2010年8月3日火曜日

勝ち負けなんて発想はいいかげん飽きた

野球やサッカーといったスポーツには特定の選手やチームを熱く応援をしているファンと呼ばれる方々がいる。特定の選手やチームを応援することでスポーツ観戦は特別おもしろくなる。
しかし、対戦相手は、何か悪いことをしたわけでも、懲らしめないといけないような理由があるわけでもない。どちらも一生懸命スポーツをプレイしているだけだ。応援しているチームが勝ったり負けたからといって生活に影響するような人達も多くないだろう。それで意味がないからといって、冷めた気持ちでスポーツを観戦していたのではつまらないだろうし、身も蓋もない。

道路交通においても、勝った負けたという競争意識を持つ人がいるようだ。交通は移動手段であり、何かを争っているわけでもスポーツをしているわけでもなく、スポーツ観戦のように熱くなる必要はない。交通において大抵の人にとっては何かに勝ったとか負けたということは重要ではないし、おもしろいとも思わない。
だが、意味がないことでも、人間に感情というものがあることを理解できないわけではない。人間には本能的に他者より優位に立ちたいという闘争本能のようなものがあるのかもしれないし、それが満たされたときに快感を感じることもあるだろう。

人間は本能のみで生きている生物ではない。本能は人間の重要な基本的要素だが、社会を構成するようになると本能を超えた知性が必要になる。ある程度、物事を考えられるようになると、こだわり過ぎることや、意地を張りすぎること、勝ち負けという感情が実益を持たないことがあることを学習するようになる。

ハンドルさばきや、高速なコーナリングといった運転能力に係わらず、実力というものは努力の上に習得できるものだ。生まれながらに特殊な能力を持った人間は稀であろうし、そうした人間がいたとしたなら才能と引き換えに何かを失っているものである。
失敗や練習を繰り返して獲得したものでなければ、確かなものとはならない。何のトレーニングも積んでいない素人同士が小競り合いをしていても見苦しいだけで、お笑いにもならない。
実力は修練があって備わり、真に実力がついたとき、確実に勝てる相手になど関心すらなくなる。

ありふれた競争意識のようなものにはいいかげん飽きた。
その場の感情を満たすことが目的の勝ち負けなど不毛なだけで、それを超えた先には空虚しかない。

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