2010年5月29日土曜日

追い越し時に前の車に接近

追い越すとき前の車に接近してから追い越す車がある。あまり距離が離れていては追い越しできないわけだが、かなり接近してから追い越しをしているのも見かける。

車に対して追い越しすることは頻繁ではないが、速度差のある原付バイクに対しては比較的多く追い越しの機会がある。原付バイクに対してもいったん数メートルのところまで車間距離を詰めた後、追い越しをする車がある。

前方の車と自分の車に速度差があって、前方の車の先に十分な空きがあるのであれば、追い越しをするという選択も考え始める。それで追い越しを決意したなら、対向車の途切れるチャンスを伺う。その時、前方の車に接近しすぎてはならない。前方の車にプレッシャーがかかるからだ。後ろの車が追い越すために前方の車は後方の車が接近していることに対して注意を払う必要ができてしまう。
追い越す車はしなくてもいいことをわざわざするからには追い越される車に対しては十分な配慮をしたい。ここで、追い越される車が遅いから悪い。その車を追い越すのになぜ気遣いしなければならないのだ。と考えられるようなら、これ以上、この文章を読む価値はないかもしれない。

接近しすぎない距離を保ちつつ、追い越しにかけるのに十分な距離ができたなら、合図を出し加速を始める。約3秒経った後に右に進路を変更する。追い越される車と追い越す車に速度差がある方が、短い時間での追い越しとなるので、追い越される車にとっても負担が少ないが、常識的な範囲の速度に抑えることも必要である。2台並走している瞬間は、なるべく車の間を開けておく方がよい。追い越しを完了し、十分に前方に出たなら左の合図を出し、3秒後元の車線に戻る。
追い越される車は追い越す車を意識的に追い越させている。速度を上げず、安定した走行をし、ずっとミラーで監視しているはずだ。追い越される車の前後左右に十分なスペースを開けることで、追い越される車の気苦労は最小限になる。

追い越される車に接近してしまうのは、力み過ぎているからだと思われる。体が硬直し、気持ちが前のめりになっているのだ。それをずっと続けていたら肩がこるだろう。見ていると、余裕がなくて、つたない運転が伝わってくる。

追い越さなければならないほどの速度差があり、追い越される車の前方に十分な空きができていて、対向車のない距離があるところであれば、追い越しをするのはワケがない。目の前に突然現れた猫でも避けるかのように、グイッグイッ、ハンドルを動かすこともないし、アクセルやブレーキをガチャガチャ操作する必要もない。

原付バイクは法定速度が30km/hで、排気量も小さいため、速度差が大きい。だから追い越す機会が多くなる。追い越しても信号待ちですり抜けて前に出るため、結局意味がないことがある。余計なリスクになるため、なるべく追い越したくないところだが、先の信号がどうなるかなど分かりようがないし、後ろの車のこともあるので、前方に十分なスペースが生まれたならサクッと追い越しておくのがよいかもしれない。前の車に接近するようにして、一生懸命追い越しているのなら別だが、先程から、言っているように十分な余裕をもって追い越しをすれば、サイズの小さく、速度差の大きい原付バイクの追い越しにかける労力など、知れている。

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