2010年8月26日木曜日

ばくち運転

走行レーンのない狭い道にある右折や右カーブで、曲がった先が建物等に遮られて見えないところがある。交通量も少なく滅多に対向車が来ないとしても、コーナーのイン側ではなく、アウト側に寄せて曲がらないと、万一、対向車があったときは衝突の危険性がある。かつて一度も対向車が来たことがないところで、何も来ないと分かっていても、ギャンブルをするわけにはいかない。
衝突しなくても、対向車は回避行動を余儀なくされ、余計な面倒をかける。

狭い路地にあるような交差点で、交差するどちらの道路も一時停止が必要なところで、一時停止のできていない車がある。相手が止まってくれることを前提にして運転しているのだ。見込み違いがあったときに衝突の危険性が高まる。

事故は危険なだけでなく、費用や後始末を考えると絶対にしたくない。確率の問題ではなく百発百中でなくてはならない。

残念ながら博打をうってくる車の存在も考えておかなければならない。
コーナーではその分も含めて注意をしておかなければならないし、交差点でも同じだ。

2010年8月25日水曜日

高速道路の渋滞に追突

高速道路の通行料金が上限1000円とか無料とか言われて、見かけ上は安くなっており、それで連休ともなるとあちこちで渋滞が発生する。
渋滞の最後尾につくときは、後ろからの追突を防止するためにハザードランプをつけることが多い。渋滞の最後尾に来たときにいきなり急ブレーキで停止する人もいないだろうから、普通に運転している限り追突することはなさそうにも思える。

2車線の高速道路で、走行車線を前の車に続いて走行していて、前の車が追い越し車線に進路変更したとき、突然、目の前に停車車両が現れる可能性がある。前を走っている車が渋滞の最後尾に来たので、空いている追い越し車線側に進路変更したような場合だ。車間距離を十分にとっていないと、かなり危険なことになる。走行車線側だけでなく、むしろ追い越し車線側の方が、速度が速く、進路を開けてくれるのだと勘違いしそうで、もっと危ない。ましてや煽り運転のような車間距離だったら大惨事だ。
こうした事故を防ぐために、渋滞の最後尾に来てから、いきなり進路変更してはならない。また、前の車が進路変更するときは、その陰に何かあるかもしれない可能性を考えておかなければならない。高速道路で渋滞の最後尾につくときは、常識的に考えてハザードランプやポンピングブレーキなどで合図し、ゆるやかに減速するものだと思い込まないようにしたい。後ろに続く車のことなど一切考えていないドライバーというのもいるのだ。

2010年8月24日火曜日

エコや安全装置に期待したい

追突防止装置とか衝突防止装置と呼ばれる追突事故を防いだり、被害を少なくする仕組みを搭載した自動車がある。何かに追突しそうになると、警告を発したり、自動的に減速するようになっているのだ。
こうした仕組みの普及は歓迎したい。というのは煽り運転を防止する効果もあるのではないかと思うからだ。
車間距離が少ないと、前を走行する車がやむなく急ブレーキをかけなければならなかった場合に、事故を回避できない可能性がある。車間距離が詰まっていては追突防止装置があっても効果は限定される。そうした危険な運転状況になることを防ぐために、車間距離を詰めているときも、警告を発したり、減速するようになれば、煽り運転状態になりにくくなるのではないかと期待できる。煽り運転をするようなドライバーはそうした装置が装着されていても、無効にしたり、警告を無視するかもしれないが、それは正真正銘の悪質ドライバーであるから別として、それ以外のなんとなく煽り運転をするようなドライバーには効果があるかもしれないと思う。

エコとか燃費向上のために信号待ちで自動的にアイドリングストップする車が登場している。信号待ちで停止して一定時間が経過すると自動的にエンジンを停止し、燃料を節約する。発進するときはエンジンを再起動する。これは信号待ち等で用もないのにズルズルと前に進むような行動を抑止できる効果があるのではないかと期待できる。ちょっとずつ止まったり進んだりするような場合、アイドリングストップは邪魔なだけで意味がなく、むしろ不快なだけだ。だから、止まるときは止まる、進むときは進むといった、メリハリのある運転にならざるを得ない。それで、だらだらとした運転が少なくなってくれるとありがたい。

将来的にエンジンがモーターに置き換わると、マフラーの騒音をなくすことができる。他人にとっては迷惑なだけで、格好いいわけでもないのにマフラーを取り替えてうるさい音を出している車があるが、モーターになればそれもなくなる。

こうして考えると近い将来に向けて、車社会での生活も少しは明るい部分がありそうだ。

2010年8月23日月曜日

自動車は体でなく頭で運転するもの

レースをしているわけでもない一般の道路で普通に自動車を運転する場合は体力や反射神経よりも、考える能力が重要である。
ハンドルを素早く操作するのは腕の筋力が強い方が有利であろうし、とっさの時には反射神経も必要であろうが、そんな特殊な状況ではなく、普通に運転している時というのは、先読みや計画性といった考える力の方が大切だ。
筋力や反射神経がどうのこうのという前に、はじめからそうしたものが必要にならないようにするのが先決なのだ。

進行方向別通行区分のある交差点で右左折するなら、なるべく早めに進路変更しておきたいのは普通に考えて分かることであるが、そんな分かりきったことだけではなく、様々な場面において考えるということが大切だ。
歩行者や自転車が飛び出してきてから慌てて避けるのではなく、あらかじめ歩行者や自転車が飛び出してくる可能性を考えておく。
他の交通の動きを予測する。また、その予測がハズレることがあることを予測しておく。
自分の車の動きが後ろに続く車へどう影響するか考える。
渋滞があることが分かっているなら、時間やルートを変えたり、早く出発して対処する。

背中はシートに、頭はヘッドレストに付けて、肩の力を抜き、広く見回すような姿勢でスマートに運転したい。

2010年8月18日水曜日

追い越し車線は共有している

2車線の高速道路では左側が走行車線で右側が追い越し車線である。通常は左側を走行するが、速度の遅い車に追いついた場合は、追い越し車線を使って追い越すことができる。
ひとつしかない追い越し車線を、追い越しを行う車で共有することになるので、追い越し中の車よりもっと速い車が追いつくと、その車は追い越し車線を使うことができなくなり、一時的に減速を強いられて、前の車が追い越しを完了するのを待つことになる。
高速道路の構造上、普通に考えてそうなるし、それから逃れようがない。

以前、リミッターのある大型トラックの記事にも書いたが、追い越し中の車の後ろに、他の車が追いつくと煽り運転のような極端に車間距離を詰めて走行している車をよくみかける。上記のことを踏まえれば、訳の分からない行動である。前で追い越し中の車に対し、速やかに追い越しを完了させるよう働きかけているものと思われるが、そのやり方は追い越し中の車に過度の緊張をもたらし、居心地の悪い思いをさせる。

それにしても、そうした行動をするドライバーがあまりにも多すぎるように思える。追い越し中の車に他の車が追いつくとかなりの確率で煽り運転を始める。これは煽り運転が横行しているという域を超えている。追い越し車線で追い越し中の車に追いついた車は煽り運転をする。ということが正常であるかのようになってしまっている。つまり、その行動が社会的コンセンサスのとれたノーマルなことであると多くのドライバーに認識されているのではないかと疑ってしまうほどだ。

2010年8月16日月曜日

最高速度100km/h以上は不要?

三重県と滋賀県に新名神高速道路という高速道路がある。道路幅や車線の幅が広く、曲線半径や勾配もゆるやかに造られており、設計速度が120km/hともいわれている。実際に走行してみると路肩も広いし、トンネル内も明るくて、高速走行に安心感がある。

設計速度が120km/hといっても高速道路での法定速度は100km/hであるからそれ以上の速度を出すことはできない。そこで法を改正する等して120km/hで走行可能にしてはどうかという話になる。仮に120km/hで走行可能だとすると、取り締まり速度の猶予分を考えて、実質140km/h付近まで速度を出すことができるという現実になる。
だが新名神高速道路を走行していると、あの十分な広さの道路ですら100km/hに満たない速度で走行している車が多い。もちろん、そのこと自体は何も間違っていないのだが、言いたいことは、速度を出せても出そうとしない車が多いということである。
リミッターで90km/hまでしか出せない大型トラックや、出力の小さい車のことではなく、普通の車がそうなのだ。
理由を探せば、高速域になると空気抵抗が大きくなるので燃費が悪化するとか、エンジン音が大きくなるといったこと。事故になったときの被害が大きくなるという心配もあるが、率直に言ってほとんどのドライバーが丁寧に速度を意識した運転をしているかというと疑問に思うところである。本当はたいした理由もなく適当な速度で走行しているのではないかと考えたりする。

新名神高速道路だけでなく東名高速道路等の100km/h区間でも、設計速度はどうか分からないが実際には100km/hを超える速度で十分走行可能だ。だが、やはり100km/h前後かそれ以下で走行している車が多数である。

こうして100km/h以上の高速走行が求められているとは思えないところをみると最高速度の120km/h化は現状ではやはり時期尚早ということなのかもしれない。

2010年8月13日金曜日

制限速度の標識を見ていないとしか思えない

高速道路は最高100km/hで走行することが可能だが、標識で80km/hやそれ以下に制限されていることも多い。標識があっても中が真っ黒で数字が表示されていない場合や区間の終りを示す左向きの矢印とともに数字が表示されている場合は100km/hで走行可能である。いずれにしろ、速度が制限されている区間と、制限されていない100km/hで走行可能な区間があり、道路状況に応じて最高速度が設定されている。
その道路標識に従って最高速度を調節しながら運転するわけであるが、80km/hの区間を走行中に追い越された車を、100km/hの区間に変わったら、今度は追い越さなければならなくなることがよくある。道路標識とは無関係の速度で運転している車がいるということである。
高速道路の場合、100km/hと80km/hの区間が多いため、取り締まりのことを考えれば100km/hより少し遅い速度で走行していれば、まず問題になることがないことから、道路標識に関係なく100km/h未満付近の速度を維持しているというのであれば理解できなくもないが、80km/hの区間になっても100km/hの区間での取り締まり安全圏限界速度で走行している車もあり、そうなるといつ覆面のターゲットになるか分からない。

高速道路だけでなく一般道路でも、制限速度の標識をちゃんと見ていないのではないかと思えるふしがある。
一般道路では50km/hと40km/hの区間が切り替わることが多いが、この場合でも50km/hの区間での速度のまま40km/hの区間を走行する車を見かけることがある。40km/hの区間は道幅が狭い場合や急カーブになっていることが多いので自然に速度が低下することも多いが、それでも直線部分は速度計を見ないで普通に運転するとすぐ取り締まり対象速度になってしまう。だから、そうしたところはネズミ捕りスポットであることが多い。

もともと制限速度は余裕をもって設定されているので、速度オーバーに若干の猶予あるといっても、標識を見ずに好き勝手運転していたら、すぐに20km/h、30km/hのオーバーになって取り締まりにあうリスクが高まる。

2010年8月12日木曜日

追い越し中のトラックを煽り運転

大型トラックには速度抑制装置(スピードリミッター)の装着が義務付けられており、90km/hまで達すると燃料供給が制限され、それ以上の速度が出ないようになっている。高速道路における大型トラックの法定速度は80km/hなので、通常はそのリミッターが作動する速度にも達することはないはずであるが、もちろんそれは建て前で、大型トラックの多くはリミッターが作動する限界スレスレの速度で運転している。
リミッターが作動する速度に個体差があることや、車両重量、エンジン出力の違い、勾配等の道路状況もあって、大型トラックの間でも最高速度に差が生じることがある。少しだけ最高速度の速いトラックが少しだけ最高速度の遅いトラックを追い越そうとすることがあり、わずかな速度差の違いで追い越しをするため追い越しを完了するのに時間がかかる。
その時、100km/hで走行する普通の車が追いついてきた場合、走行車線と追い越し車線を並走する2台の大型トラックに道を塞がれる格好になるので、しばらくの間追い越しをすることができない。そうした前に出るに出れない車が追い越し中のトラックに対して煽り運転でもするかのような車間距離に接近しているのを見かけることがある。これがわけが分からない。万一トラックが急ブレーキをかける事態があったとしても、車両重量等の関係から追突することはないかもしれないが、あえてトラックドライバーが居心地の悪い思いをする嫌がらせのようなことをして、自分自身も窮屈な運転をしなければならない理由があるだろうか。

追い越し中のトラックドライバーはリミッターによりそれ以上どうすることもできないし、煽り運転をしようがしまいが、何も変わらず、誰にも変えられない。それならトラックドライバーは二度と追い越しをしなくなるかといえば、そんなことがあるわけない。いったい何がどうなることを望んでそうした行動をしているのやら、さっぱり分からない。

ゼンマイ仕掛けの自動車のように、バネの力で前進を続け、障害物に当たったらぶつかるところで停止し、障害物がなくなったら走りだすという、一切の思考をしないマシーンのようで、脳を働かせないのにも程がある。

2010年8月11日水曜日

煽り運転を正しいと思っている

人は誰でも自分のしていることが正しいと思っている。そうでなければ自己破綻することになる。
煽り運転をするドライバーもまた、自分のしていることが正しいと信じているのだ。

道路交通において制限速度が守られていない実態がある。良し悪しは別にして現実的に制限速度がまったく守られていない。
だが、警察は明らかな速度違反でなければ取り締まらない。1km/hでもオーバーすれば即取り締まりになるというのなら状況が少しは変わるかもしれないが、下り坂等でうっかり制限速度を超えることがあるかもしれないし、速度計に誤差もあるだろうから、厳密に取り締まるのは厳しすぎる面がある。取り締まり対象速度には猶予があるのだ。この手のグレーゾーンの存在は建て前の好きな日本人らしい。
こうしたことが誤解を生む原因になっている。誰もがその安全マージンを使って速度違反をしてしまい、それが当たり前だと考えるようになるのだ。終いには制限速度が間違っていると言い出したり、速度違反をしない車が間違っているという思想にまでたどり着く。

煽り運転をするドライバーは、99.9%速度違反をしており、それを目的としているから煽り運転をしなければならなくなる。
制限速度50km/hの道路において、多くの車が70km/hで走行しているとしたら、それがそこの交通の流れであると考え、それ以下の速度で走行する車は迷惑行為とみなすようになる。円滑な流れを阻害する邪魔な交通は煽り運転で強制排除することが、自分や他の交通を含めた全体の利益になると考えるわけである。嫌われ役をかって出ているつもりにすら思うのだろう。

周囲の流れに乗ることの重要性を主張する人もいるが、制限速度を超えて走行することを正当化できるものではない。速度違反の流れが出来ていたとしたなら、それを絶ち切って正しい制限内の速度に改善するのが本来、まっとうなことである。「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な言い分で速度違反を望むとしても、他人に対して違反速度をゴリ押しすることや、法を順守する人間を不当扱いするわけにはいかない。
速度違反の流れがあって、それを制限内の速度に修正する行為への解釈は、真っ向から意見が分かれると思う。違反速度で流れているのであれば、正しい速度になるように改めるは当然のことであるともいえるし、一方、せっかく速い速度で流れているものを遅い車がブロックしているようにとらえるかもしれない。

例えば制限速度を守る車が警察車両や、あるいは暴力団員の運転する車であったなら、いつも煽り運転をするドライバーも行動が変わるのではないだろうか。煽り運転は車間距離不保持違反であり、危険行為であることと、なにより前を走行する車のドライバーに強い不快感を与える。そのことを煽り運転するドライバー自身がよく分かっているから、相手によって行動が変わるのである。

制限速度を守って運転するドライバーと、それを悪人や迷惑行為であるとして嫌がらせをするドライバーがいたら、本当に悪人で迷惑なのはどちらだろうか。

2010年8月10日火曜日

プロドライバーには鉄の心が必要

バスやタクシー等の旅客を乗せて運転することを目的とするドライバーはプロフェッショナルである。人の命をあずかっている以上、絶対に失敗が許されない。
プロドライバーには運転技術をはじめ、地理に関する知識やコミュニケーション能力等が必要であろうが、もっとも必要だと思うのはプロ意識ではないかと思う。
プロ意識とは法令順守や安全運転、そして他の交通に惑わされない鉄壁の心である。どんなプレッシャーを受けようが決して腹を立てて感情的にならない固い心を持っていて欲しいと思う。
バスやタクシーを利用するお客さんは、安全に目的地に行ければそれでいいのだ。危険な運転をする車になど乗りたくない。

理想はそうであっても現実は別である。バスやタクシーのドライバーだからといっていつも冷静な運転ができるわけではない。
バスとタクシーでも頭に血が上ったような運転をしているのを見たことがある。それはドライバーにストレスのかかる状況ではあったが、腹を立ててしまってはアマチュアと変わらない。

トラックドライバーも貨物輸送のプロであり、大部分はマナーも良く、ある意味手本になるようなプロの運転姿勢を披露してくれることもある。だが、一歩はずれた時の酷さは旅客輸送の車とは桁違いだ。

2010年8月9日月曜日

サンキュー事故が多い

信号待ちなどで車の並んでいるとき、対向車線から右折横断したい車があった場合、間を空けて止めて前を通れるようにすることがある。このとき止めた車の陰からバイクがすり抜けてきて、右折横断車と衝突するというのはよくあるパターンのサンキュー事故である。渋滞時の交差点で直進車が交差点に侵入できず待っているところを右折する場合にも同じようになることがある。
進路を譲られた右折車が素早く右折しようとして、確認がおろそかになるのが原因だ。
車の間をすり抜けてくるバイクにも問題はあるが、直進車優先であるから、どちらかと言えば右折車の責任が大きい。

事故の典型的な例でありながら、私は今まで何度も目撃している。ある意味、心理の隙を突いたよくできたトラップだ。
右折する車の側面にバイクが衝突したり、直進するバイクの側面に車が突っ込んだりするのだが、バイクはライダーがむき出しだから、見た目に痛々しい。まさに瞬間の出来事で、衝突の後、一瞬の沈黙した空気が流れ、衝突した車の中から運転手が慌てて飛び出してきてライダーの状況を確かめに行く光景が忘れられない。

こうしたことを防ぐために直進車が進路を譲る際に左端に寄せて隙間をなくすことでバイクが車の陰に入れなくすることもできるが、左に寄せて停車する形になり、後ろの車が誤解する可能性があるのであまり良くない。右折車側で直進車の前を横切る際には一時停止に近いほどまで減速して確認するしかないと思う。進路を譲る立場の直進車は、そのように慎重なドライバーに対して良いドライバーだとは思っても「早く行け」などと思うことはないだろうから、落ち着いて運転することが大切だ。
片側が2車線以上ある場合で複数車線の車を止めてしまうことになったり、右折待ちをすることで後ろに渋滞を作ってしまうといったプレッシャーのかかる要素がある場合には、はじめから右折横断を回避する方法も考えたい。

2010年8月3日火曜日

勝ち負けなんて発想はいいかげん飽きた

野球やサッカーといったスポーツには特定の選手やチームを熱く応援をしているファンと呼ばれる方々がいる。特定の選手やチームを応援することでスポーツ観戦は特別おもしろくなる。
しかし、対戦相手は、何か悪いことをしたわけでも、懲らしめないといけないような理由があるわけでもない。どちらも一生懸命スポーツをプレイしているだけだ。応援しているチームが勝ったり負けたからといって生活に影響するような人達も多くないだろう。それで意味がないからといって、冷めた気持ちでスポーツを観戦していたのではつまらないだろうし、身も蓋もない。

道路交通においても、勝った負けたという競争意識を持つ人がいるようだ。交通は移動手段であり、何かを争っているわけでもスポーツをしているわけでもなく、スポーツ観戦のように熱くなる必要はない。交通において大抵の人にとっては何かに勝ったとか負けたということは重要ではないし、おもしろいとも思わない。
だが、意味がないことでも、人間に感情というものがあることを理解できないわけではない。人間には本能的に他者より優位に立ちたいという闘争本能のようなものがあるのかもしれないし、それが満たされたときに快感を感じることもあるだろう。

人間は本能のみで生きている生物ではない。本能は人間の重要な基本的要素だが、社会を構成するようになると本能を超えた知性が必要になる。ある程度、物事を考えられるようになると、こだわり過ぎることや、意地を張りすぎること、勝ち負けという感情が実益を持たないことがあることを学習するようになる。

ハンドルさばきや、高速なコーナリングといった運転能力に係わらず、実力というものは努力の上に習得できるものだ。生まれながらに特殊な能力を持った人間は稀であろうし、そうした人間がいたとしたなら才能と引き換えに何かを失っているものである。
失敗や練習を繰り返して獲得したものでなければ、確かなものとはならない。何のトレーニングも積んでいない素人同士が小競り合いをしていても見苦しいだけで、お笑いにもならない。
実力は修練があって備わり、真に実力がついたとき、確実に勝てる相手になど関心すらなくなる。

ありふれた競争意識のようなものにはいいかげん飽きた。
その場の感情を満たすことが目的の勝ち負けなど不毛なだけで、それを超えた先には空虚しかない。

2010年8月2日月曜日

渋滞で何回にも分けて止まられると疲れる

渋滞の原因は様々だが、先頭付近がボトルネックになることで起こる。渋滞の先頭付近は遅いながらも流れているだろうが、後方になればなるほどほとんど動かなくなる。動かなくなるほどの渋滞にハマってしまったら、あきらめて腹をくくってしまったほうが気が楽だ。

渋滞で辛いのは進むでも、止まるでもなく、運転から開放されないことだ。特に高速道路の渋滞では、微速で前進し続けることも少なくなく、前の車に追突することがないようにずっと見張っていなければならない。
信号等による渋滞であれば、ちょっとずつ進んだり、止まったりを繰り返すことが多く、休むタイミングがあるだけそちらの方がまだ楽かもしれない。
渋滞は加速と低速巡航と減速、停止をひたすら繰り返す。加速ではブレーキを放し、クリープか、アクセルを踏む、速度を維持し、前の車と適切な車間距離を保ちつつ、前の車が停止すれば、それに合わせて狙った位置に止まるようブレーキ等をコントロールする。何十回とたいしてつまらない作業の繰り返しになる。簡単なこととはいえ、何回もやっていれば疲れてもくる。
こうした中、一回でこの処理ができるものを2回にも3回にも分けて詰められたり、パッと行ってパッと止まれば一瞬なのに微速前進で時間をかけて詰められたり、いったんは止まってしばらくは休めるかと思ったら、また数メートルだけ前に進んだりと、わざわざ疲れることをされることがあって、そうした時に少ない前進であれば放っておいて、後からまとめて詰めるようにすることもできるが、後ろの車がそうした考え方でないドライバーの場合、2つ前の車が前進したのを見ていて、後の車が詰めてくることがある。それも放っておけば良いのだが、察しが悪いドライバーならクラクションを鳴らすこともある。
渋滞の全体的な長さを短くすることを目的とするために、必要以上の車間を空けておかない方が良いが、一回で行けるものを何回にも分けるというのはそれとは別の話である。こまめに詰めないという意味ではなく、一回でやったらいいことを何回にも分ける必要はない。

ただし、合流している渋滞の先頭付近まで迫ってきた場合は、そうも言っていられなくなるほど頻繁に発進と停止を繰り返すことになるので、細かな操作も必要になる。

合流で渋滞する場合というのは車線減少するようなところもそうで、減少する側の車線から減少しない側の車線に進路変更が必要とされる。こうしたところではファスナー合流で交互に合流していくのが普通だ。
減少する側の車線というのは比較的速く流れていることが多い。渋滞で並んでいる車を横目に、わざと速い方の車線を走り、合流点ではファスナー合流で入れてくれる親切を受けようなんて考える人がいるかどうか分からないが、道の先で車線減少することを知らない人がいたならば、あらかじめ車線変更しておくこともできないし、途中で渋滞の列に割って入るのも難しくなって仕方なく減少する車線を走り続けているということもありえる。
仕方なくそうなったのか、わざとそうしたのか区別はつきようもないが、合流時にそうした車を入れないよう意地悪しない方が差し障りないし、結局、それでも何台か後ろには車線変更できるだろうから効果は限定的だろう。