2010年6月17日木曜日

周りの流れに乗ってスピード違反

速度違反を正当化する理由でよく言われるのに、「周囲の流れに乗る」というのがある。
制限速度を守らなければならないだろうが、周囲の流れに乗って運転することも大切であるという主張だ。
では、周囲の流れに乗った結果、速度違反になる場合はどちらを優先すれば良いか?

もちろん、制限速度を超えてはならない。仮に違反速度で交通が流れているとしたら、先頭の車が速度違反をしているだけのことだ。

しかしながら「周囲の流れに乗る」ことで速度違反の取り締まり対策になることがあるかもしれない。
地元のドライバーはどこで取り締まりをしているかよく知っているから、危険な場所では速度を落とすだろう。平然と速度違反をしている車がいたら、どこが危険か分かっているからこそ、やっているのではないかと期待し、そうした車についていくという手を思いつく。

また、連なって走行している場合には、先頭の車が取り締まり対象になりやすいとも言われている。
警察官が「止まれ」の旗を持って立っているところで、一度にたくさんの車を停車させられないだろうし、警察官の人数、用意している机の数といった物理的制約がある。前方の車が止められれば、その影響でずっと後ろの車も減速することになるから、速度を測定している地点では違反車も減速してしまっていることがあるかもしれない。

これらのことから「周囲の流れに乗る」ことが仮に取り締まり対策に有効だとしても、あくまで速度違反を正当化できるわけではない。
「周囲の流れに乗る」のは取り締まりを回避したり、難しくすることを目的とすると主張するのであれば分かるが、「周囲の流れに乗る」ことが速度違反の弁明にはならない。
「みんなで協力して、取り締まりを難しくして、全体の流れが速くなるようにしよう。そうした空気を理解し合おう。」というのであれば、その内容が正しいか間違っているかは置いておいて、言いたいことは理解できる。
厳密に制限速度を守るとしたら、速度違反をしているような流れは断ち切って、正常な流れにするのが筋だ。それが気に食わないからといって、「周囲の流れに乗る」ことを理由として他人に速度違反を求めることはできない。

ご存知のように速度違反が常習化している実態がある。それを認めるし、私自身が制限速度を完全に守れている自信はない(というかここで明確に違法行為をしているとは言えない)。
だから、あまりにも厳格に制限速度を守られると、遅いと感じるのが正直なところだ。だが、それでもそれが本来、正しいのである。そうしたドライバーを周囲の流れに乗っていないといって迷惑がったり、間違いであるかのように言うのは、順序がおかしい。自分が違反速度で走行するための妨げになるとか、他の交通の迷惑になると考えるかもしれない。しかし、制限速度を守るというのが、道理から言えば正しいのである。
周囲の雰囲気を理解しろといっても、取り締まりのリスクを押しつけるわけにもいかないし、「制限速度を守る」という相手の主張は聞き入れず、「空気を読め」という自分の言いたいことだけ理解しろというのでは一方的だ。周囲の車が迷惑しているというのも証言のとりようがなく、仮に一時の勘違いはあっても冷静に考えればまともでないことに気づくであろう。制限速度を守る流れができているとしたら、それがそのときの周囲の流れである。速度違反の流れは正しく、速度違反でない流れは違うというのでは、都合が良すぎる。結局、速度違反のもっともらしい理屈をつけているだけだ。

ところで、「周囲の流れに乗る」ことで本当に取り締まり対策になるだろうか。
現状、そうした考え方が一般的に確立しているとは思えず、確実とは言えない。本当に効果があるなら考える余地もあるが、想像の域で、リスクを排除できない以上、私も運転免許を維持しなければならないし、余計な税金を納めたくない。なにより取り締まりにあうと、不快な思いをする。そうなるとせっかくの気分もぶち壊しだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿