2010年9月22日水曜日

想像以上の頭の悪さを想像しておく

立ってトマトを手に持ち、トマトを持った腕を伸ばす。そしてトマトを手から放す。するとトマトは床に落ちる。
当たり前の話である。だが、こうした当たり前のことを、誰でもが分かっていると思い込んでいると、その期待を裏切られることがある。

例えば、自転車が道の左寄りを走行していて、その後ろで原付バイクが左寄りを走行していたとする。そしてさらに後ろであなたが自動車を運転していたとしたら、前を走る原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更してくることは考えるまでもなく当たり前に予測できるだろう。それなら原付バイクが自転車を追い越すために右に出てくるよりもっと大きく右へ避けることで原付バイクと自転車をいっぺんに追い越すこともできる。あまりいいこととは思えないが、それであれば分かっているだけまだましだ。原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更できないような形で原付バイクを追い越そうとしたり、ひどいケースでは、原付バイクが自転車を追い越すために右に進路変更を始めると、まるで原付バイクが右に進路変更する可能性について気づいていなかったかのように驚いて回避しなければならない自動車がいたりする。驚くことに本当に想定していないことがあるのだ。当然、分かりきっていることだと思っていても、気付いていない可能性を想定しておかなければならない。

このようなことはあらゆる状況において起こり得る。
おそらく頭が悪いというよりは、考える習慣がなく、日常的に予測するということが身についていないのだと思われる。その場、その時で行き当たりばったりで行動するような生活をおくっているのであろう。
そうであるから、何ら悪気はないにしても、上記のようなケースで、原付バイクが自転車を追い越そうとしているタイミングに自動車で追い越そうとして、原付バイクが自動車の直前に進路変更するような形になると、まるで原付バイクが危険行為でもしたかのように勘違いすることがある。原付バイクは進路変更するにあたって後方確認をしなければならないというのはそれはそうだが、それでも自動車側であらかじめ進路変更する可能性を想定していれば、いざそうした行動をとられてもなんら驚くことはないはずだ。そして大抵の場合は原付バイクが進路変更する挙動を事前に察知できているだろう。

こうした想像を越えた想像力のないタイプの人は、想像を越えた自己中心的であることが多い。
原付バイクが追い越すことよりも、自らが原付バイクを追い越すことが優先されると考えたりするのである。それは自己利益のためのこじつけの理屈で正当化していることが多い。例えば、自動車と原付バイクの最高速度の違いを持ち出してきて、速度が遅い車両より速度が速い車両が優先されるというような、どこにも存在しない架空の地位制度を創作したりするようなことである。

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