2010年8月11日水曜日

煽り運転を正しいと思っている

人は誰でも自分のしていることが正しいと思っている。そうでなければ自己破綻することになる。
煽り運転をするドライバーもまた、自分のしていることが正しいと信じているのだ。

道路交通において制限速度が守られていない実態がある。良し悪しは別にして現実的に制限速度がまったく守られていない。
だが、警察は明らかな速度違反でなければ取り締まらない。1km/hでもオーバーすれば即取り締まりになるというのなら状況が少しは変わるかもしれないが、下り坂等でうっかり制限速度を超えることがあるかもしれないし、速度計に誤差もあるだろうから、厳密に取り締まるのは厳しすぎる面がある。取り締まり対象速度には猶予があるのだ。この手のグレーゾーンの存在は建て前の好きな日本人らしい。
こうしたことが誤解を生む原因になっている。誰もがその安全マージンを使って速度違反をしてしまい、それが当たり前だと考えるようになるのだ。終いには制限速度が間違っていると言い出したり、速度違反をしない車が間違っているという思想にまでたどり着く。

煽り運転をするドライバーは、99.9%速度違反をしており、それを目的としているから煽り運転をしなければならなくなる。
制限速度50km/hの道路において、多くの車が70km/hで走行しているとしたら、それがそこの交通の流れであると考え、それ以下の速度で走行する車は迷惑行為とみなすようになる。円滑な流れを阻害する邪魔な交通は煽り運転で強制排除することが、自分や他の交通を含めた全体の利益になると考えるわけである。嫌われ役をかって出ているつもりにすら思うのだろう。

周囲の流れに乗ることの重要性を主張する人もいるが、制限速度を超えて走行することを正当化できるものではない。速度違反の流れが出来ていたとしたなら、それを絶ち切って正しい制限内の速度に改善するのが本来、まっとうなことである。「赤信号みんなで渡れば怖くない」的な言い分で速度違反を望むとしても、他人に対して違反速度をゴリ押しすることや、法を順守する人間を不当扱いするわけにはいかない。
速度違反の流れがあって、それを制限内の速度に修正する行為への解釈は、真っ向から意見が分かれると思う。違反速度で流れているのであれば、正しい速度になるように改めるは当然のことであるともいえるし、一方、せっかく速い速度で流れているものを遅い車がブロックしているようにとらえるかもしれない。

例えば制限速度を守る車が警察車両や、あるいは暴力団員の運転する車であったなら、いつも煽り運転をするドライバーも行動が変わるのではないだろうか。煽り運転は車間距離不保持違反であり、危険行為であることと、なにより前を走行する車のドライバーに強い不快感を与える。そのことを煽り運転するドライバー自身がよく分かっているから、相手によって行動が変わるのである。

制限速度を守って運転するドライバーと、それを悪人や迷惑行為であるとして嫌がらせをするドライバーがいたら、本当に悪人で迷惑なのはどちらだろうか。

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