2010年10月21日木曜日

高級車に乗る低級人

高級車と呼ばれるカテゴリーの車がある。装備が充実していたり、エンジンが高出力であったりして、価格の高い車だ。
過剰な性能の車を所有するというのはひとつのステータスのように考えられるのかもしれない。例えば、ピラミッドや古墳といった権力の象徴を表すようなものと同じで、どこかの社長さんが使う車であったりとか、ファッションではなくブランドを追い求めるような衣類の選択をする人達と同じようなものかもしれない。
車をツールとしてとらえている私にとって、そうした考え方にはズレを感じるが、それは価値観の違いであるということで片付ければ良い。

具体的な車種名を挙げて申し訳ないが、高級な種類の車のひとつにトヨタ製のセルシオというのがあって、どうもこの車は印象が良くない。この車の所有者すべてを一括りにするつもりはないが、このタイプの車は運転が上手でないドライバーを見かけることが稀にある。以前の記事にも書いたが、私が言う運転がうまいというのは、他人より速く走ることでも、手際が良いことでもない。自分以外の人間が楽になる運転方法のことを運転がうまいと言っている。
いや、実際は山道で極端に遅いという単純な運転能力に起因した問題のあるドライバーというのも見たことがあるが、それはこの車種に限らずあることだろう。そういう直接的な運転能力は人間的な欠陥ではないし、ある意味仕方ない面もある。

もっと正直に言おう、運転が上手でないというよりはある種の異常に近い行動をしていることがあるのだ。
頻繁な車線変更をしていたり、手際の悪い車に対し(おそらく威圧することを目的として)数十秒間に渡ってクラクションを鳴らしっぱなしにしたりするよう行動だ。
落ち着きのない不自然な動きをしているので、傍から見ていても分かりやすい。

何度か、こうした車を所有する人間と触れる機会があるが、人としてもやや違うものがあるのではないかと思えることがある。一見、異常者には見えないのだが、思想の根っこの部分で違和感を感じることがある。

どんな高級な車に乗っていようと、運転者が下手であれば、それに合った動きしかできない。
高級な車に乗っていても中に乗っている人間が低級なら、低級な性能しか発揮できないのだ。

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