2010年6月25日金曜日

煽り運転をする人物像

煽り運転をするドライバーというのはどんな人物か。
見るからにチンピラっぽい容姿のドライバーや、燃費の悪い車に乗っているドライバー、ドレスアップしている車は分かりやすいが、実際はそれにとどまらない。
普通のおじさんやサラリーマン風の兄ちゃん、おばさん、若い女性等、様々だ。
そうした煽り運転をするドライバーだって、勘違いしているだけのことであって普段は普通の人かもしれないのだが、ルームミラーで顔を見ていると、何故か賢そうには見えない。

おじさんだったら、終始セカセカとせっかちに動いていて、落ち着きのない本能で行動しているような人。
サラリーマン風の兄ちゃんなら、少し話すと支離滅裂な思いつきのようなことを言う人。
おばさんなら、第一次産業に従事し、軽自動車か小型車を自ら運転していて、普段、周りから男勝りと言われて調子に乗っている人。
若い女性なら、自分の意見がなく、正しいことの基準が周囲がしているかどうか。詰将棋で2手以上先が考えられない人。
これらは、私自身によるとんでもない偏見だが、たぶん私が考えるある種の人物像。例えば激しく勘違いをしていたり、思考することを放棄しているような人達の代表例なのだろう。

そういう私も出来た人間ではないので、自分の良くないところに気がつく度に修正しているのだが、そうした経験の中でこれに近いものと言えば、タバコをやめた時に、他のタバコを吸っている人達への見え方や、ダイエットで減量した後に、まだ太っている人達への見え方がある。
タバコという害ばかりのものを、コミュニケーションの道具になるだの、気分転換になるだのと、弱い自分に言い訳して吸い続けていることが愚かだと知っているのだ。ダイエットするなら消費カロリー以上に食べなければいいだけのことなのに、快楽に走っている弱い人間だということを知っているのだ。
煽り運転のことも分かっているから、そのような行為をする人間がとろく見えるのだろう。

2010年6月24日木曜日

回避は逆をつけ

車を運転中に原付バイクが前を走っており、そのバイクが右折の合図を出したとする。そのバイクが右折のため減速するので、回避したいとしたら、どのようにするか。
1.減速する原付バイクの右側を通過する。
2.減速する原付バイクの左側を通過する。
3.原付バイクの後ろで待つ。

3を選んだあなたは正解だが、それでは話が進まないのでここでは1よりは2の方が良いということで話を続ける。
右へ行こうとする者の右側に出る、あるいは左へ行こうとする者の左側に出ることは、進路がクロスするため、混乱を招くのが目に見えている。原付バイクが右折の合図を出す時はその右へ並んだり、追い越しをしてはならない。原付が右に寄って左側が開いているのであれば、左側から追い抜く方が、はるかに安全である。
これはなにも右折のときだけでなく、左折のときもそうだし、相手が歩行者であれ、車であれ、動物であっても同じことが言える。

もうひとつ例を挙げたい。目の前を右から左に向かって横断する自転車が現れたとしよう。自転車はまだ自分の車の右側にいるとする。このとき車で自転車を左右どちらかに回避したいとしたら、加速して自転車の前になる左側を抜ける方法と、減速して自転車の後ろになる右側を抜ける方法がある。こういうとき自転車の前を先に横切ろうとスケベ心を出すと、かえってややこしいことになる。

左右だけでなく前後でも似たようなことが言える。
片側2車線以上の道で、2台の車が並走していたとする。隣の車線に進路変更したいが、並走しているためそれができない。
このような状況では減速して隣の車の後ろに入るのが基本であるが、自車に対して隣の車が相対的に減速している場合は、その逆をつくという方法もある。隣の車が加速している場合は普通に減速してその後ろを選べば良いが、隣の車が減速しているならば加速して前を選ぶ方法もある。
いったん減速を始めるとアクセルを踏んで再加速を始めるまでどうしてもタイムラグが生じるので、減速しかかった車の前方に出るのは容易い。
このことは裏を返せば加減速している車の前後に進路変更する場合に気を付けたいことでもある。加速している車の前に入ったり、減速している車の後ろに進路変更することは無理な格好になりやすい。

左に行こうとする者と同じ左に、右に行こうとする者と同じ右に入り込んで交通をギクシャクさせるのは、力んだり、前のめりなドライバーに多い。余裕をもっていないことで、交通の動きを読めず、その瞬間の位置関係だけで判断するからだ。

2010年6月23日水曜日

事故渋滞に人間の低能ぶりを知る

渋滞の原因のひとつとして事故がある。
事故が起こることで道路の一部が使えなくなることで流れが悪くなるが、一番大きいのはその事故を見るために減速することである。
高速道路では事故を見るために関係のない対向車線でも渋滞することがある。

ハマったことがある方は分かると思うが、事故渋滞は距離が長くなって、しかもなかなか動かない。ようやく事故現場を通過すれば、嘘のように普通の流れに戻る。
事故現場に到達するのに何十分もかかり、事故現場を通過するのはほんの一瞬だ。渋滞によって被るデメリットと、事故を見物するメリット?を比べたら、まったく割に合わない。事故の見物による渋滞の被害を被っていれば、いざ自分が事故現場を通過するときには、目もくれずさっさと通過するのかというと、それでも事故現場で停止に近いほどまで減速する車が多い。
見物する車のために渋滞になって、そのシワ寄せを食わされても、自分が事故現場を通過するときは、その後に続く渋滞のことなど考えず、やっぱり同じように見物するのだ。

水槽に上から水道の水をジャバジャバ注ぎ、下からはポタポタとしか水を流さない状態になっているのである。チョロチョロではない。ポタポタだ。事故処理が終了するまで現場は強力なボトルネックになり、延々と渋滞は伸び続ける。

もちろん、事故現場では破片が散乱していたり、処理にあたる人も居るので安全な速度で通過することにはなる。
だが、そのレベルをはるか超える減速のことを言っているのである。一番事故が見える好位置でほぼ停止するかのような速度を数メートルにわたって維持する必要なんてあるわけがない。

他人の不幸を対岸の火事のように見ている姿からは、自己中心的な考え方や人の醜さ、愚かさというものを改めて認識できる。

2010年6月22日火曜日

駐車場のマナー

スーパーやデパートをはじめ、買い物に車で出かけると、店舗の駐車場に車を停める機会がある。
そうした場所でも、ちょっとした注意点がある。

ジャスコとかダイエーとか、大規模な店舗では数百台という規模の駐車場がある。
警備員さんによる誘導があればよいが、そうでない場合には地面の矢印に従う。たとえ遠回りになっても、矢印を逆走するのはやめた方がいい。万一逆走すると判断してそれを実行するなら、自分のしていることに自覚を持ち、それなりの覚悟をしておいてもらいたい。そうそう事故にはならないだろうが、約束が果たされないとき、混乱は簡単に起こる。いらぬことの原因が誰にあるかは明白だ。

混雑している場合には、先に入った車はなるべく駐車場の奥へ向かうようにする。途中で停めるところを探してノロノロ運転していては、後ろの車すべてがそれに付き合わされる。
たとえ混雑していても、奥の方は大抵ガラガラだ。店舗の入口が少し遠くなるかもしれないが、どれほどの違いも無い。同乗者がいるなら歩いている時間は良いコミュニケーションの機会になるし、ひとりだとしても運動になると考えれば良い。少しでも歩行距離を減らそうとノロノロ運転で入口付近の駐車場所を探す車の中から、肥満体のドライバーや同乗者が出てきたら、こんな分かりやすい話はない。

だが、前の車がノロノロ遅いからといって車間距離を詰めてはならない。そうした車は駐車場所を探しているのだから、スペースを見つけたら、バックして駐車しようとする。その時、後ろに車間距離が無かったら、バックできない。その車の後方の車間感覚もどうか分からないから、少し余裕をもった車間距離を開けておきたい。

駐車スペースを見つけたら、なるべくなら一回で入れることを目指したい。別に何回か出し入れしてもいいのだが、クセにならにようにするためだ。
また、駐車スペースには車を押し入れるのではなく、引き込むつもりで運転する。アクセルを踏んでスペースに押し込むのではなく、車がスペースに入るのを待つような感覚だ。動きだしたら、後は慣性で動き続けるかのように速度を維持し、ハンドルで車の進路をコントロールして、スペースに収める。繰り返しエンジンがウォン、ウォンと音を発しながらバックしていたら、他人からは見ていられないような酷い運転になっているかもしれない。

スーパーで見かける家族の中には、店から出る前に父が先に駐車場から店舗の出口まで車を廻して待っていることがある。それで通路を狭く、見通しを悪くし、スムーズな流れを阻害することもある。
体に障害がある場合や、年齢のこともあるから、あまり厳しいことは言えないが、基本的にはマナー違反だ。
奥さんや子供さんが元気なら、せっかくなので駐車場までの行程も会話や何気ない教育の機会として利用すれば良い。子供に身勝手でずぼらなところを見せてもいい教育効果があるとは思えない。

2010年6月21日月曜日

携帯サイトもあります

このサイト「運転マナーが悪い」のモバイル版もあります。
同じ記事をアップしていますので、時間があるときに携帯電話等からいつでも読むことができます。

以下のURLからアクセスしてください。
http://drvman.jpn.ph

2010年6月19日土曜日

左折はバイクを横に入れない

交差点で信号待ちをしているときなど、自動車の左側をバイクがすり抜けていくことがある。厳密にはバイクの道路交通法違反かもしれないが、今回はその件について言いたいのではない。

問題は左折する車の左側にもバイクが入ってくることである。
左折時に巻き込みの危険性があるのはすぐに分かるが、そんなことは滅多に起こらない。それよりも、バイクが直進するとしたら、左折の自動車と動線がクロスするため、どちらかが発進を遅らせる等の注意をしなければならなくなる。おそらくは自動車が譲ることになるだろうから、すぐに発進できない左折の自動車がしばらく左端の車線をブロックすることで、交通の流れを必要以上に悪くする。しかも左に寄せていないので、ほぼ車線全体を塞ぐことになる。

バイクが左側に入ってこられないようにするには、信号待ちでしっかり左端に寄せて停車すればよいだけである。
バイクはちょっとした隙間でも入ることができるので、十分に左に寄せておかなければ意味がない。隙間の幅は50cm以内が理想だろう。あいまいな間隔ではなく、明らかに入れないところまで寄せるようにすることが大切である。
その後は、左端に寄せているのをそのまま維持して左折する。右に膨らんではならない。

バイクを自分の車の前に出してあげようとか、バイクに対してなんらかの配慮をするために左端に寄せないようにした方がいいのではないかと考えるかもしれない。心配いらない、バイクは車の後ろにつくか、大きく開いている車の右側に出てくるだろう。右側に出てくる分には左折においてまったく障害にならない。バイクの立場としてもこの方がずっとありがたい。
バイクにやさしい気持ちは汲み取ったとしても、それ以外の存在も含めた交通全体を考えたとき、どうするのが良いかということである。

左折車が左端に寄せていれば、バイクだけでなく後方の直進する自動車にとっても左折車をかわしやすくなり、信号待ちをしているずっと後ろの車は左折車の存在に気づきやすくもなる。

自動車の運転手に側方感覚がなくて左端に寄せる能力がないとか、内輪差を異様に恐れていて左端に寄せたまま左折する方法を知らないというのであれば仕方ないところもあろうが、分かっていてできないとしたら、交差点での左折をアウトインアウトに近い曲がり方をする等、横着か運転が乱雑なのだ。だが、実は左端に寄せる方が、バイクへの心配がない分、負担が減って安全で楽なはずである。

2010年6月18日金曜日

枯葉マークを嫌がる高齢者

免許取得後1年を経過しない初心運転者は、車に初心運転者標識(初心者マーク・若葉マーク)を付けることが道路交通法により定められている。また70歳以上の運転者は高齢運転者標識(もみじマーク・シルバーマーク・枯葉マーク)を付ける。

もみじマークには何かと難癖がつけられている。特に枯葉マークとも言われ、人生の終焉を連想してしまうのか、評判が良くない。
そこで最近、警察庁が別のデザインのマークを4つ提案し、インターネット上でアンケートを実施している。今の枯葉マークのイメージが良くないので新しいデザインに変えようということだ。

ちょっと横道に逸れるが、国の社会保険制度に後期高齢者医療制度というのもあって、名前に後期とつくから、寿命が残り少ない死にかけのように聞こえて、それが気に入らないというのに近い話だ。こちらも長寿医療制度に名前を変えようとしている。こちらは純粋に名前の話かもしれないが、枯葉マークについて高齢者が本当に言いたいことは「そこまでもうろくしておらん」ではないだろうか。こうしたマークの存在自体が、高齢者を見下げたり、なめられたように感じるのであって、デザインや名前の問題ではないのではないか。

私はまだ死を目前とする状況ではないので、高齢者の気持ちを理解することはできないが、死が迫ってくる現実を直視できないということがあるのではないかと思ったりする。高齢者もなかなか頑固というか、いつまで経っても若いという気持ちなのだろう。
また、自動車による交通社会には独特の世界がある。それはこのサイトで取り上げている内容にも関連することだが、現実世界ならヒンシュクものであろうマナーの悪さが横行し、ちょっとでも人より先に出ようと、ドライバー同士で不毛な牽制をし合う。そうした中で枯葉マークを付けることは「私はヘタクソです」と看板を掲げて運転するようで、見くびられることになるのではと考えるかもしれない。場合によっては、自らが乱暴な運転をする際に、相手に何かを見透かされる気がするのかもしれない。
高齢者の気持ちとしては、運転も人生もベテランだ。保護される立場ではない。差別的取り扱いを受ける理由はない。衰えなどない。カッコ悪い・・・等々、他にも色々あるかもしれない。

一般的には高齢になるとともに肉体は衰退していく。それを自覚できれば良いのであるが、そうでないことも事故につながる原因となる。認知症による高速道路の逆走もそうだろう。認知症には自覚がないことが多いが、それだけにたちが悪い。高齢者といっても99%は元気であろうし、運転も上手だが、自覚がないことがあるからこそ、こうしたマークに効果があると判断されたのだと思う。

名称や格好なんて、どうでもいいことのように思えるが、人生何十年も生きてきた先輩でさえ、感情に支配されるのである。はからずもそのことで精神的には若いことを証明し、肉体とのギャップを見て取れる。

2010年6月17日木曜日

周りの流れに乗ってスピード違反

速度違反を正当化する理由でよく言われるのに、「周囲の流れに乗る」というのがある。
制限速度を守らなければならないだろうが、周囲の流れに乗って運転することも大切であるという主張だ。
では、周囲の流れに乗った結果、速度違反になる場合はどちらを優先すれば良いか?

もちろん、制限速度を超えてはならない。仮に違反速度で交通が流れているとしたら、先頭の車が速度違反をしているだけのことだ。

しかしながら「周囲の流れに乗る」ことで速度違反の取り締まり対策になることがあるかもしれない。
地元のドライバーはどこで取り締まりをしているかよく知っているから、危険な場所では速度を落とすだろう。平然と速度違反をしている車がいたら、どこが危険か分かっているからこそ、やっているのではないかと期待し、そうした車についていくという手を思いつく。

また、連なって走行している場合には、先頭の車が取り締まり対象になりやすいとも言われている。
警察官が「止まれ」の旗を持って立っているところで、一度にたくさんの車を停車させられないだろうし、警察官の人数、用意している机の数といった物理的制約がある。前方の車が止められれば、その影響でずっと後ろの車も減速することになるから、速度を測定している地点では違反車も減速してしまっていることがあるかもしれない。

これらのことから「周囲の流れに乗る」ことが仮に取り締まり対策に有効だとしても、あくまで速度違反を正当化できるわけではない。
「周囲の流れに乗る」のは取り締まりを回避したり、難しくすることを目的とすると主張するのであれば分かるが、「周囲の流れに乗る」ことが速度違反の弁明にはならない。
「みんなで協力して、取り締まりを難しくして、全体の流れが速くなるようにしよう。そうした空気を理解し合おう。」というのであれば、その内容が正しいか間違っているかは置いておいて、言いたいことは理解できる。
厳密に制限速度を守るとしたら、速度違反をしているような流れは断ち切って、正常な流れにするのが筋だ。それが気に食わないからといって、「周囲の流れに乗る」ことを理由として他人に速度違反を求めることはできない。

ご存知のように速度違反が常習化している実態がある。それを認めるし、私自身が制限速度を完全に守れている自信はない(というかここで明確に違法行為をしているとは言えない)。
だから、あまりにも厳格に制限速度を守られると、遅いと感じるのが正直なところだ。だが、それでもそれが本来、正しいのである。そうしたドライバーを周囲の流れに乗っていないといって迷惑がったり、間違いであるかのように言うのは、順序がおかしい。自分が違反速度で走行するための妨げになるとか、他の交通の迷惑になると考えるかもしれない。しかし、制限速度を守るというのが、道理から言えば正しいのである。
周囲の雰囲気を理解しろといっても、取り締まりのリスクを押しつけるわけにもいかないし、「制限速度を守る」という相手の主張は聞き入れず、「空気を読め」という自分の言いたいことだけ理解しろというのでは一方的だ。周囲の車が迷惑しているというのも証言のとりようがなく、仮に一時の勘違いはあっても冷静に考えればまともでないことに気づくであろう。制限速度を守る流れができているとしたら、それがそのときの周囲の流れである。速度違反の流れは正しく、速度違反でない流れは違うというのでは、都合が良すぎる。結局、速度違反のもっともらしい理屈をつけているだけだ。

ところで、「周囲の流れに乗る」ことで本当に取り締まり対策になるだろうか。
現状、そうした考え方が一般的に確立しているとは思えず、確実とは言えない。本当に効果があるなら考える余地もあるが、想像の域で、リスクを排除できない以上、私も運転免許を維持しなければならないし、余計な税金を納めたくない。なにより取り締まりにあうと、不快な思いをする。そうなるとせっかくの気分もぶち壊しだ。

2010年6月14日月曜日

煽り運転の的外れな倫理観

高速道路で走行車線を走行中、速度の遅い車に追いついたとき、追い越し車線を使って追い越しを始める。その追い越し中、後方に別の車が存在したとしたら、後方の車は追い越し中の車との間に当然、車間距離を確保しているだろう。
追い越し中の車が、走行車線の車と並走し、さらに追い越した後、左の走行車線に戻るわけだが、走行車線の車との車間距離を確保する必要があるため、しばらくの間は追い越し車線を走行する。走行車線の車との間に十分な距離を確保できたなら、走行車線に戻る。
ここで、追い越しを行っている車が走行車線の車と並走し、それを越えてすぐのところまで至った段階で、それまで車間距離を開けていた後方の車が追い越し中の車に対して煽り運転を始めることがある。つまり、走行車線の車の前に出たのなら、すぐに走行車線に戻れということであろう。しかし、十分に前方に出ないまま走行車線に戻れば、走行車線を走行中の車との車間距離を確保できないため、それはできようもない。無論、走行車線を走行中の車の直前に入り、一時的とはいえ何の非もない走行車線を走行中の車に、いらぬ危険性と不快感を与えることを引き換えにするのであれば、それも不可能ではない。
そもそも煽り運転に問題があることは言うまでもないが、こうした時、煽り運転をするドライバーは、いったんは追い越しを終えるのを待つという配慮をしているつもりなのかもしれない。ところが、詰めの甘いことに、走行車線で追い越される車への配慮が抜けているのだ。
前方の車が追い越し中であるから、煽り運転を一時的に留保しているという思考ロジック。皮肉なことに、煽り運転をすることで前方の車が不快な思いを持つことの認識を自明している。

煽り運転自体が、損得や価値、意味などない、その場の感情や感覚的なものであり、論理的に考える習慣がない人たちによるものであることは分かっている。だから、煽り運転をするドライバーに考え足りないことが多いのは当然のことと言えば当然ではあろう。

別のケースを挙げる。高速道路に限らず一般道路でもそうだが、先頭がゆっくり走る車だったとするとその後ろに車が連なることがある。先頭の車が右左折したり、進路変更することで、いなくなり、前方が空くことがある。それで、それまで2台目だった車が先頭に変わる。とたんに、その後ろの車が煽り運転を始めることがある。
つまりこういう事だ。先頭に遅い車がいたら2台目の車も遅くなるのは仕方なく、2台目の車に遅い原因があるとは認められない。先頭の車がいなくなったなら、2台目の車はもっと速く走ることができるようになったはずなのに、それでも遅いのであれば、今度は2台目だった車が遅い原因に変わる。前方の車が新たな遅い原因になることが判明したので、その後ろの車は排除するため煽り運転をする。

こうした煽り運転をする車は、自分のしていることが正しいと思ってやっている。場合によっては正義だとすら思っているかもしれない。
例えば、遅い車を排除することで、自分の後ろに続く車のためになると考えたりするのである。煽り運転をする行為こそ迷惑と思っても、それで遅い車を無理に止めてまで、前方に出ることを誰がありがたいと思うか。
また、遅い車に何かを分からせるという意図もあるかもしれない。おそらくそれは違法速度で走行するための主張であったり、違法速度で走行することが当たり前といった思い込みによるものである可能性があるが、それよりも、目論見に反し、何の啓蒙にもならない。感情的な制裁的手段で教育しようとしても、恨みや反発を食うだけである。

2010年6月11日金曜日

速度を維持できないドライバー

その場所の制限速度がいくらであるにせよ、現代の自動車であれば、制限速度+20km/h前後で走行する分には速度を維持したまま巡航できる。(このサイトは違法行為を推奨していないので、念のため書いておくが、実際は制限速度を超えてはならない。)ワインディングの急コーナーや直角に近い急なカーブでもなければ、始めから落とす必要のない程度の速度しかでていない。
単なる直線区間はもちろんだが、ちょっとしたカーブでも速度が上下するようなら何かがおかしいと考えて良い。速度が上下するたびに後ろの車との車間距離が変化し、後ろについている車は運転しにくいことこの上ない。

速度を落とすためにフットブレーキを使えばもちろんだが、エンジンブレーキでも、減速するたびに稼いだ速度を捨てることになる。
アクセル開度30%で50km/hを維持しているとして、ここでアクセル開度を29%に落とせば、ゆるやかに減速を始めることになる。この時、エンジンが車を押しているのではなく、エンジンは車輪に対するウェイトにしかならない。車はエンジンの回転抵抗を引きずって走っているわけである。それでいったん48km/hまで速度が落ちた後、再びアクセル開度31%で速度の回復を図れば、今度は車を押し出すために余計に力を使う。
加速で燃料を使い、作り出した速度を今度は車輪がエンジンを回すエネルギーとして捨てる。速度が波状に変化する運転をしていては、燃料を浪費するだけだ。
後ろについている車にしてみたら、そんなことにつきあわされるのは、たまったもんじゃないだろう。

速度を維持できないのはスピードメーターを見ていないことにも原因があるのではないかと思う。
コンマ何キロという微妙な速度を体感で分かるようになればいいだろうが、余程のことでもなければ無理な話である。数秒に一回はスピードメーターをチェックするようにしたい。年配の方であれば動態視力の低下もあって、スピードメーターを頻繁にチェックすることができないかどうか、私には分からないが、比較的暇な巡航中であれば、ほとんどの人は、余裕をもってチェックすることができるはずである。

スピードメーターがアナログ式なら、針と文字盤に書かれた目盛りを完全に一致させるようにする。針が目的の速度の目盛りを行ったり来たりするようでは運転が大雑把ということだ。
指先に力が入るか入らないか程度の微妙さでアクセルを操作しこまめに針の位置を維持する。
目盛りから針の太さ分もずれてしまったなら、速度を合わせ直すには、アクセルコントロールは大きなストロークを要するだろう。そのとき同乗してればエンジンのトーンがたびたび変化するため、雑な運転であることにすぐ気づく。

昔、アクセル操作を10段階だか、100段階だかで操作するという話を言っている人がいた。
アクセルにノッチは付いていないし、あったら邪魔だ。アクセルは段をつけて操作するものではなく、連続的に操作するものである。仮に100段階を想定したとして、ある速度を維持するのに、85段目だと速度が上がりはじめ、84段目だと速度が下がるとき、速度を維持するのにアクセルを85段目と84段目の間で行ったり来たりさせるつもりだろうか。

一般道路での走行というのは、たかだか速度を上げ下げする必要のない程度のものである。一般道路での巧みな運転というのは乱雑な運転ではなく緻密な運転のことなのだ。

2010年6月10日木曜日

右左折レーンは発生と同時に入る

進行方向別通行区分のある交差点で、左折や右折の専用レーンのある場合がある。
それまでは無かった車線が、交差点の直前で現れるような状況もある。中央分離帯のある道路で右折専用レーンが登場する場合が多いだろう。
そうしたところで、右左折するなら、なるべく右左折レーンが登場したと同時に進路変更したい。

専用レーンが登場し、しばらく進んでから進路変更しても構わないのだが、始めから分かっているのなら専用レーン登場と同時に入れば良いし、右左折する交差点は計画的に運転するようにしたい。万一、途中で進路変更を思いついた場合には、後方からの車に特別に注意が必要で、後ろの直進車に減速を強いる等の迷惑がかかる場合は、そのまま直進してしまう方法も考えたい。

また、直進レーンから右左折レーンに早めに入ることで、直進レーンでの減速をまったくか、ほとんどすることなく進路変更できる。これで右左折に無関係な後ろの直進車を減速に巻き込まずに済み、交通の流れからスムーズに離脱できる。

縞々の斜線がひかれた誘導帯がある場合は、誘導帯は理由なく踏まないようにしたいが、渋滞時等、交通の状況によってはこの部分も右左折のレーンとして利用できる。

2010年6月9日水曜日

ウインカーを出さない

運転マナーの最たる例のひとつだが、ウィンカー(方向指示器)を出さない、あるいは出しても遅い車がある。
理由にならないとはいえ、人と会話をしていたり、何かを考えていたのなら、ひとつふたつ忘れることもありえるかもしれない。だが、多くの場合、始めからウインカーを出すつもりなどないのではないかと思える。

車線変更するときも、車線を変更する前ではなく、車線変更すると同時に出す。まるで、合図を出すと、間を詰められるので、騙し討ちのようにして、素早く入らなければならないかのように。自分がそうだからといって、他人まで同じではない。もしも、分かっていないなら、騙されたと思って進路変更の3秒前に合図を出すようにしてみると良い。実際、間を詰めて入れなくする車というのは少数で、仮に、そうしたことをするドライバーがいたら、容姿等を見てみるとよい。いかにも分かりやすいスタイルだったりする。
左折する時にも、ブレーキで減速してから曲がる直前にウインカーを出す車がある。それでは、後ろの車はわけも分からず無理やり減速させられ、前の車が曲がることに備えることもできない。

ウィンカーはなんのために出すのか。警察にいちゃもんをつけられないように?万一事故になったときのアリバイ?

昔、ある人がウィンカーを真面目に出している車を指さして、小馬鹿にするような事を言っていたことがある。その時は何を言っているのやら意味が分からず、目が点になっていたのだが、ちょっとワルぐらいが粋などという発想なら、今の時代、冴えない。もっともその人は10代後半の子供だったので、そんなものかもしれない。

ウィンカーは他の交通に意思を伝えることに意味がある。進路変更する前やブレーキを踏む前に出してこそ役目を果たす。
ウィンカーは自分のためではなく、他人の運転の負担を減らせることが大きい。他人への心遣いをケチって、ウィンカーを出さずに突然曲がるようなことをすれば、他人には必要のないストレスと面倒をかけ、円滑な交通を阻害することになる。交通を共有するもの同士が邪魔をし合うことに努めても、何も満たされることはない。

2010年6月8日火曜日

制限速度50km/hの道路はブレーキ不要

一般道路の法定速度は60km/hだが、多くの場所で制限速度が設けられている。中でも40km/hと50km/hは多いように思う。
40km/hは道幅が少し狭かったり、急カーブや、交通量が多いところに見かける。50km/hになると、ほぼ障害となるものがない幹線道路等に多い。

50km/hの道路を走行していると、ブレーキ操作を必要としない。カーブが緩やかなため速度の調節が不要で、せいぜいアクセルを戻すエンジンブレーキだけで曲がれてしまう。実際はまずアクセルを戻す必要もない。
このことは、ひとつの基準としてみることができると思っている。
というのは制限速度50km/hの道路でブレーキ操作を必要とするなら、おそらく何かがおかしいと思われるからだ。
ブレーキを踏む原因のひとつとしては、速度が出過ぎていることが考えられる。例えば80km/h以上くらいになると、ちょっと強めのカーブではフットブレーキかエンジンブレーキが必要になるかもしれない。
あるいはカーブで過剰に減速している可能性や、曲がり方に問題があるかもしれない。
車種やそのときの車重等によっても変わるから一概に扱えないが、前を走っている車のブレーキランプが何度も点灯するようなら、あやしいサインと見ることができる。
そのまま前の車について走っていると、無駄に加減速が多かったり、制限速度も無関係の走りになることがある。
直線で過剰に加速し、カーブで過剰に減速するといった、燃料をドブに捨てるようなバカバカしい運転に付き合わされかねない。
アクセルとブレーキのコントロールも増え、余分に疲れる。ブレーキを必要とするほど、速度を上げているなら取締りのリスクもある。

ただし、50km/hの道路でも、まれに直角カーブのようなものもあるので、ブレーキが要らないと決めてかからないように注意したい。
50km/hの道路を走行しているときにフットブレーキとエンジンブレーキを使っていないか、今一度、自らの運転を点検してみると良い。

2010年6月7日月曜日

二輪車を見下す四輪車

どうもタイヤが4つ以上付いた車に乗っている人の中には、タイヤが2つの車、二輪車を軽んじている人がいるのではないかと思えるふしがある。車体のサイズか、排気量か、車体価格か、何が何だかよく分からないが、何かの優越感のようなものかもしれない。そうした気持ちが表面化する場面がある。

二輪車に対する車間距離もそうである。
3台の車が順番に走行していたとして、安全な車間距離が30メートルだとすれば、1台目と2台目の間は30メートル、2台目と3台目の間も30メートルでよい。
ここで、2台目がバイクだったとしたらどうだろうか。もちろん同じだと思うのだが、3台目のドライバーによっては2台目のバイクとの車間距離が短くなることがある。
このような状況を強いられる2台目のバイクはブレーキに注意する必要が生じ、後ろの車の動きの不審さから、無意味な追い越しをしてくることも視野に入れておかなければならない。二輪車としては無駄に神経を使うことになり、さぞかしうっとうしいことだろう。

車間距離だけでなく、横に並べる車もいる。しかもそうした車は右斜め後方につける。車はバイクがよく見える位置につけているつもりでも、バイクにとってはミラーに写らない死角である。
二輪車も進路変更時は目視で確認するし、ほとんどの場合、右後方に車が隠れていることを把握しているだろう。この時、二輪車は後方に加えて、側方の動きも制限され、さらなる神経を使った運転を余儀なくされる。
死角の確認は体や頭をひねって振り返る目視となる。億劫な気持ちではできない動作であり、一時的に前方視界を失うリスクがある。
二輪車の中でも特に原付バイクは教習所で目視の訓練を受けていないかもしれないし、二輪車の運転手のすべての人が、何もいないと思っている方向に対しても確実に目視をできるか分からない。道路の左の障害物を避けるとき、右に進路変更し、横に並ぶ車に接触するような光景もありえるだろう。
横に車がいることを分かっていても、左から不意な飛び出しがあれば、バイクに逃げ場はない。

さらに、後ろに近づくだけでも、横に並ぶだけでもなく、前が詰まっている渋滞に近いようなときにまで、バイクの横から前に出ようとする車もある。
バイクが、渋々車を前に出したとしても、ただ、順序が入れ替わるだけのことである。バイクの後ろにその車が続くか、その車の後ろにバイクが続くかの違いしかない。
必要ないことにバイクが付き合わされるだけで、バイクにとっては迷惑なだけだ。

2010年6月6日日曜日

道路に面した施設から出るとき横に並べる

ガソリンスタンドは道路に面していて、車の出入りがしやすいように大きく開いている。道路に出入する際には地面に書かれた誘導に従って移動するか、ガソリンスタンドの従業員がいれば、誘導に従って出入りするが、最近多いセルフ式では、従業員によるサービスはない。誰かの誘導がないと、とたんに無法状態に変わる。
ガソリンスタンドから道路に出ようとする車がいた場合、その車の後ろに並ぶのではなく、横につけようとする車がいる。左折する車の右で右折待ちをするのであれば、まだ分かるのだが、左折車が2台並ぶ格好になるのだ。
最初から左にいる車は、左寄りに止めることで、右折する車が来たとき自分の右へ停められるように空けているかもしれないのだが、そんなことはお構いなしである。
こうした車は、左にいる車の意図や気持ちを汲み取るとか、察しが悪いとかそういう次元ではない。というのは、案の定、そうした車は左にいる車より前に突き出して止まり、左の車が右から来る車の切れ目を見えなくしてしまうのだ。
左の車は切れ目を確認できなくなるので発進することができなくなり、必然的に右側から出る車の出発を待つことを余儀なくされる。
視界を塞いで先に出る車は、うまく出し抜いたつもりかもしれないが、人の良さにつけこんでいるだけである。

この場合に、右折待ちで右に止める場合も注意が必要である。前に出過ぎれば左に止まって待っている車の右側の視界を塞ぐことになる。左の車の視界を妨げないところに止めたら、次に車を動かすのは流れが途切れて、発進する時だ。あやふやにずるずる前に進めば、そのうち左の車の視界を奪うのは言うまでもない。

2010年6月4日金曜日

日曜日の夕方が危ない

世間では土曜日と日曜日に休みの人が多いと思うが、日曜日の夕方は間もなく休日も終わり、明日からの仕事や学校のことを考え始める時間帯である。車を運転するドライバーは早く家に帰って、夕食を食べ、風呂に入って、早く寝たいと思うだろう。
日曜日の夕方は、どんよりとした気だるい空気が流れる時間帯である。
休日はサンデードライバーといって、普段運転しないドライバーが混ざっている。
さらに、土曜日、日曜日の2日間、交通戦争の中で車に乗ってきて、運転操作が荒くなっているかもしれない。
夕食の買い物で渋滞もあるし、遊んだ疲れもあるだろう。
事故になりやすい環境が揃っている。

万一、事故に巻き込まれれば、その休日は最低の結果で締めくくることとなり、事故処理のことまで考えると気が重い。翌日からは保険会社や自動車修理工場との連絡等、余計な仕事も増える。

実際、私は日曜日の夕方に事故を見ることが多いように思う。
日曜日の夕方は気を引き締めて慎重に運転したい。
横着をせず、丹念に確認をし、車間距離をあけ、信号で止まり、つまらない危険を作らないようにしたい。
普段通りの何でもない休日で終われば一番良いのだ。

2010年6月3日木曜日

ジェットコースター運転

下り坂から上り坂に変わるような場所をサグといい、渋滞の発生原因となる。平地から上り坂に変わる箇所でも同じように渋滞になる。
上り坂で速度が落ちることで、その後に続く車との車間距離が縮まり、後ろの車が車間距離を開けるために減速する。その減速が積もり積もって渋滞になる。
それが、分かりきっているのだから、上り坂の手前になる前に速度を上げておけば良い。
上り坂の手前で80km/hで走行しているのなら上り坂になる前に85km/hまで加速する。上り坂が終われば、80km/hに戻せばよい。
これでサグによる渋滞は起こらない。全員がそうすれば、今度は上り坂が終わって85km/hから80km/hに戻すときに渋滞が発生する。だが、その戻すタイミングも分散させれば良い。
実際は、上りが始まるところで減速する車があるだろうから、あえて加速しておく、これで中和する。一方、上りが終わるところでは、速度が上がる車が多いだろうから、そこで速度を落として中和する。プラス・マイナスのバランスがとれるわけである。

それはともかく、上りや下りでいちいち速度が変化するのがもともとおかしい。上りは重力に逆らうのだから速度が落ちるだろうし、下りなら速度が上がるに決まっている。アクセル操作を変化させていないとしか思えない。平地と同じアクセルの踏みこみ量なら、起伏のたびにいちいち速度が上下するだろう。これはもうジェットコースターだ。

上りで速度が落ちざるを得ない車種もあるだろうから、それはどうしようもないが、走行可能な車まで一緒になって減速することもない。
特に上りで減速した場合、後ろにつく車も減速を余儀なくされる。速度が落ちるドライバーは、後ろの車への影響についてどう考えるだろうか。

これもまた、速度の繊細なコントロールができない運転と、交通全体への俯瞰的視点を欠いた例のひとつである。

2010年6月2日水曜日

煽り運転に進路を譲るのはキ・ガイの相手をしないためだけの理由

以前にも書いたが、前方の車に対して極端に車間距離を詰め、プレッシャーを与えるような運転をする煽り運転というのがある。
煽り運転はありとあらゆる観点から考えて、不当で、意味のない行動であるのだが、現実にはそうしたことをするドライバーを見かけることがある。普通の人は高速に走行させることが可能か、不可能かに係わらず、制限速度の制約や安全運転等から、過剰な速度を出さずに運転しているわけなのだが、そのことにも気がついていない可能性が考えられる。

煽り運転に遭ったときの解決策として、左に寄せて止め、進路を譲るというのがある。
前を走行する車は何も悪いことをしておらず、煽り運転をする車が一方的に良くないのは分かっている。追い越していったところで、その先でまた他の車がいたり、信号待ちになったりする。がんばって煽り運転したところで、短縮できる時間はわずかであろう。煽り運転というのは意味がなく、誰にも意味が分からない。合理的な理由はないし、論理的につじつまが合うように説明がつかない。

つまり、これが、進路を譲る理由である。ようするに相手にしないということである。
相手は理解不能な思考の持ち主なわけだから、常識的判断が通用しない。
これこれ、こうだから、こうなるだろう。などと言う筋道の通った考え方では対処できない。意思の疎通ができるかすら、さだかでない。
ある種の知能障害の可能性を連想し、気の毒かもしれないが、今は関わらず、自分が安全に運転することだけを考えて、先に行かせ、そのうち快癒されることを願うより他ない。

煽り運転を先に行かせるのは、そうした理由だけである。あなたが試しに煽り運転をして、進路を譲られたとしたら、やはりそう思われているだろう。

カーブでセンターラインを越える

カーブしている道路でセンターラインを越えてくる車がある。センターラインを越えても他の車がいなければ影響はないのだが、対向車がいる場合、対向車は回避行動を強要される。
対向車がカーブに到達したときには、センターラインをはみ出した車はすでにカーブを曲がりきっているとしても、対向車はセンターラインをはみ出した車を視認したことで、左へ逃げようとするだろう。走行レーンすら満足に走れない車に対する信頼性や確実な安全確保の観点から、たとえすれ違うタイミングがカーブで重ならないとしても、回避行動をしないわけにはいかない。

カーブでイン側を曲がる車がレーンのイン寄りを走ることを期待して、アウト側を走行する車は少々センターラインを越えても問題ないと思うかもしれない。イン側の車が期待通りの腕前であるという保証はないし、どこのラインを走行するかはイン側の車の自由で、アウト側の都合の良いように決めつけてはならない。

アウトインアウト走行をするなら、自分の走行レーンの中で行うものである。走行レーンの中すら維持できないというのでは、ドライビングテクニック以前の問題である。というより、わざとセンターラインを越えているのだろうから、さらにそれ以前の問題だ。
実際のところ、真に運転のできるドライバーというのはセンターラインを越えないように丁寧な調整を行えるだろうし、一般道路のペースならセンターラインの中を維持していても、あくびが出るだろう。
自動車の運転というのは、速ければ速いほどに、狙えば狙うほどに、微妙なコントロールをせねばならなくなる。センターラインを越えるドライバーは、素人だけあってやはり雑で大雑把なのだ。

自らが楽をするために、他の交通にしわ寄せがいくような運転。
ここでもまた、自分だけがスペシャルな存在であると考え、他人の優しさの上に成立している甘えであろう。

曲がるはるか手前から極端に遅くなる

前の車の後ろで順調に運転していたところ、前の車の速度が遅くなることがある。それで、どこかに止まるのか、曲がるのかと思って見ていても、一向にそうした気配がない。どうもおかしいと思っていると、しばらくしてようやく横の道に曲がっていく。どうやら、横の道に曲がるために、かなり手前から減速していたようだ。

曲がるために減速しなければならないのは分かるが、何キロも手前から、極端に速度を落としておく必要はない。
もちろん、いきなり急ブレーキをかけるのは良くないが、追突を防止するなら、合図を早めに出し、弱めのブレーキで減速すれば良いことである。はるか彼方手前の曲がり角も見えないようなところから減速していたのでは、後方の車すべてが長時間にわたって無意味な低速走行にさらされ、前方の車がなぜ唐突に遅くなって低速走行を強制されなければならないのか理解できようもない。

ただ曲がり角を曲がるだけのために、それほどまでに手前から減速しておかなければならないのだとしたら、車の運転などまったくおぼつかないはずだ。赤信号や一時停止箇所での停止もあるだろうし、危険な状況のときにはそれよりはずっと難しい停車が求められる。本当に曲がり角を目標として減速するだけのことがまともにできないのだとしたら、その運転能力の貧弱さは想像を絶する。

初めての道等で、曲がる場所を探しながら走行しているのではないかということも考えたが、車の種類や曲がる場所から考えて、その可能性は疑わしい。仮にそうだとすれば、後方の車に負担をかけるのではなく、いったん行きすぎてから戻ってくれば良い。自らの都合のために他人の手をわずらわせるのは、順序が違っている。

50km/h前後のある程度速い速度で国道等のなんら障害のない長い区間を巡航しているとして、その途中で曲がり角を曲がるための減速が必要になったり、停車が必要になったなら、ウインカーによる合図やポンピングブレーキで後方の車が察知できるようにし、左へ寄せて、ゆるやかに減速すれば良い。バックミラーで後方の車が気付いていることを確認しておくと確実である。安全は大切だが、後方の車への影響もなるべく少ない方が良い。
むしろ、まったく何もないところから、減速を始めて、止まるでも曲がるでもなく延々と低速走行を維持していると、後方の車はフラストレーションをためて追い越しを始める車まで出てくるかもしれない。

自転車は車道を走る

自転車は車両に含まれるため、原則、車道の左側を通行するのが正しい。標識や標示で自転車の通行が認められている場合には歩道を通行することもできる。

自転車はエンジンが付いておらず、電動モーターが装備されていても速度の出せるものではない。特別に免許を取得する必要もない。そうしたことから車両としてではなく、歩行者寄りにとらえるような意識が生じ、自転車が車道を走っていると邪魔に感じるかもしれない。自転車は車両であるから車道を走るのは当然である。自転車が車道の左側を走行しているときは、他の車両と同等に扱う。
最近の自転車はかなり速いものも見かけるが、それでも自動車との速度差が生じることが多い。追い越し時には接近して煽り運転気味になってならないのは当然であるが、自転車の後方で待機し、対向車が切れたところで、十分な余裕をもって追い越しを行いたい。
また、自転車を追い越すバイクを自動車で追い越してはならない。2重追い越しは、いたずらに危険と混乱を作り出す。バイクの立場で考えると、追い越しと追い越されを同時に実行することを強要される。バイクは追い越されるだけだから、何も考えなくても良いかというと、そうはいかない。後方から追い越す自動車があるとなれば、いやでも警戒せざるを得ない。バイクの運転手は周囲の交通に無頓着でいられるほど下手ではない。むしろ自動車が下手なことをせずとも、バイクが追い越すのを待った後に、あっさりと追い越せばよい。

自転車は左側通行どころか右側だろうがどこだろうがお構いなし。権利を守れといっても義務を果たしていないではないかと言われるかもしれない。自転車側の運転マナーについてはいずれ取り上げるつもりだが、今は自動車側の立場として、とりあえず自転車は運転マナーが極めて悪いものだと決めつけて運転するのが現実的である。自動車のドライバーは、自転車のマナーの悪さ、運転の無茶苦茶さにはすべて目をつむり、自転車に対して全面的に譲る心構えであってちょうど良い。

2010年6月1日火曜日

右折は交差点の中心の内側を回る

「伊予の早曲がり」といわれる交差点での右折方法がある。愛媛県で多いのでこうした名前がついたらしい。
交差点で直進車より早く右折してしまおうと、急発進してショートカットするような右折の方法だ。

右折するときは、もちろん直進車が優先し、交差点の中心の内側を回るのが正しい。
右折専用の車線がある場合はその車線に入り、ない場合にも右端に寄せ、交差点の中心の手前まで前進する。直進車が途切れたなら、右にハンドルを切って右折する。交差点と言っても4方向に分かれるものだけでなく、T字型でも同じである。

交差点の中心まで行かず、青信号に変わる前に停止位置から斜めに発進し、直進車の前を横切って右折するようなやり方は、直進車と右折車の典型的な衝突事故が考えられるが、それ以外にも右折した先の横断歩道での事故や、右折した先の見通しが悪い場合には、そこにいる車両と衝突する危険性がある。純粋に慌てているというだけでも事故のリスクを高める。
こうした車が信号待ちで対向の右折レーンにいる場合、信号が変わる前から前進してくることがある。気づいた直進車は、そうした哀れなドライバーのために、加速を遅らせて進路を与えるだろう。そのお礼に交差する道路から信号の変わり目を猛スピードで飛び出してくる車があれば、見たくもない派手な交通事故ショーを見せられるかもしれない。

センターラインのひかれた道路で、対向車線を横断して右折する場合でも、曲がる先の道路の延長線上のところまで行ってセンターライン寄りに止める。対向車がないこととともに、曲がる先に障害がないことを確認して右折する。ここで曲がる先の道路の延長線上まで行かず、(多くの場合、迫り来る直進車に先だって横切ることをもくろんで)手前から曲がる先目がけて斜め横断すると、曲がった先の道路状況が分からないことがある。こうした交差点では、曲がった先から出てくる車の方で一時停止になっていて、普通のドライバーは一時停止するだろうから、結果的には難を免れられる望みがある。一時停止した車は斜め右折で無理に入ってくる車に対しても慈悲を与え、進路を開けてくれるだろう。ただ、自転車や原付バイクは左寄りを走るので死角から出てくることがある上、車幅が狭いので発見が遅れる。一時停止するかどうかもあやしいので、事故回避は極端に難しくなる。斜め右折で突撃する前には、神に祈ることも忘れてはならないということである。

酷いのになると、正常な右折待ちをする車の後ろから右折する車まである。この場合、直進車が途切れているだろうから、前の車も同じように右折する可能性がある。そうした無茶をする車が後ろにいることを前の車は予測していないだろうし、信号機や対向の直進車の切れ目、曲がる先を確認するのに忙しくて後方の車の心配などしていない。同じ右折先に2台の車が加速しながら突っ込む状況が想像できる。運良く前の右折車が危険を察知できた場合、衝突回避のため、後方から強引に右折する車にやむなく進路を譲り与えることもありえる。

危険な右折をして、図々しくも他人の情けの元で非常識を押し通すのは、さぞかし気分がよかろう。

速度を出さないのは取締り対策以外に理由がない

いつも疑問に思うのは、多くのドライバーは何を基準に走行速度を決めているのかということである。
例えば周囲の交通に合わせていると、取締り圏内の速度になることがある。先頭車両だけが捕まるというものでもないだろうから、ついていくわけにはいかない。
直線で何もない道路であれば、どんなに運転が下手でもいくらでも速度を出せる。見ているとそうしたところでは取締り対象になりえる速度で走行する車が絶えない。警察の立場ならかっこうの待ち伏せポイントになるだろう。そうした速度で走行することはリスクと背中合わせである。

実際のところ、今時の自動車の性能から考えると、少々速度オーバーしてもただちに危険な状態になることはない。幹線道路等の制限速度50km/hのところでは、100km/hを超える速度で走ろうとも十分安全と思えるようなところもある。健康な若い人であれば、多少速度オーバーしてもほぼ問題がないことが多いとまで言い切ってしまおう。
普通に運転していれば、速度違反をしてしまうのだ。

しかし、速度を出すわけにはいかない、実質的に速度を出してもなんの問題がないとしても速度を出すわけにはいかないのだ。それは唯一にして最大の理由。単に取締り対策ということだけだ。これ以外に速度を出さない理由はない。
本当は制限速度というのは安全のためのものであるのだが、ドライバーの率直な気持ちとしては、かなり余裕を持たせてあるように感じる。取締りがなかったら、現在の制限速度を大幅に上回る速度で走行することだろう。

速度違反を正当化するつもりはない。だが非現実的な綺麗事だけ並べるつもりもない。

取締り対象にならない速度で走行している車に対し、煽り運転をしているドライバーがいる。明確な理由や基準を持って運転している車に、どんなに煽り運転をしても速度が上がることはない。ならばペースリーダーを任せて後ろからついていくのがいい。もちろん、自らが速度違反するために、前方の車に何かを求める道理はない。

登坂車線での攻防

山道の上り坂で登坂車線と呼ばれる走行レーンのあるところがある。トラック等の登坂力が弱く、速度の出ない車両が登坂車線に逃げることで、交通の流れを良くするためのものである。
登坂車線のあるところになると急に加速する車がある。それまで遅い車によって速度が制限されていたのを、通常速度まで加速するというのは分かるのだが、登坂車線のあるところだけ急に速くなる車がある。登坂車線が出てくるまでは遅く、登坂車線が現われると急に速くなって、登坂車線が終わるとまた遅くなるのである。
登坂車線のあるところは広くなるので、速度が出しやすくなるということを思いつくが、実情はそれとは少し違うこともありそうに思う。
登坂車線が出てくると、それまでずっと速度を封じられていた車が前方に出ようと加速する。また、遅い車が登坂車線に逃げることでスペースができ、速度を出しやすくなる。そうした要因で登坂車線のあるところは流れが速くなりがちになる。だから、そうしたところでは極端に加速するものだという思い違いを起こす人が出るかもしれない。ひょっとすると、前に行かせまいと妨害するために加速する車もあるかもしれない。そして、そういうものだと勘違いする人もいるかもしれない。

何にせよ登坂車線が現れたからといって逃げるように急に加速する必要はない。また、後ろから速度の速い車が来れば、登坂車線に避けることで進路を譲るのが望ましい。

その一方で登坂車線が終わる前に全力で前方に出ようとする車も見苦しい。
登坂車線のあるところでネズミ捕りをしているのを見たことがあるが、そうしたところで狂ったように加速していく車も見かけるので、大口のお客さんも捕れ、繁盛することだろう。

過失割合が10:0でも事故になれば面倒

自動車を運転する者は強制保険の他、ほとんどの人が任意保険に加入している。
事故を起こせば過失割合といって事故の責任の程度によって、解決に要する費用の負担割合が決められる。しかし、保険に加入していれば、過失割合に係わらず保険会社が支払ってくれる。
過失割合が小さくて、費用が少なく済むのであれば、あえて保険を使わないという選択肢もある。保険等級が下がって次回からの保険料が上がるのを防ぐためだ。
さらに過失割合が10:0であって、自分の過失がない場合には、費用の負担はない。

費用の負担はないが、精神的な負担はある。ケガでもしたら、いくら医療費を受け取ったとしても割に合わない。
けが人がいなくても事故に巻き込まれれば、警察に連絡し、保険会社に連絡し、自走できない場合は、修理工場まで運搬を依頼し、その後も車を修理する間は、使えないか、代車を使うことになる。車の修理が終われば引取りに行く。そうした手間に対しての費用は支払われない。
いくら過失割合0だと言っても何の得もない。ただただ損なだけなのだ。
相手が全面的に悪くても、保険ですべて弁済するだけだから、相手のダメージも限定的だ。それに相手に感情的な仕置きを求めても、自らに何の実益もない。

自分が悪いか悪くないかに係わらず、事故が起こればマイナスばかりなのである。

信号待ちで停車しているとき、後ろから追突されたなら、過失は追突した車にあるかもしれない。それでも、事故に巻き込まれたなら、面倒がかかるばかりである。
後ろから追突される状況で停止している車が回避できるとは限らないが、あまり強いブレーキでの停車にならないようにするとか、ブラインドコーナーの先で信号待ちする場合に後ろの車のことを考えておくとか、トンネルの中やトンネルを出た直後で停車する場合はテールランプが点灯した状態にしておくとか、始めから追突されないように注意しておきたい。