2010年10月26日火曜日

交差点を曲がった後ぐずぐず遅い

以前、合流してからすぐに加速しない車のことについて記事を書いたが、それは交差点で曲がる場合にも言える。
交差点で曲がるために低速になるとしても、曲がりきって直進になったなら速やかに加速して、交差点からとっとと離脱するのがよい。すぐに加速しなければ、後ろに続く車が次々と曲がって来られないからだ。信号が青になっている時間も限られているから、可能な限り多くの車が曲がれるように、前の車に続いててきぱきと曲がっていくのがよい。

デパート等にあるエスカレーターでも、上がり切って降りたところで立ち止まって、さてどこに歩こうかなどと考えていては、後ろから上がってくる人達は行き場を失う。エスカレーターから降りたなら何はともあれさっさと前に進んで欲しいのである。

交差点を出てからではなく、交差点で曲がり終えながら加速していくのが理想的だ。ちょうどワインディングでスローインファーストアウト走行するようなイメージかもしれない。曲がりきってからさて加速をどうするか、ではなく、曲がりながら次の加速のことを考えているような運転の進め方だ。

実際は、交差点を曲がった先に横断歩道があることもあるし、前の車が急ブレーキを踏むことや、それ以外のことが起こることも考えておかなければならない。あくまで車間距離をとり、注意深く運転した上で、速やかに曲がっていく。一般の道路交通における運転技術の発揮される場面というのはこういうところこそなのだ。

2010年10月21日木曜日

高級車に乗る低級人

高級車と呼ばれるカテゴリーの車がある。装備が充実していたり、エンジンが高出力であったりして、価格の高い車だ。
過剰な性能の車を所有するというのはひとつのステータスのように考えられるのかもしれない。例えば、ピラミッドや古墳といった権力の象徴を表すようなものと同じで、どこかの社長さんが使う車であったりとか、ファッションではなくブランドを追い求めるような衣類の選択をする人達と同じようなものかもしれない。
車をツールとしてとらえている私にとって、そうした考え方にはズレを感じるが、それは価値観の違いであるということで片付ければ良い。

具体的な車種名を挙げて申し訳ないが、高級な種類の車のひとつにトヨタ製のセルシオというのがあって、どうもこの車は印象が良くない。この車の所有者すべてを一括りにするつもりはないが、このタイプの車は運転が上手でないドライバーを見かけることが稀にある。以前の記事にも書いたが、私が言う運転がうまいというのは、他人より速く走ることでも、手際が良いことでもない。自分以外の人間が楽になる運転方法のことを運転がうまいと言っている。
いや、実際は山道で極端に遅いという単純な運転能力に起因した問題のあるドライバーというのも見たことがあるが、それはこの車種に限らずあることだろう。そういう直接的な運転能力は人間的な欠陥ではないし、ある意味仕方ない面もある。

もっと正直に言おう、運転が上手でないというよりはある種の異常に近い行動をしていることがあるのだ。
頻繁な車線変更をしていたり、手際の悪い車に対し(おそらく威圧することを目的として)数十秒間に渡ってクラクションを鳴らしっぱなしにしたりするよう行動だ。
落ち着きのない不自然な動きをしているので、傍から見ていても分かりやすい。

何度か、こうした車を所有する人間と触れる機会があるが、人としてもやや違うものがあるのではないかと思えることがある。一見、異常者には見えないのだが、思想の根っこの部分で違和感を感じることがある。

どんな高級な車に乗っていようと、運転者が下手であれば、それに合った動きしかできない。
高級な車に乗っていても中に乗っている人間が低級なら、低級な性能しか発揮できないのだ。

2010年10月20日水曜日

ウィンカーを出しておかず、足を引っ張り合うドライバー達

ありがちなのが信号待ちでウインカーを出しておかない車。
赤信号で待っているときにウィンカーをつけたままにしておくと、カッチン、カッチンうるさいということは分かるのだが、他の車がどちらに曲がるか分かることが、運転における有効な情報のひとつになる場合があるので、ウィンカーをつけたままにしておくのが望ましい。
特に最後尾に停車する場合に意味のあることが多いが、それに限らず、信号待ちの最前列や途中で停車している場合でも、他の車にとって意味を持つ情報になることがある。

複数車線に分かれていて進行方向別通行区分があるような交差点では、信号待ちの最後尾につけるときウィンカーをつけるか、後ろに車が来ていない場合は、つけたままにしておくと後ろの車にとってその後の行動を決定する助けになる。
片側二車線の道路で、前を走る車が右折の合図を出さない時、後ろについた車は前の車が直進するものだと信じてついてきているとしたら、交差点直前になって前の車が突然右折の合図を出したとしても、後ろの車はすぐに左に回避できない可能性がある。十分に前もって右折の合図を出しておけば、後ろの車にも対処のしようがあったかもしれないが、交差点直前になってしまっては、その猶予も得られなくなる。後ろの車にとってみれば、前の車がウィンカーを出していれば何でもないことなのに、むやみにスムーズさを潰す行動に対してストレスを感じることもあるだろう。

片側二車線の道路を直進するために運転しているのを想像したとき、頻繁に右左折する車がいてそのたびに直進の交通を減速させ、それがウインカーを出さなかったり、道路端に寄せることをしないで、必要以上に直進車の手間をかけさせているとしたら、文句のひとつもでてしまいそうだ。
通常は向かう目的地があって車を運転しているのであろうから、道を曲がらなければならないことがあるのは仕方ない。だが、その行動にあたって、他の交通を故意に妨害をする必要まではない。

右左折するなら、早めの合図を出し、左折するなら道路の左端に、右折するなら右端に寄せる。右や左の車線に移動するという意味ではない。左または右の車線の中で左端や右端に寄せるという意味である。なんなら路側帯内や道路端の白線を越えるほど端に寄せてもよい。
そのようにして、なるべく大きく空間を開けるようにすれば、直進車の通過にとってありがたいことになるだろう。

2010年10月12日火曜日

手動車が自動車に変わるとき

“自動”車といっても自動車は自動で走ってくれるわけではなく手動で運転するものだ。そういう意味で言うと自動車ではなく“手動”車が正しいのではないか。というようなつまらない突っ込みはともかく、最近のニュースでgoogleが自動で運転する本当の自動車を研究しているらしいというのがあった。プリウスを改造した実験車で、地図とセンサーを組み合わせて交通状況を把握しながらコンピュータ制御によって自動走行するらしい。

自動運転というと、人間が自動車を運転するスタイルをそのままロボットに置き換えたイメージで考える人がいるかもしれない。たとえばカメラで捕らえた映像を解析して、周囲の状況を把握しながら自動運転するようなイメージだ。しかし、そうしたやり方はかなり難しいのではないかと思う。もっと違う発想も必要なように思う。
例えば、道なりに走る方法としては、GPSに精度と信頼性があれば、不可能ではないかもしれない。また地面に磁気を利用した目印を埋め込むような方法も考えられるだろう。速度やルートの制御は周囲を見て行うのではなく、他の交通も含めて指令センターで集中管理されている情報から最適な選択が行われる。目の前に他の車が見えるから減速するのではなく、指令センターで前方に交通があることを把握していて、それらの交通を踏まえた計算結果の元、速度の制御を指令され、自動的に速度が変化するわけである。
すべての車が完全な自動運転になった世界では、交差点ではコンピュータによって計算されたタイミングで車がすれ違うことができるから、もはや信号機は必要なくなる。そればかりか視覚で運転しているのでなければ道路標識や道路標示すら不要だ。
人間はただ目的地を入力して寝ていれば勝手に車がそこまで行ってくれる。夢のような話だ。

実際は自動運転可能ルートを外れた場所では手動運転が必要になるだろうし、人間が運転する自動車が混在していたり、バイクがあったり、歩行者や自転車のこともある。技術的なこと以外にも法的な問題や様々なことがあってハードルは高い。

なぜ、このような自動運転に興味を持つかというと、運転する煩わしさから開放されるからである。
自動車の運転そのものが楽しいという人もいるだろうが、何か目的を持って移動している人には、運転行為自体は必ずしも重要ではない。
もちろん、運転の煩わしさを感じる理由は、運転マナーの悪さが原因だ。
だから、そうしたストレスを感じない世界が魅力的に感じたりする。

2010年10月6日水曜日

カーブで速く、直線で適切な速度の車を発見

通常、標識や標示によって最高速度が制限されている場所が多いが、標識や表示によって制限速度が指定されていないところでは、法定速度の60km/hが最高速度となる。そうした法定速度で走行可能な道路は急カーブの多い山道に多い。もともと高速走行が難しいため、あえて制限する必要がないのだろう。だが、上手に運転すれば、結構60km/h近い速度で走行することが可能なところもある(60km/hすら超えて走行可能な場合もあるが、それは違法なためここでやって良いとは言えない)。

山道は短い直線と急カーブが繰り返しやってくる。直線でアクセルを踏み込み、カーブが来れば強いブレーキを踏むことを繰り返すような運転をすれば、もっとも速く走行できるが、そのような運転方法は直線で稼いだ速度のエネルギーをカーブが来るたびにブレーキで捨てることになるので燃費が良くない。またアクセルとブレーキの強い操作が多くなることで車の負担も大きく、運転操作も疲れる。山道ではカーブと直線がある以上、ある程度のアクセルとブレーキ操作が必要になるのは仕方ないが、なるべく最小限に抑えたい。
カーブと直線での速度差を少なくして運転していて、後ろについてくる車があった時、そうした車の挙動を見ていると、カーブで引き離された後、直線で追いついてくることが多い。つまり、まっすぐな道だけが速い直線番長なのだが、直線で追い付いてきた後、車間距離を詰めるようなことをしたりするドライバーもいる。直線部分はアクセルを踏むだけなので、どんなへたくそでも速度を出せるだろうが、どうせ次に来るカーブで急減速して速度を捨てなければならない。そのような車はカーブで必要以上に減速しているのだから、直線になったところで一生懸命アクセルを踏み込んで追い付いてきているのではないかと思う。

先日、法定速度で走行可能な山道を運転していたとき、前に小型の軽自動車が走行しはじめたことがあった。車種はなんというのか分からないが車の高さが低めで、軽自動車とはいえ比較的、走行性能が良い種類のものかもしれない。
その車はカーブでの減速が少なく、直線で特別な加速をしているわけではないのに、どんどん離されていく。無理について行こうと思うとこちらのスムーズな運転を維持できなくなるため、そんなことはしないが、珍しく軽自動車でも速い車があるものだと思った。というよりは、むしろどのような車でも結局ドライバー次第だということだろう。
山道を終え、見通しの良い制限速度40km/hの直線道路に出たところで、数百メートル前方にその車が見えたのだが、こちらは制限速度のことがあるので、直線だからといって取り締まり対象になるような速度は出さない。こっちはそうした速度のリミットを持って運転していて、その車は今まで速かったことから、これから車間距離がますます広がるかとも思ったが、そうでもなく、車間距離はほぼ変わらない。どうやら、本当に運転のうまいドライバーらしい。制限速度をほぼ守りつつ、限られた範囲で最大限の高速走行をしているわけである。
直線だけは制限速度無視で走り、カーブになると制限速度に余裕があっても過剰に遅くなるようなドライバーとはまったく逆の話で、その車は誰でも速度を出せる直線でも制限速度があれば意図した速度を維持でき、制限速度の甘い山道では、そのことを活用して十分な速度で走る腕をもっているのだ。
しばらく進んだ後、その車は信号のある交差点にさしかかったところで右折していったが、そこでの合図の出し方、赤信号で停止線の手前に止まっている姿、発進のタイミングや右折の仕方を見ていても、たまたまではなく真に運転のうまいドライバーであることを確信した。