2010年6月23日水曜日

事故渋滞に人間の低能ぶりを知る

渋滞の原因のひとつとして事故がある。
事故が起こることで道路の一部が使えなくなることで流れが悪くなるが、一番大きいのはその事故を見るために減速することである。
高速道路では事故を見るために関係のない対向車線でも渋滞することがある。

ハマったことがある方は分かると思うが、事故渋滞は距離が長くなって、しかもなかなか動かない。ようやく事故現場を通過すれば、嘘のように普通の流れに戻る。
事故現場に到達するのに何十分もかかり、事故現場を通過するのはほんの一瞬だ。渋滞によって被るデメリットと、事故を見物するメリット?を比べたら、まったく割に合わない。事故の見物による渋滞の被害を被っていれば、いざ自分が事故現場を通過するときには、目もくれずさっさと通過するのかというと、それでも事故現場で停止に近いほどまで減速する車が多い。
見物する車のために渋滞になって、そのシワ寄せを食わされても、自分が事故現場を通過するときは、その後に続く渋滞のことなど考えず、やっぱり同じように見物するのだ。

水槽に上から水道の水をジャバジャバ注ぎ、下からはポタポタとしか水を流さない状態になっているのである。チョロチョロではない。ポタポタだ。事故処理が終了するまで現場は強力なボトルネックになり、延々と渋滞は伸び続ける。

もちろん、事故現場では破片が散乱していたり、処理にあたる人も居るので安全な速度で通過することにはなる。
だが、そのレベルをはるか超える減速のことを言っているのである。一番事故が見える好位置でほぼ停止するかのような速度を数メートルにわたって維持する必要なんてあるわけがない。

他人の不幸を対岸の火事のように見ている姿からは、自己中心的な考え方や人の醜さ、愚かさというものを改めて認識できる。

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