も良くなる。操作量が少ないのだから楽にもなる。

残念ながらカーブを曲がるのがあまり上手でないドライバーや、曲がりにくい車というのがある。そうした車がけっこういるので、普通の乗用車を運転しているのであれば、ちょっとコツを知っていれば、そうした遅い車より速くカーブを曲がることができる。コツと言ってもだたのアウトインアウトやスローインファーストアウトのことだが、当然誰でもやっていそうに思っても、現実はそうでもない。
そうした車が前後にいるときは、遅いといってイライラしたり、ましてや煽り運転するのではなく、スムーズで高燃費な運転を悠々と楽しんでいれば良い。
特にヘアピンカーブでは、前の車と極端に車間距離が縮まることがあるので、なるべく前の車に威圧感を与えない車間距離を心がけておきたい。

2010年5月27日木曜日

メリハリある運転

信号待ちをしていて、青に変わってもいないのにちょっとずつ前に進んだり、そうかと思えば青になってもすぐに発進しなかったり。
交差点で右折するために直進車が途切れるのを待っている時にも、行きそうになったり、やっぱり行けなかったり。
片側2車線の道路では、どちらの車線を走るのか迷って、2つの車線をまたいで走ったり。
交差点で左折した後の横断歩道手前で、歩行者が完全にいなくなるのを待たずに、ギクシャク動きだしたり。
赤信号で停止する時や、渋滞で前に詰めるのにも、2回にも3回にも分けて停止したり。
こうした、曖昧で、メリハリのない運転というのがよくある。
落ち着きがなくて、計画性もなく、周囲の交通の存在を意識していない。
前の車が2度にも3度にも分けて停止すれば、その後ろにいる車もそれに付きあわされる。一回で止まれば簡単なものを七面倒臭い。さすがに何度もフェイントをかけられると、次から止まり方の工夫もするようにはなるが、特に長距離運転しているときなんかは、ただでも疲れるのに、そうした車が前にいるとわずらわしい。

間違えることは誰にでもある。運転操作が上手でないのも仕方がない。
だが、原因が、ダラダラとした漫然運転や、焦った運転であれば、心持ちの問題である。身体能力や運転技術ではない、単に人間としての鈍臭さを感じる。

信号が変わりかけると加速する

信号機、赤は止まれ、青は進んでも良い。そして、黄色は止まれ。ただし止まれない時は進んでも良い。ドライバーなら誰でも知っていることだろう。
信号が変わりかけるタイミングになると加速して黄色のときに交差点に進入する車がある。黄色のときどころか赤色のときですら、進入する車もある。特に混雑時の右折レーンは信号が明らかに赤でも右折しているのをみかける。

信号機は交差点内のすべての信号が赤になるタイミングというのがある。場所にもよるが、約2秒間のところが多い。
この全赤のときは交差点に入ってはならない。すでに交差点内にいる場合には仕方ないが、速やかに交差点を通過しなければならない。安全マージンをとっているわけである。赤信号になってから交差点内に進入すれば、この余裕を食いつぶすことになる。
同じようなことが発進する車両にも言える。前方の信号が青に変わっていないのに、交差する道路の信号が赤になるのを見計らって見切り発進する車がいる。赤信号に変わって突っ込んでくる車と、見切り発進する車の間に衝突の危険性が出てくるのだが、車の場合は比較的注意していることが多い。やっかいなのは歩行者や自転車で、マナーの悪い確率が高く、しかも安全確認することなく横断歩道上に飛び出してくることがある。事故があったとき、横断歩道が青信号に変わっていれば自動車側に当然の非難が浴びせられるだろう。たとえ歩行者側が赤信号でも、横断歩道上での事故であれば自動車側の過失は免れようがないし、歩行者は青だったと言い張るに決まっている。

事故というのは両方が不公正なことや横着をしたときに起こる。片方ではなく両方が不注意なときに事故が起こるのだ。片方が危険なことをしても、もう一方がそれを避ければ事故は起こらない。
信号無視をすれば、その片方側の条件を満足させることになる。大抵は相手が回避してくれているが、何かの原因でそうならなかったとき事故は起こる。信号無視をする車が身勝手であるのと同時に、それ以外の人が同じように身勝手でないという確証はない。
もちろん普通の人は黄や赤信号で普通に停止するから、その確率は多くないだろうが、いつまでもラッキーなことばかり続かなかろう。
結局、他人の情けの上に成り立っている甘えなのだ。

直進車が赤信号で停止しないと、右折待ちの車が右折できないということも起こる。右折待ちの車は交差点内に進入している場合は全赤のうちか、青色の右矢印の信号がある交差点ではその信号にしたがって右折しなければならない。その右折可能時間を直進車が奪ってしまっては、右折できるものもできなくなってしまう。行列のできた右折待ちの車が捌けないことも起こるが、直進車のせいでこうなったとばかりに、右折車にまで信号無視が伝染する。こうしたガツガツした雰囲気は周囲の交通にまで波及し、負の連鎖を生み出す。
このとき信号無視するドライバーは、信号の変わり目の最後に自分だけ行かせてくれと思っているかもしれない。人というものは自分のことがもっとも大切であり、世の中で唯一のスペシャルな存在と考える。そうした理屈が交差点にいる他の人に理解されようもない。

ただし、信号で止まるときに、強めのブレーキにならないようにしなければならないし、万一そうなる場合は、周囲には十分注意したい。信号無視することを期待して後ろの車が加速しながら突っ込んでくるかもしれないからだ。
ブレーキの甘い車、特に原付等はブレーキが油圧式でないものがある。アクセルとブレーキを同じ手で操作するようになっているし、2輪という特性上、ブレーキをかけた際に車体の安定性を失うので強くブレーキをかけるのが怖いといったことがある。

2010年5月26日水曜日

トンネルでヘッドライトをつけるか?

トンネル内でヘッドライトを点灯する最大の効果は前を明るくすることではない。もちろん、歩行者や自転車等がいた場合に発見できるということもあるだろう。だが、一番の目的は自分の車を他の人に見せるということである。
前方や後方の車、対向車、トンネルの外にいるかもしれない人にも自分の車がそこにいることが分かるようにするのが重要である。
トンネル内は暗いとしても、通常の視力を持った人であればヘッドライトのついていない車の存在に気づかないことはあまりないかもしれない。だが、トンネル内を走行していてヘッドライトがついている車とついていない車の視認性、前方の車のテールランプがついている場合とついていない場合の視認性は明らかに違う。

自分の車のライトがついていようがついていまいが、せいぜいスピードメーターが見やすいかどうかぐらいで、自分にとってはあまり関係がない。結局トンネル内でヘッドライトをつけるのは他人への配慮である。ひいては自分の安全を守ることになるのだが、直接的にはやっぱり他人の運転を手助けする行為にすぎない。そうした他人に対してのドライバーの姿勢が本質的なところだと思う。

高齢化も進んでいることだし、ここは念のためトンネルではヘッドライトをつけておくのが良いだろう。
トンネルを入る前につけて、出た後に消せば確実である。

断続的にトンネルを出たり入ったりする場合は、ヘッドライトをつけっぱなしで走ればよいが、知らない道であれば、どこでトンネルが終わるのかが分からない。そうした時はトンネルを出たその先にトンネルが見えないようなら消せばいいのだが、ところがその先でまたトンネルが出現することがある。それでも何も考えずヘッドライトをつければよい。知らない道でトンネルの出現箇所が分からないのは当たり前のことであり、丁寧にひとつひとつのトンネルで安全を確保しながら走行することが大切である。

そういえば、最近の高級な車は自動的にライトがついたり消えたりするようで、それなら関係ない話かもしれない。

煽り運転の心理

前方の車に極端に車間距離を詰めて走行している車を見かけることがある。こうした時は煽り運転をしている可能性がある。
後方の車が前方の車に対して、何らかのアプローチをしているのである。

停止して進路を譲ることを求めているのか。
もっと速度をあげることを求めているのか。

前を走行している車は後ろの車との車間距離に余裕がないことが分かっているので迂闊に強いブレーキを踏むわけにはいかない。前の車は要求に応えて速度を上げなければならないのではないかと考えるかもしれない。煽り運転は前を走る車にプレッシャーを与えることとなる。

極端に低速で走行している車は、大抵、他の車に進路を譲るし、制限速度前後で走行している車はそれで問題ないわけである。実際のところ制限速度以上の速度で走行することが常習化していることは認めるし、私自身もムニャムニャ…ということはある。だが、速度違反を他人に押し付けるものではない。

制限速度に従って、あるいは既に制限速度を超えるほどの速さで走行しているにも係わらず、後方からそれ以上の速度で走行することを求めたり、危険な車間距離で運転の障害になるようなことをするのは不合理な話である。違法行為をするのであれば、道を変更して勝手にどこか誰もいないところで好きなようにするか、いっそのこと追い越していけば良いことである。追い越しにはリスクも伴なおうが、違法行為に他人の協力が得られる訳もなく、自分で犯行するよりない。ましてや普通に走行している車に負担をかけるというのでは筋が通らない。
道路交通法の「他の車両に追いつかれた車両の義務」などを持ち出してきても、この法律で違法行為が正当化されるはずもなく、せめて制限速度や車間距離に関する法律を守っているのでもなければ説得力もない。警察車両はゆっくり走っていることが多いが、その場合でもこの法律にもとづいて同じことをするだろうか。

では、煽り運転は頭のおかしい一部の人達がしているのかというと、そうでもないようで、実は普通の人がしていたりする。
もとは、せっかちなドライバーがやり始めたのではないかと思う。そうすると、それを真似する人が出てきて、終いには、それが普通の運転方法であると思い始める。自分がされるので、そうするものなのだと錯覚し、自分も他の車に追いついたら煽り運転するようになっていくのかもしれない。次第に広がり、誤解したドライバーの間で風習化していく。

制限速度で走行する車があったとすると、そこを先頭に長い列になることがある。制限速度を超えて走行している車が大半だから追いついてしまうわけである。このとき制限速度で走行する車は迷惑をかけることをしているのだろうか。邪魔な存在なのか。まあ、状況を考えて、制限速度で走行する車が進路を譲ってもよいとは思う。だが、それは強要するものではない。こうした時、譲る車は譲るし、譲らない車は譲らない。制限速度で走行するという当たり前の正しいことをしているのだから(万一、正しくないとしても、正しいと思ってしているのだから)、それを煽り運転したからといって何も変えられない。煽り運転すれば前の車への抗議になって、これから先、前の車のドライバーは気持ちを入れ替えて行動が変わるなどということはない。

自分が他人から(進路を譲るという)優しさを求める前に自分自身を振り返ってみてはどうか。

煽り運転について、まだ書ききれていないことがあるので、これから先も書いていくつもりである。

捨てる人もいれば、拾う人もいる

道路には合流点のあるところがある。直進する道路に左から斜めに道路が合流してくるようなところ。高速道路のインターチェンジで加速車線から本線に合流するところもそれである。二つの流れがが一つに束ねられるので、そこがネックになって渋滞することもある。そうした流れが悪いときに横から合流するのが苦手というか不安な方はいないだろうか?
道路が前方で車線減少するところでも同じことが起こる。片側2車線以上の道路で車線変更する場合も隣の車の間に入らなければならない。
不安な心理になる理由として、自分が人にしていることを、自分もされると思っているということはないだろうか。つまり、入ってこれないように意地悪をされるかもしれないという恐れはないだろうか。

こうした状況では後ろの車に入れる意思がなければ入ることができない。もしも入れないように車間を詰めるようなら、それは入れないということである。無理やりねじ込む方法もあろうが、無理はしない方がいい。

それでずっと入れないなんてことはない。合図を出し、入る意思を示せば良い。そうすれば最低でも数台後ろまでには必ず入れてくれる人がいる。
世の中のドライバーはすべて異常に焦った人ばかりではない。大多数は健全な市民である。
少しは他人を信じてみる。
逆の立場になったとき、どうしたら良いかも分かる。

リラックス運転

多くの人は教習所でハンドルやペダルの操作方法を学んだと思う。私の場合、ハンドルは10時10分~9時15分の位置を両手で持つように指導された。それは正しいのだろうが、常にその姿勢かというと片手ハンドルになったりしているのが現実である。
片手ハンドルはどうか分からないが、リラックスして運転することは良いことだと思う。それは集中しないということでも雑な運転をするということでもない。肩に力が入った運転をするのではなく、余裕をもつということである。どちらかというとメンタルなことの方が大きい。
シートに背中を押し付けたような姿勢。実際にそうしろということではないが、極端に言うと前かがみよりは仰け反った姿勢の方が良い。視線を集中させず、周囲を俯瞰的に見る。慌てず、なごやかな気持ちで客観的に状況を判断する。

今の車はほとんどパワーステアリングになっていてハンドルが軽い。安全に注意するとして、ほぼ直線の道路であればハンドルを人差し指と親指でつまむようにして運転してみると良い。片手でやってもよい。片手の親指と人差し指だけでハンドルをつまんで操作する。一般道路での運転はハンドルをギュッと握りしめて、力ずくでするものではない。逆らわず、スムーズに、最小限で操作することが、楽で効率がよく安全な運転となる。

昔、テレビゲームに熱中している人がいて、画面の中のキャラクターを操作するのに、手に持ったコントローラーのボタンを押すだけでなく、コントローラーそのものまで動かしていたのを見たことがある。レースゲームでは強く加速しようとアクセルの機能が割り当てられたボタンを強く押す人もいた。そのボタンは強さを感知するものではないので、強く押そうが、弱く押そうが何も変わらないのに。
航空機はフライバイワイヤといって、油圧サーボを介して操作するようになっており、操縦装置が操縦翼面に物理的に連結されているわけではない。自動車でもドライブバイワイヤという、アクセルが電子制御になっているものもある。ABSや横滑り防止装置も当たり前になりつつあり、操作系統は機械的なカラクリ仕掛けから電子制御へと変わってきている。
もはや自動車は反射神経や筋力といった肉体的要素で運転するものではない。カーナビによる効率の良いルート選択、燃費運転、外部カメラ等による誘導等、速い運転や効率の良い運転に対するアプローチの発想がまったく異なる。安全運転に関しても危険な状態になる前に、予測や自己抑制等ではなっから危険にならないように運転することが重要なのである。危険になってからどう回避するのが上手いとか下手とか、そもそも危険な状態になることがすでに下手なのである。
一般道路での運転は知能でするものであり、汗だくになってするものではない。リラックスして余裕を持った運転を心がけたい。

右折待ちはまっすぐ停める

交差点では直進車が右折車に優先する。右折する車は直進車が途切れるのを待って、右折することになる。
この右折待ちをする際に対向の右折車のことを考えているだろうか?
自分が右折するのと同じように向こう側から来る右折車がある場合、あるいはこれから来るかもしれない場合。
右折レーンのある交差点であっても自車が右折レーンの中で左に寄っていたとしたら、対向の右折車にとって直進車が自車の陰になって見えにくくなると予想できる。右に寄っていても車が斜めになっていれば同じこと。対向の右折車のためには右折レーンに並ぶ車はなるべく右に寄って車をまっすぐに停めておくのが望ましい。
滅多な事はないと思うが、後ろから追突されることがあったとしたら、斜めに停めている車は対向車線に飛び出すなんてこともあるかもしれない。

斜めに停めるのは右折するための準備と考えるかもしれない。ハンドルをある程度右に切っておき、車両を少しでも右に向けておけば、対向の直進車が途切れたところを素早く右折できるのではないかということであろう。
根本的に対向の直進車の小さな隙間を狙って右折してはならない。運転は慌ててするものではない、落ち着いて確実に行えばよいのである。急いで右折したその先に歩行者が横断歩道を渡っているかもしれない。そうしなければならないような危なっかしい運転であれば、なおのこと確実に右折した方がよい。実際のところ、ちょっと車が斜めになっていてどれほどの効果があるだろうか。
右折車同士が互いに直進車を隠しあっていては、右折できるときにも行けない。見えなければ対向レーンにはみ出し気味のところまで進んで、それで対向の直進車までも速度を落とさなければならないハメになる。

ちょっと大きめの交差点になると右折車両を誘導する白線が引かれているところがある。その白線は曲線を描いて、それに従えば車両を斜めに停めることになる場合がある。勘違いしないでいただきたい、対向の直進車の視界の妨げにならないのであれば車両が斜めになっても問題はないだろう。もっともこの場合、後ろから追突されれば対向車線に飛び出すかもしれないが…

交差点であれ、どこであれ、右折するときは右折の合図を出し、右に寄せ、道路に平行に停めて、直進車が確実に途切れ、歩行者が横断していないところで、落ち着いて右折する。ついでに言うと、右折待ちから右折開始まで微動だにしない迷いのない運転であれば完璧である。

2010年5月25日火曜日

うまい運転とは

あなたは上手な運転とはどんな運転と考えるだろうか?

速く走れる
車庫入れや縦列駐車が鮮やか
車線変更や合流でもたつかない
安全運転

これらはうまい運転と言えるかもしれない。安全運転は当然だし、それ以外のことも概ね望ましいことばかりかもしれない。
私が考えるうまい運転とは、「自分以外が楽になる運転」である。
誰もいない広いところを一人で走っているのであれば、どんな運転をしてもらってもいいが、実際の道路交通においては、自分以外の存在がある。他の自動車であったり、バイクであったり、自転車や歩行者、同乗者もある。自分がちょっと配慮して、他の人が楽になるようにすることがうまい運転だと考える。うまい運転という言葉の定義付けの問題もあるのだが、サーキットではない一般道路において、手や足を動かす速度に関することや、技術的なこと、手際が良いことだけが、うまい運転というわけではない。「うまい運転=速い運転」という話などしようとしているわけではない。
他人に配慮する運転ということには、根本的に正反対の考え方を持つ人もいるのではないかと思う。たぶん私の言っているうまい運転の意味が分からない人もいるのではないだろうか。見ず知らずの他人になぜ親切にしなければならないのかと。あかの他人を押しのけ自分を優位にしようとするのは当然のこと。世間を生きていくというのはそういうことである。他人は邪魔な存在であり、スペシャルな自分にこそ譲るべき。という感じだろうか?

「自分以外が楽になる運転」とは
同乗者が快適な運転。例えば冷静さを保ち、乗っていて安心できる安全な運転。
前方の車に圧力を感じさせない車間距離を保つ。後方の車のためにはシンプルでスムーズな加減速。他の交通にも合図や挙動で、次の動きが予測できるようにする。
バイクにはいちいち無意味な追い越しはせず、車間距離を保つ。
自転車や歩行者が信号のない横断歩道を渡ろうとしているなら停止する。
他にも状況に応じて他人が楽になる運転はいくらでもあるだろう。

進路変更の合図を出せば、入れさせまいと車間距離を詰める。交差点で直進車に減速を強制するような右折。頻繁な車線変更。こうしたことは実益がほとんどなく、他人の優しさの上に成立するもの。わがままである。それに気付いていないだろうドライバーには虚しさや哀れすら感じる。
このような挙動の人がいると、伝播し意志の弱い他の人まで壊れ始める。逆にあなたが人に親切にすれば、親切にされた人はその先で他の人に親切になる。
正常な感覚のドライバーは負の連鎖を断ち切り、正の連鎖に変えていく。それは全体の交通を円滑にし、結局、すべての人が楽に速く目的地に到達することになる。

飲酒運転しないためには強い意志がいる

飲酒運転による事故の多さから最近は飲酒運転の罰則が強化されている。しかし、それでも飲酒運転をする人はいる。公務員や警察官まで飲酒運転で事故を起こすことがある。
車やバイクで通勤しているサラリーマンは、歓迎会や忘年会等、何かの飲み会があったとき、通勤方法を電車やバス、タクシー等に変更することになる。酒を飲むことが事前に分かっているのなら通勤手段について考えておかなければならない。車を使うつもりなら始めから酒は飲めない。通勤をバスや電車に変更することになると、いつもより早く家を出なければならなかったり、交通費も余計にかかったりする。
急遽、酒を飲まなければならなくなったら、車を置いて帰るか、代行運転を頼む等することになる。車を会社に置いて帰ったのなら、翌日は車以外で通勤することになるし、それが休日前だったら、車を回収するためだけに出勤しなければならないかもしれない。

車だったらドアツードアだし、バス停や駅のフォームで待つこともない。雨に濡れず、エアコンも効かせて、音楽を聴いたりテレビを見たり。座席も確保されているし、満員電車もない。
もともと車を使うような人はそうした便利さがあるからこそ、車を使っている。
上記の事を理由にいくらでも自分に言い訳することができる。あらゆる不便が生じることを受け入れて、車による通勤から他の交通手段に切りかえるということは、強い意志を必要とするだろう。自分に甘い人や厳格でない性格の人には難しいのが目に見えている。

サラリーマンなら飲む日もあるだろうよ!
ビール一杯飲んだぐらいで、いちいち電車で帰ってられないって!
みんなやってること。忘年会シーズンなら飲酒運転だらけ
警察が怖くて酒が飲めるか!

血気盛んなのは結構だが、それで飲酒運転が許されるのか?もうそんな時代ではない。

2010年5月24日月曜日

信号待ちで停止線を越える車

自動車を運転していて、信号機のある交差点を通過することは数え切れないぐらいある。赤信号で待つこともまた、いつものことである。
赤信号で停車していて、完全に停止せず、微速で前にジリジリ動いている車や、数秒おきに数十センチ程度ずつ前に動いている車をみかけることがよくある。
交差する横断歩道が赤に変わると、それ以降、横断歩道は利用されないものと判断しているのか、横断歩道上にまで前進する車もある。
いったい何をそんなに焦っているのか?たかが数メートル前に行ったところで、それでどれほどの違いがあるというのか?
実際のところ赤信号から青信号に変わったのを見て普通に発進した方が、タイミングが合って、速やかなスタートになることも少なくない。時差式信号ではフライング発進してすぐに停車する間抜けな車を見かけることまである。
車が動けば事故のリスクが生まれる。横断歩道上に歩行者なり自転車が通行しようとすると接触の危険性がでてくる。歩行者や自転車に交通マナーの期待できない人も多いから、赤信号の横断歩道を走り抜けようとしたり、自車の斜め後方から飛び出してくるようなことがあるかもしれない。

また、始めからからわざわざ停止線を越えて停止する車も多い。後続車に追突されるおそれがある場合や渋滞時に交差点の先が詰まっていて結果的に停止線を越えしまった場合等、仕方なく停止線を越えることもあろうかと思う。しかし普通に停止線の手前に停止できるときにまで意図的に停止線を越えることも多いように思う。
停止線を越えて停車するのは厳密にいうと道路交通法違反なのかもしれないが、それよりも無駄にリスクを作り出すことに繋がる。
片側2車線以上の道路で車両が停止線に並列して停車しているとき、あるいは1車線の場合でも横にバイクが停車していて、車両が2台以上ならんで信号待ちしているようなとき、1台の車が前に出ると、他の車には死角ができることになる。つまり、前進した車が横断しようとする歩行者や自転車を隠してしまうことがある。仮に前方の信号が青になったとき死角の車が発進して歩行者や自転車が信号を無視して横断していれば接触するかもしれない。歩行者の交通違反や発進した車の前方不注意ではあるが、そもそもリスクのある状況を作り出したのは前に飛び出している車である。いったい何のためにそんな嫌がらせをする必要があろうか。

こうしたへんてこりんなドライバーというのは目立つのでみんながやっていることのような気がするかもしれない。実際はそうでない普通のドライバーの方が多い。他の車がそうだからといって、自分まで変なことをすることもない。
いくら慌てて前進したからといって信号が変わるわけでもないし、落ち着いて青になるのを待っていればよい。
短気は短気だから時間が足りない。リラックスして運転したい。